例のごとく、最終話の感想はほぼダイジェスト気味なので、ご了承下さい。
前回を受けて、OP最後のカットでは、魔法少女5人が揃い踏み。
ほむらが時間遡行能力者である事に気付いたきゅうべえ、まどかの強大なエネルギーの秘密、さやかの葬儀、まどかに真実の想いの一端を告げるほむら、そして遂に姿を見せる<ワルプルギスの夜>――!
11話は、前話が盛り上げすぎたという事もあってか、場つなぎの話といった感じで、ほむらさん大火薬祭以外、大きな見所はなし。
いちばんシンプルな手段ではあるのですが、作画を節約しようとするとすぐに、ズームイン・ズームアップの多用と顔アップになるのは、以前にもあったけど少々いただけない。
きゅうべえさんの大袈裟な歴史話はここまで来てくどいかなと思ったのですが、後半〜次回の伏線になっていて納得。ただし見せ方が上述の都合などもあってか、良くなかった。
恐らくどうも、歴史に蓄積された負の念の集合体っぽい<ワルプルギスの夜>にひとり挑むも、魔力もほぼ尽き、追い詰められるほむら。時間を遡るしかないのか、しかし、それはまどかをますます因果の鎖に絡め取っていくだけかもしれない――絶望にほむらのソウルジェムが漆黒に染まりきる寸前、彼女の前に、きゅうべえを伴ったまどかが姿を見せる。
「ほむらちゃん、ごめんね。私、魔法少女になる」
彼女の願い、それは――
「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」
「その祈りは……そんな祈りがかなうとすれば、それは時間干渉なんてレベルじゃない。因果律そのものに対する反逆だ。君は本当に神になるつもりかい?」
驚愕するきゅうべえの前に、まどかの決意は揺らがない。
「神様でもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる。これが私の祈り、私の願い、さあ、かなえて、インキュベーター!」
まどかの体から浮かび上がったソウルジェムが光を放ち――
−−−因果地平−−−
マミの部屋でケーキをいただくまどか。
「希望をいだくのが間違いだなんて言われたら、私、そんなのは違うって、何度でもそう、言い返せます。きっといつまでも言い張ります」
マミ、そして杏子に出会ったまどかは自らの決意を語り、そんなまどかに、マミは一冊のノートを手渡す。
それはかつてまだ、何もしらないまどかが、魔法少女になった自分の姿を夢見て落書きしたノート……。
「あなたは希望をかなえるんじゃない、あなた自身が希望になるのよ。私たち、全ての希望に」
−−−−−−
夢見た姿、魔法少女となったまどかは、因果律すら書き換える、光の矢を放つ!
「あなたたちの祈りを、絶望で終わらせたりしない」
世界を、時空を超えて、希望が絶望に転化しソウルジェムがグリーフシード化する寸前の魔法少女達を救済していくまどか。黒く染まったソウルジェムはまどかによって浄化され、少女達は安らかな笑みともに消えていく。
「あなたたちは誰も呪わない、祟らない、因果は全て私が受け止める。だからお願い、最後まで、自分を信じて」
まどかの力により、時空を超えて生まれる前に魔女は消滅していき、世界を呪う心の消滅とともに、<ワルプルギスの夜>もまた、崩壊していく。
初見の時はよくわからなかったのですが、まどかが、“魔法少女を否定しない”というのが、キモか。
や、魔法少女になる契約で魔法少女を否定するのは論理的矛盾が生じるかもしれませんが、まどかのやった事を見ると、もっと根源的なところから再構成できそうな気もするのですけども、まどかは魔法少女を否定しない、そこに生まれた祈りと希望を否定しない、希望から絶望が生まれるとしても、また絶望から希望も生まれるものだから、という事なのかな、と。
あと割と唐突にここで「祟らない」という言葉が出てくるのですが(「呪い」という言葉は、以前から使われている)、とすると、まどかの行為はいわゆる祀り上げ、御霊信仰に似た機構だという見方も出来るでしょうか。
魔法少女が御霊(怨霊)と化したものが魔女であり、まどかの祈る「全ての魔女を生まれる前に消し去る」というのは、魔法少女の残念が霊威として災厄をもたらす前に鎮める、という解釈もありそうな気はします。
因果地平のマミさんに
