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『キャプテン・アメリカ:ウィンターソルジャー』感想


ニューヨークを震撼させた侵略者との戦いから2年――S.H.I.E.L.D.の船舶が海賊によって占拠され、キャプテン・アメリカ(スティーヴ・ロジャース)とブラック・ウィドウ(ナターシャ・ロマノフ)は、ストライクチームと共にこれを奪還。しかし作戦中、ナターシャがニック・フューリーの密命により機密データの回収を行っているのを目にしたスティーヴは、腹の底を見せないフューリーへの不信感を募らせる。
一方、フューリーもまた、S.H.I.E.L.D.が進めるヘリキャリアとスパイ衛星の連動による大規模なテロ監視システム「インサイト計画」に疑念を抱き、独自の調査を進めていた。入手した機密情報が解読できなかった事から「インサイト計画」の延期を具申したフューリーだが、その身に突如、危機が迫る……!
誰が敵で、誰が味方か、誰も信用出来ない混沌の中で、キャプテン・アメリカは正義を貫く事が出来るのか?!
盾が! 超活躍した!!
良かった。
スーパーヒーローお祭り映画『アベンジャーズ』を軸とする、マーベルヒーロー映画シリーズの1本で、『キャプテン・アメリカ』タイトルとしては2作目。時系列としては『アベンジャーズ』の物語から2年――という設定で、独立した作品の形は取りつつも、他のシリーズ作品と細かく関連づけられ、大きな《アベンジャーズ》という物語の中の1エピソード、という構造。
その為、キャプテンの能力の秘密や、S.H.I.E.L.D.など、基本的な事項に関しては一切説明が無いので、どうしてもシリーズをある程度見ている人向け、の作品ではあると思います。ただその上で、キャプテン・アメリカの誕生を描いた『キャプテン・アメリカ:ザ・ファースト・アベンジャー』(以下、前作)が直球の馬鹿ヒーロー映画だったとの比べると、馬鹿分は抑えめでもっと間口の広いアクション・スペクタクルになっています。
元よりキャプテンが、巨大化したり空飛んだり稲妻呼んだりしないヒーロー、という特性を巧く物語に取り込んでおり、スーパーヒーローが個人の力であらゆる難関を突破していくのではなく、もしも特殊部隊に主力武器が盾と並外れた筋力という男が居たら? というアプローチで物語が作られているのが特徴的。
大雑把に言うと、主人公がジョン・マクレーンではなくスティーヴ・ロジャースな『ダイ・ハード』みたいな。
そしてそのアプローチにより、スーパーヒーロー映画としての魅力が損なわれているか? といえば、要所要所でヒーロー映画としてのポイントはしっかり抑えられており、その本分を忘れずに『キャプテン・アメリカ』している所が、非常に素晴らしい1本。
冒頭、キャプテンの軽い超人能力見せとして、常人離れしたハイペースのランニングシーンから始まるのですが、この「走る」が今作のベースアクションとなっており、現代火器に筋力と盾で挑む男のアクションを、疾走と組み合わせる事でスピーディに表現したのは、非常に秀逸。
市街地でのチェイスシーンや銃撃戦も迫力満点で、金のかかったアクションが次々と繰り広げられ、サービス精神豊富かつ全体のテンポとバランスも良し。
現代アクションとスーパーヒーローの融合として、良く出来た映画でした。
面白かった。
以下、本編をなぞりながらの感想。結末まで触れるので、ご留意下さい。
−−−−−
上述したように、まずは超人ランニングから。コミカルな要素も入れつつ退役軍人のサムと出会うスティーブ、という軽いジャブながら、「走る」という要素がこの後のアクションの前振りになっているのが巧い。
海賊に制圧された船の奪還に向かったキャプテンは、走りながら、殴る、蹴る、盾を投げる!
