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特撮脳で見た『魔法少女まどか☆マギカ』10話

あー、いやー、うん、これは、凄い。
今だから書きますが、『まどか☆マギカ』、それなりに楽しみつつも世間の熱狂的評価とは隔たりを感じていて、ライブで見ていないが故か(多少内容も知ってしまっている)、キャラクターに対するときめき係数の差か、と思っていたのですが、この10話で、ガラリと評価が変わりました。
10話は素晴らしかった。
基本的に、<魔法少女>ものをベースと置いて、シリアス・グロテスク・意外性などを散りばめる事で展開していた、本歌取り的な要素の強い作品な為に、“魔法少女なのに……”“いっけんマスコットキャラなのに……”というインパクトの部分が前面に出がちだったわけですが、この10話で、作品としての立ち位置が別の次元に入ったような、それだけの出来。
もちろん、ラスト2話を見ないと作品としての最終的な評価は出来ませんが、この10話で歯車が揃った結果、物語としての完成度は抜群に高まりました。
繰り返される時間の中で、徐々に変化していくほむらと、ほむらの背負っていく運命、の描き方がとにかく巧い。
そしてタイムリープイデアという簡単にメロドラマを作れるネタを取り込んだ上で、もっと重くて黒いものにしたのも凄い。
それもいっけん、メロドラマの構図に見えるまま。
いや久々に、物語の転がし方で、興奮しました。
地味で眼鏡で虚弱な、転校生・暁美ほむら――闘病生活による長い休学明けに入った中学で出会ったのは、保険係・鹿目まどか
そして彼女は、魔女と戦う、魔法少女だった。
ほむらが魔法少女になった理由、そして様々な真実を知る理由、それが遂に明かされる――。
別の時間線?のまどかはやたらアグレッシブだと思ったら、既にきゅうべえと契約済みでした。
そして“もしかしたら有り得たかもしれない”マミさんとの夢のコンビと、ちょっとサービスしつつ……最終決戦を前にやっぱりリタイアしているマミさん(^^;
圧倒的な<ワルプルギスの夜>を前に、「それでも、私は魔法少女だから。みんなの事、守らなきゃいけないから」と飛び立つまどかは思いの外ベタな正義の味方をやっていて、特撮脳的には「僕は、僕はね、ウルトラセブンなんだ」を思い出してみたりしましたが、力及ばず死亡。彼女達と行動を共にしていた(ここまでの、まどかポジション)ほむらは、まどかの死体を前に泣きじゃくり、姿を見せたきゅうべえと契約する。

「わたしは、鹿目さんとの出会いをやりなおしたい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい!」

きゅうべえと契約した事により魔法少女となったほむらは時間線を遡り、まどかと出会う前のベッドで目を醒ます。
タイムストップ能力によってまどかとマミの魔女退治に参加する事になったほむらだが……<ワルプルギスの夜>は倒すものの、力を使い果たしたまどかが魔女化。そして再び時間線を遡るほむら……。
どうやら、「まどかを守る私になる」という部分が成立するまで、「出会いをやりなおす」という契約条件は発動するようで、ほむら、超強力。きゅうべえさんは、この辺り、古典的に律儀。
魔法少女がいずれ魔女化する事など、きゅうべえの目的を仲間(さやか、パーティイン)に語るほむらだが、信じて貰えない。そしてさやかが魔女化、錯乱したマミは杏子のソウルジェムを打ち砕き、更にほむらに銃口が向けられた時、まどかの矢がマミのソウルジェムを砕く。
ここはかなり意識的なシーンだと思うのですが、魔法少女となる前のまどかなら、仮にマミを撃つ事が出来たとしても、恐らく、二人の間に割って入る、という選択肢を取ったのではないかと思います。
撃とうとした方を撃った、という理屈ではあるのでしょうが、魔法少女になる事で“ちょっぴり理想の自分”に近づいたまどかの中の確かなエゴ、真っ白なだけではない少女の姿というのものが、明確に描写されているのは素晴らしい。
生き残った二人は<ワルプルギスの夜>に立ち向かうが共に力を使い果たし、魔女になるのを待つばかりとなったその時、まどかが一回分だけ残っていたグリーフシードでほむらのソウルジェムを浄化する。

「あたしには出来なくて、ほむらちゃんに出来ること、お願いしたいから。ほむらちゃん、過去に戻れるんだよね。こんな終わり方にならないように、歴史を変えられるって、言ってたよね。きゅうべえに騙される前の、馬鹿な私を、助けてあげてくれないかな」
「約束するわ。絶対にあなたを救ってみせる。何度繰り返す事になっても、必ずあなたを守ってみせる」