「未来と過去と、全ての時間で、あなたは永遠に戦い続ける事になるのよ。そうなればきっと、あなたはあなたという個体を保てなくなる。死ぬなんて生やさしいものじゃない。未来永劫に終わりなく、魔女を滅ぼす概念としてこの宇宙に固定されてしまうわ」
という台詞があるので、これはまどかが全時空的にエターナルなヒーローという概念になる、という事なのかな、と最初捉えたのですが、後の展開を見ていると、どちらかといえば魔法少女が発生させた魔女を滅ぼし続けるというよりは、魔女になる前に絶望を掬い(救い)上げているという感じ。
実際、まどかの祈りは「全ての魔女を生まれる前に消し去る」なので、どちらかというと、マミさんの解釈が違っているのか。この辺りは、インキュベーターの知見の限界、という要素が含まれているのかもしれません。
とすれば、鎮められた魔法少女達の魂は、彼女達が護りたかったものを見守る存在に転化していくのかもしれない。
ならばまどかは、その見守る魂の統合体ともいえ、いわば、全次元において何かを守りたいという思いと祈りを束ね、あまねく鎮護しようとする巨大な祭神となる(きゅうべえの口にした「神」とは恐らく違う概念)、というイメージは個人的にはしっくり来ます。
魔法少女達の祈りを無駄にしない、という意味でも。
かくて<ワルプルギスの夜>は崩壊し、まどかの祈りによって因果律が塗り替えられた事で新たな法則の元に再構成されていく宇宙……だが
「一つの宇宙を創りだすに等しい希望は遂げられた。それはすなわち、一つの宇宙を終わらせるほどの絶望をもたらす事を意味する。――当然だよね」
その始まりに生じた巨大な絶望の前に、立ち向かうのは、アルティメットまどか(玩具のCMによると、そう言うらしい)!
「私の願いは、全ての魔女を消し去ること。本当にそれが叶ったのだとしたら、私だって、もう絶望する必要なんて、ない」
アルティメットまどかの放った矢の一閃は巨大な絶望を打ち砕き、彼女は、自らの因果をも超越する。
この辺りの論理は相変わらず、きゅうべえさんが律儀だと思う。
そしてつまりこれは、まどかによるまどかの御霊会なのかな、と。
自らが発生させる事になる怨念を自ら鎮める事で、まどかは、祀り上げられる。
(まどか、これで君の人生は、始まりも、終わりもなくなった。この世界に生きたあかしも、その記憶も、もうどこにも残されていない。君という存在は一つ上の領域にシフトして、ただの概念に成り果ててしまった。もう誰も君を認識できないし、君もまた、誰にも干渉できない。君はこの宇宙の一員では、なくなった)
「何よそれ! これが、まどかの望んだ結末だっていうの! こんな終わり方で、まどかは報われるの?! 冗談じゃないわ! これじゃ、死ぬよりも、もっとひどい……ひどい……」
始源の宇宙の混沌の中で、血を吐くように叫ぶほむらに、寄り添うように現れるまどか。過去・現在・未来、あらゆる時空を見渡し、繰り返された時間線での出来事を理解したまどかは、ほむらを抱きしめる。
「今の私になったから、本当のあなたを知ることができた。私には、こんなにも大切な友達がいてくれたんだ、って。だから嬉しいよ。ほむらちゃん、ありがとう。あなたは私の、最高の友達だったんだね」
誰からも忘れられて永遠の孤独はあんまりだと叫ぶほむらに、まどかは優しく告げる。
「ひとりじゃないよ。みんな、みんないつまでも、私と一緒だよ。これからの私はね、いつでも、どこにでもいるの。だから見えなくても聞こえなくても、私はほむらちゃんのそばにいるよ」
見えなくても感じられなくなっても忘れてしまっても、それでもいいのか、と泣くほむらに、まどかは、いつも身につけていたリボンを手渡す。高次の世界の果てまで一緒に来てくれたほむらなら、新しい世界でも、自分の事を、覚えていてくれるかもしれない。
それは、彼女達の新しい約束。
「大丈夫。きっと大丈夫。信じようよ」
「だって魔法少女はさ、夢と希望をかなえるんだから。きっとほんの少しなら、本当の奇跡があるかもしれない。そうでしょ?」
「いつかまた、もう一度ほむらちゃんとも会えるから。それまでは、ほんのちょっとだけ、お別れだね」
ここでしっかり、“魔法少女”を拾ったのは、素晴らしい。
笑顔とともに光となって消えていくまどか。
そして――
ヴァイオリン少年の演奏を、客席から見つめる霊体っぽいまどかとさやか。
因果地平に居なくて可哀想だと思ったら、ここで出てきました。なんか良かった……!