前作ではキャプテンの超人ぶりを殴られた相手が派手に吹っ飛ぶというリアクションで表現しており、これが少々、合成っぽさが強くて不満があったのですが、今作はキャプテンが様々な体術を見せ、時々3人に1人ぐらい派手に吹っ飛ぶ、というのが良いバランスになっています。しっかりと体術で敵を制圧する姿を描きつつ、その合間合間に盾を放り投げる、そしてやっぱりスーパーパワー。だけどトンデモ超人でもないので、敵が達人クラスだとちょっぴり苦戦。
なんとか人質の救出に成功するキャプテンだが、ナターシャが別命を帯びて独自行動を取っていた事に対して、軍人とモラルの人として不満を抱き、フューリーのやり方に反発。フューリーはそんなキャプテンに、S.H.I.E.L.D.の進める「インサイト計画」の全貌を明かす。
インサイト計画」――それは3機の新型ヘリキャリア(『アベンジャーズ』に登場した空中戦艦)とスパイ衛星をリンクさせ、恒久的に上空を飛び続けるヘリキャリアにより、衛星の見つけ出したテロリストに先制攻撃を仕掛けるという、防衛システムであった。“罪”を犯す前に“敵”を倒す……それはもはや自由の為の戦いではなく、恐怖による支配ではないか、とますます反発を強めたキャプテンは、兵士としての自分に思い悩み、スミソニアン博物館の自分展示コーナーに(笑)
ここはキャプテンの人間的弱さを見せると同時に、後の展開への振りも含めて、前作のおさらい要素。
「君が関わったS.H.I.E.L.D.だから僕は居るんだ」
高齢で病床のペギーを見舞い、ちょっと愚痴るキャプテン(笑) 前作後半では鋼の愛国戦士と化してしまったスティーブですが、『アベンジャーズ』を経て、ただの愛国戦士ではない部分が描かれキャラクターに厚みが出たのは今回凄く良かったところ。
ブラック・ウィドウが事あるごとにガールフレンドを世話しようとしたり、“初心でナイーブな95歳”の描写が巧く活きました。
その頃、ナターシャの持ち帰ったデータを読もうとしたフューリーだが長官権限でもセキュリティを解除できなかった事から「インサイト計画」そのものに疑念を抱き、上層部に計画の延期を要請。副官的存在であるマリア・ヒル接触をはかろうとするが、突然の襲撃を受ける。
最初の掴みであった船での戦いに続き、市街地でのカースタントと銃撃戦は、大迫力。超人では無いフューリーの、メカを駆使しての戦い、というのが作品全体の中でもいいアクセントになりました。
そんな騒ぎが起きているとは知るよしもなく、退役軍人省でサムと再開後、帰宅したスティーブはお隣さんを軽くナンパとかしてみる。……夜分に、「地下のではなく、僕の洗濯機を貸そうか?」はナンパとしてありなのかスティーブ(笑) いや多分、駄目なナンパな例なのでしょうけど。
見事にナンパに玉砕したスティーブは、部屋の中へ逃げ込んでいたフューリーから謎のデータの入ったUSBメモリを受け取るが、直後にフューリーは謎の暗殺者ウィンターソルジャーの狙撃を受けて暗殺されてしまう。…………まあ、ほぼあらゆる視聴者の想像通り、死んでいないのですが。
フューリーの「誰も信用するな」という言葉を聞き、USBメモリを咄嗟に自動販売機に隠したスティーブは、フューリーの更に上役であるピアース司令にも情報を隠すが、その為にS.H.I.E.L.D.の特殊部隊に追われる身となってしまう。
ところで、偉い人とお話する時は、ちゃんと盾を外すキャプテン。部屋を辞す時に、背中にがしっと装着して帰るキャプテン。……帽子みたいな扱いなのか、それ。
逃亡したキャプテンはブラック・ウィドウと合流し、メモリの出所を追う事に。キャプテン基本、脳まで超人血清が行き渡っているので、知力の高い相棒といいコンビに。追撃班を筋肉で撃退しようとするキャップに対し、恋人のフリをして巧くやり過ごすナターシャとの対比がいい味を出しています。
そして偽装の為のキスで唇を奪われ、一生懸命強がるのが最高(笑)
「せ、1945年から70年ぶりのキスなわけが、ないじゃないかーーーーーーーーーーーー」
……というか、1945年でもキスしていた記憶が無いのですが、してたっけ……?
今回とにかくキャップに凄く可愛げが付けられており、『アベンジャーズ』の萌えキャラとして名高い、ソー兄上の地位が危ない。
私服でも背中に盾を背負っているとアイデンティティが保たれてしまう辺りも、素敵。
メモリの出所を探った2人が辿り着いたのは、かつてスティーブ・ロジャースが所属していた、陸軍の訓練キャンプ。2人はそこでS.H.I.E.L.D.の秘密施設を発見し、更にその地下で、連結された大量の旧式コンピュータを目にする。
「今、君たちは私の頭脳の中にいる」
ナターシャがUSBメモリを差し込むとディスプレイに浮かび上がったのは、かつてヒドラに協力していた天才科学者、Dr.ゾラ。戦後、優秀な科学者としてS.H.I.E.L.D.に雇われたゾラは、死の前にその人格情報を膨大な量のテープに転写し、コンピューターの中に生き続けていたのである!
ここまで現代アクションとして描かれてきた今作ですが、ここで、人格をコンピューターに写したマッドサイエンティスト、というレトロフューチャーが炸裂!