ああ、ほむらは、死人と約束してしまったのか、と。
今作の真骨頂にして、10話の最も凄い所であり、決定的な歯車を埋めた大きな肝。
友情を一切否定しないまま、まどかの意図せざる残酷さとそれを受け入れるほむらの姿が描かれる事で、そこに乗せられた重くて黒いものによってメロドラマ構造を飛び越え、物語そのものまでが、別の領域に押し上げられた。
このシーンの為にまどかはマミさんを撃たなければならなかったし、そして彼女の台詞は、「みんなを」ではなくて、「馬鹿な私を、助けてあげてくれないかな」となる。
決してみんながどうでもいいわけではないけれど、土壇場で、「私」というまどかがそこに居る為には、まどかは魔法少女ではなくてはならず、そして彼女の願い(エゴ)を聞き入れたほむらの取る手段が、当然まどかを魔法少女にしない事となるからこそ、ほむらの戦いは、絶望的で哀しい。
「もう一つ……頼んでいい?」
「うん」
「あたし、魔女にはなりたくない。嫌なことも、悲しいこともあったけど。守りたいものだって、たくさん、この世界にはあったから」
「まどか!」
「ほむらちゃん、やっと名前で呼んでくれたね、嬉しい……」
慟哭とともにほむらはまどかのソウルジェムめがけて引き金を引き、そして――
「誰も、未来を信じない。誰も、未来を受け止められない。だったら、私が……」
時間線を遡ったほむらは、まどかと契約前のきゅうべえを抹殺。まどかの魔法少女化を防ぐ事に成功するが、<ワルプルギスの夜>に苦戦を強いられ、という所で1話冒頭のまどか主観では夢のシーンに繋がり、まどかはほむらを救う為にきゅうべえと契約。魔法少女まどかは<ワルプルギスの夜>を瞬殺するが、自身は“最悪の魔女”と化してしまい、ほむらは再び、時間線をさかのぼる……

「繰り返す……私は何度でも、繰り返す。
同じ時間を何度も巡り、たったひとつの出口を探る。
あなたを……絶望の運命から救い出す道を。
まどか……たったひとりの、私の友達。
あなたの、あなたの為なら、私は永遠の迷路に閉じこめられても、構わない」

そして再び……マミも欠け、さやかも欠け、杏子も欠けた時間線の先で、ほむらは<ワルプルギスの夜>と対峙する――!
少しずつ運命を改変しようとするほむらと、それに伴って彼女が知る事になる魔法少女の真実、背負っていく死、発生する事件や登場人物の変化に合わせ、ほむらの性格の変質や、武装の強化などを合わせて二重三重に“繰り返される時間”を描いているのが、単純にタイムリープものの演出として非常に巧いし、物語と噛み合って素晴らしい。
それにしても、
ゴルフクラブを振り回して戦うも駄目出し→火薬の調合を覚える
爆弾が危ないと駄目出し→ヤクザの事務所から重火器を奪う
ほむらさんがやたらにハードボイルドになってしまった原因の半分は、マミさんか!
で、この10話が凄い、というのは、伏線が解消されて謎めいて訳知りだったほむらの秘密が判明するのが鮮やかで巧い、とかそういうレベルではなくて、ここまで10話、スタンスの見えなかったほむらの本当の目的が見えた時、
ほむらは
まどかのための正義のヒーロー
になりたかった
というのがわかる。
ここまでどちらかといえばインパクト重視の作風だったこの作品の、“真の物語(ほむらの物語)”が、これまでの展開を全てしっかり呑み込んだ上で、真っ正面から叩きつけられ、9話までの全ての構造がハッキリと明確になる。
たった一人の為に、正義のヒーローになろうとした少女の物語
であったのだ、と。
そして、世界の為でもみんなの為でもどこかの誰かの為でもなく、たった一人のあなたの為に正義のヒーローになろうとするから、ほむらは悲しくて滑稽で、しかし最高に格好いい。
という、この屈折したヒーロー観。
10話は本当に素晴らしくて、この作品を、一個の作品として高みに押し上げましたが、私は基本的に物語主義者なので、とにかく“物語”をしっかりやってくれたという事は、非常に嬉しい。
これは別に9話までに“物語”が無かったというわけではなく、ただ、10話以前と以後では“物語”の質が全く変わった。
それだけ、10話で描かれ(それにより9話までを統合し)た、良い事も悪い事も嬉しい事も悲しい事も白い事も黒い事も守りたい事も守りたくない事も、素晴らしい。
さて、こうなるとラスト2話或いは最終話は、“真の真の物語(まどかの物語)”になるのかなー。
ほむらはまどかを救えるのか? というよりもむしろ、まどかはほむらを救えるのか? という構図になっているわけですが、きゅうべえさんも含めて、一種の復讐譚の要素まで盛り込んだ今作、どう決着をつけるか、楽しみです。