さやかの祈りを無にしない為に、ヴァイオリン少年を救うという因果を選んだまどか。さやかはそれを受け入れ、彼の演奏するアヴェ・マリアを聴きながら涙を流し、昇華していく。
その結果として、
「逝ってしまったわ。円環の理に導かれて」
何かと戦っていたらしい、マミ、杏子、ほむら。そして力を使い果たし、消滅してしまった、さやか。
「希望を求めた因果は、この世に呪いをもたらす前に、私たちは、ああやって消え去るしかないのよ」
彼女たちはやはり魔法少女として戦っていた。
しかし魔法少女が魔女になる、というシステムはまどかの介入によって変更されている事が表現されます。そして、
「まどか……!」
リボンを握りしめ、まどかの事、改変前の世界の事を思い出す、ほむら。
それは、ほんの少しの本当の奇跡。
ある日、ほむらはまどかの家族と出会う(会いに行く?)。記憶も存在も無くなった筈の姉、まどかの姿を地面に描いて遊んでいる弟。まどか、という名前に何とも言えない懐かしさを感じるという母。彼女は確かに消えてしまったが、いつでも、どこにでも、確かにそこに居る。
すっきりした顔のリボンほむらさんはちょっと可愛い。
いわゆる、憑き物が落ちた顔が、ちゃんと作画で表現されています。
夜の街、ビルの上で街並みを見下ろしながら、きゅうべえ(!)に、改変前の世界について語るほむら。改変後の世界には“魔獣”というものが存在し、どうも魔法少女はそれを倒す事で“呪い”を回収し、きゅうべえさんは感情エネルギーとしてそれを集めている模様。「魔女は効率的だなぁ」というきゅうべえに、「あなた達との仲は険悪だったけど」と返すほむらですが、主に険悪だったのは、ほむらさんだけだったと思います。
(――たとえ、魔女が生まれなくなった世界でも、それで、人の世の呪いが消え失せるわけではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている)
姿を見せる魔獣達を前に、ほむらは立ち上がる。
「今夜はつくづく瘴気が濃いねえ。魔獣どもも、次から次へと湧いてくる。いくら倒してもきりがない」
「ぼやいたってしかたないわ。さあ、行くわよ」
ほむらは魔獣に向かい、ビルを飛び降りる。
――哀しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようない世界だけれど。
だとしてもここは、かつてあの娘が守ろうとした場所なんだ。
それを、覚えている。
決して忘れたりしない。
だから私は――戦い続ける。
ビルを飛び降りるほむらの顔の格好良さよ。
そして彼女は魔獣達に向かい魔力の弓を引き絞り――放つ。
完璧なエンド
(エンディング後のラストシーンも含めて)
本当に正直、Aパートの内はぶっとびすぎてどうなる事かと思い、改変世界でみんな何となく大団円に終わるのかとか、概念となったまどかにほむらが一緒についていって二人で超次元存在になるのかとか、もっと観念的な感じで終わってしまうのかと心配していたのですが、改変後の世界でも彼女達が魔法少女として戦っているという所で、あれ? と首をひねった所から、予想を遙かに超える形で、ヒーロー物として綺麗に着地。
「世界は改変されました」=「世界から悪という概念が消滅しました」
ではなく、相変わらず世界は歪みに満ちている。