ちょっとバカ展開なのですが、大まじめにシリアスなシーンとして描かれているのが素敵。
キャプテン・アメリカの手によって壊滅したと思われた秘密結社ヒドラ……だがその種子は、様々な形でS.H.I.E.L.D.の中に入り込み、密かに歴史を混沌へと導いていたのだった。そしてその混沌の果ての管理――それを成し遂げるのが、「インサイト計画」。ゾラの口から全ての真相が明かされる前に、施設はS.H.I.E.L.D.のミサイル攻撃によって吹き飛ばされ、何とか生き延びた2人は、サムの住まいへと逃げ込む。
S.H.I.E.L.D.の内部にヒドラが巣くっていた事を知ったキャップは、ゾラの人格データを船の中に持ち込んでいたS.H.I.E.L.D.士官シットウェルの誘拐を考え、それに協力を申し出るサム。退役しているサムを巻き込むわけにはいかない、と一度は断るキャップだったが……
キャプテン・アメリカが助けを求めてる。これ以上の戻る理由があるか?」
これは『キャプテン・アメリカ』ならでは、でとても良かったシーン。
ただのスーパーヒーローではなく、かつてアメリカを救った歴史上の偉人であるキャプテン・アメリカだからこそ、というのが、単なる定番以上の重みを台詞に持たせました。
……吹き替えが大惨事な事だけが、本当に残念。
ひとくくりにタレント起用を否定したくはないのですが、サムは凄くおいしいキャラなだけに、吹き替えで物凄く台無しになっているのが、非常に残念。特に今作はスティーブ:中村悠一が絶好のキャスティングだけに、とにかく勿体ない。
サムの協力でシットウェルの身柄を確保し、尋問の為に高層ビルの屋上からキック。真っ逆さまに落ちていくシットウェルだが、それを拾って屋上に戻ってきたのは、背中に翼をつけたサム。実はサムはただの落下傘兵ではなく、個人飛行用バックパックユニット・ファルコンを扱う特殊訓練を受けた兵士だったのである!
サムはてっきり、作中にユーモア成分を入れつつスティーブと友情を結ぶいい奴で、途中でぽくっと死ぬのかと思っていたので、新たなヒーローだったという、これは驚きました。わかっている人には最初からわかっている要素だったのでしょうが、落ちたシットウェルを拾ってくる、という最初の見せ方も面白かった。
なおファルコンはとある軍事基地に厳重に保管されていたのですが、キャプテンとナターシャが勢いで入手してきました。思いっきり追われる身だった筈なので厳密にはかなりツッコみ所なのですが、まあ、テンション高くてテンポ良いので良し(笑)
シットウェルの口から明かされる「インサイト計画」の真実――それは、ゾラの組んだアルゴリズムにより、様々な情報を総合し、現在〜未来を含め、ヒドラを脅かす可能性を持つ数百万人をヘリキャリアで抹殺するという、恐るべき大量虐殺計画であった。計画の発動まで約16時間……S.H.I.E.L.D.本部へ向かうキャプテン達だが、その前にウインター・ソルジャーとストライクチームが立ちふさがる。
ここでの戦闘シーンは、道路の一部を封鎖してロケに協力してくれる都市があり、セットではなく実在の市街で撮影したとの事で、羨ましいを通り越して呆れてきます(笑)
キャプテンvsウインターソルジャーは、ナイフコンバットも交えた肉弾戦で、これがまた格好いい。前作では拳銃も使用していたキャプテンですが、今作では徹底して肉弾戦にこだわっています。また、肉体の動きの中に機械の動きが混ざるウィンターソルジャーの義手の描写も秀逸。
激闘の中、鋼鉄の左腕で愛国シールドの一撃さえ止めるウィンターソルジャーの正体が、死んだ筈の親友バッキーだと知ってしまうキャプテン。二次大戦の折に谷底に落下して死亡したと思われたバッキーはヒドラによって改造手術を受けており、人格矯正の末に記憶を失い、ヒドラの為に数十年に渡って暗殺任務を遂行するウィンターソルジャーと化していたのだった。
前作が正義の愛国超人vs悪の改造人間という対決だったのですが、今回もその構図が再び。
ストライクチームに確保されてしまうキャプテン達だが、いつの間にやら潜り込んでいたマリア・ヒルに救出され、秘密のアジトに潜伏していたフューリーと再会する。マリア・ヒルさんが説明無くハイスペックですが、相変わらずお美しいので、大抵の事は許されます(待て)。