人はそんなに都合の良い生き物ではない。
けれど、記憶を取り戻し、絶望しない揺らがぬ正義の理由を見つけたほむらは、そんな世界に抗い続ける事で、本物の正義のヒーローとなる。
まどかの為のヒーローになりたかったほむらが、
まどかの為にまどかの愛した世界を守るヒーローになる。
――「いつかまた会える」という新しい約束を、胸に秘めて。
素晴らしく美しい着地
さんざん屈折したヒーロー像を色々と盛り込んできた今作ですが、凄く正しいヒーロー物としてのエンド。それから、ほむらにとって人生のトラップとなっていた「約束」を、ちゃんとまどかが更新しているのも、素晴らしい。これにより、改変前の世界で、まどかの為のヒーロー、として自分の望む結末に辿り着けなかったほむらが、それを認めた上で、新しい道を歩む事が出来るようになっている。
まあ、まどかにスポットを当てて考えると、実のところどうなのかしら、というのもあるかとは思うのですが、これ、“ほむらが本物の正義のヒーローになる物語”と捉えると、凄く完璧な構成。
最終盤、まどかの為の正義のヒーローになりたかったほむらは如何にして救済されるのか、という所に焦点のあった私としては、凄い大満足。
正直、10話を見終えた所で、凄い作品になったけど、こうなるとラストはヒーロー物から離れるかなぁと思っていたのですが、まさか、ここまで見事にヒーロー物を見せてもらえるとは、思いもよりませんでした。
素晴らしい。
それから、
「世界は改変されました」=「世界から悪という概念が消滅しました」
というのは、「それなりの物語を積み重ねて」「それなりの犠牲を払ったのだから」と、つい(厳密にはそうではなくても、そう見えかねない形で)やってしまうのですが、それをやらなかったのは、作り手が世界に対して真摯であり、ひいては人間性に対して真摯である、という事で、好印象。
同様に、改変後の世界にきゅうべえが存在している、というのは非常に重要。きゅうべえは人間から見たら「悪」と言えない事も無いけれど、あくまで人間性から発生する善悪の概念とは別の所に居る合理性の生物なので、まどかの祈りの結果が、都合の悪いものを全て消すという世界改変をしていない証左にもなるし、単純にきゅうべえを悪役にして済まさなかった事で、物語全体の構造が生きます。
萌え?とか魔法少女の皮をかぶっているけど、なんか平成ライダーっぽい思想背景(「“正義の味方”を語り直そう」)だなぁ……という取っかかりで見ていた本作ですが、10話のジャンプアップを経て、物語としての完成度を高めた上で、独自に“正義の味方”を語り直す事にも成功し、素晴らしい作品として着地しました。
ヒーローの持つ哀しさと滑稽さと格好良さを、これだけ詰め込んで表現してみせた作品も、なかなか無い。
名作。
それにしても、2011年というのは、くしくも戦隊史の集大成として『海賊戦隊ゴーカイジャー』が始まっていて、振り返るとヒーロー物の当たり年だったのだなぁ。『まどか☆マギカ』が『ウルトラマン』以降の特撮ヒーロー史をかなり意識的に踏まえている(と思える)事を考え合わせると、そういう、時代のよくわからないタイミングが生んだ、共時性の年でありましたか。
以上、特撮脳による、“正義のヒーロー”という要素を中心軸にした視点の、『まどか☆マギカ』感想でした。