インサイト計画を阻止するには、ヘリキャリアの武装プログラムを書き換える他ない。フューリーが用意していたブレードを見せられたキャプテンは、プログラムだけ書き換えて中のヒドラをぶっ飛ばしたらキャリアは回収してね、というフューリーに対し、ヘリキャリアもS.H.I.E.L.D.も、全てぶっ壊す宣言。「いやいやそれはやり過ぎじゃねえのスティーブ?」と待ったをかけるフューリーだったが、マリア・ヒルすらキャプテンに賛同して味方を失い、作戦の指揮権をキャップに預けるのであった。
ウインターソルジャーを倒せるのか、と気遣うサムに対して、親友バッキーの記憶を必ず取り戻してみせる、と意気込むキャプテン。
「準備しろ。行くぞ」
「その格好で?」
「いや。戦う時は、戦闘服だ」
高らかな宣言と共に、キャプテン、スミソニアン博物館に飾ってあった旧スーツを窃盗。
今回、私服姿でのアクションが多かったキャプテンですが、ここで遂に、愛国タイツ再び。
凄くバカですが、「これはスーパーヒーロー映画だ!」という、クライマックス前の重要な宣言と見えます。
それはそれとして、本部へ向かう道中、マリア・ヒルさんは(どうしようコイツ……)と思っているに違いありません。
キャプテン、サム、マリアの3人は通信室を占拠し、キャプテンの「S.H.I.E.L.D.の中にヒドラが潜んでいる」という暴露による混乱の中、飛び立ってしまうヘリキャリア。
映画全体の筋にほとんど文句ないのですが、ここだけ、キャプテンの中途半端な演説で、S.H.I.E.L.D.職員に無駄な被害が増えた気がするのは、気になったところ。演説を聞いて職員がキャプテンに味方する事がクライマックスで何か役に立てば良かったのですが、主要キャラの見せ場を連発する都合で、あまり役だったように見えませんでしたし(^^;
キャップとサムは飛び立ったキャリアに乗り込み、サムが空中戦で大活躍。ファルコンは格好良いのですが、属性:空がアイアンマンの下位互換っぽいので、アイアンマンと被った時に不安。あと、背中に大きな翼を背負って二丁拳銃で戦う姿は、どう見ても敵キャラ。
2人が2機のヘリキャリアの武装プラグラムの書き換えに成功している頃、別ルートで潜入したブラックウィドウとフューリーは、黒幕ピアースを出し抜き、S.H.I.E.L.D.の機密を全世界へと公開する。
外と内、2面のクライマックスは一歩間違えるとどっちつかずになってしまうのですが、テンポの良い切り替えと二転三転する出し抜き合戦でブラック・ウイドウ側も面白くなり、悪役ピアースも最後まで存在感を出しました。
キャプテンはウィンターソルジャーとの壮絶な戦いの末、銃弾を受けながらも何とか3機目のプログラムの書き換えに成功。「インサイト計画」の発動寸前、目標を書き換えられたヘリキャリアは、お互いを標的と認識して撃ち合いを始め、大型兵器による潰し合いは、本作の最後を飾るにふさわしい、ど派手なクライマックス。
そして沈み行くヘリキャリアの中で、鉄骨に挟まれたウインターソルジャーを救うキャップだが、ウインターソルジャーは問答無用でキャップに攻撃を加える。
記憶を消されている友人に「思い出せ」と言うなら、せめてその仮面を取れとずっと思っていたのですが、ここでようやくマスクを脱ぐスティーブ(笑) それでも思い出せないウインターソルジャーを相手に、スティーブは魂の盾を捨て、抵抗をやめる。
「殺せよ。……最後まで一緒だ」
その腫れ上がった顔を見て、親友、思い出す(笑)
……や、「最後まで一緒だ」というのがスティーブの回想シーンで用いられた友情の台詞なのでそれがキーだったのでしょうが、流れ的には貧弱だった頃のスティーブの印象が一番強かったとしか思えません(笑)
ヘリキャリアの崩壊でキャップは湖に落下し、これは、前作のラスト、氷海へ沈むキャプテン、と意図的な被せか。そのまま湖底へ沈むかと思われたスティーブだったが、鋼鉄の腕がその体を引き上げ、全ての記憶を取り戻したのか取り戻さないのか、湖岸にキャプテンを横たえたウィンターソルジャーは、何処へか姿を消すのであった……。
ここからエンディングで、S.H.I.E.L.D.解散?後の主要キャラ。
最後にサムと殴り合いしたストライクチームのリーダー格が意外にも生き残っているのですが、瀕死の重傷っぽいもののわざわざ描写が入ったという事は、サイボーグ化して再登場などの可能性もあるのか。フューリーはヒドラの痕跡を追ってヨーロッパへ飛び、ナターシャは身分を変えて姿を消す事に。そしてスティーブとサムは、ナターシャから受け取った資料を元に、ウインターソルジャーを追うのだった……。
それにしても『アベンジャーズ』の時も何かそんなオチだった気がするのですが、どうしてこの人達は最終的に、
逮捕できるものなら逮捕してみろ!
という所に辿り着くのだろう(笑)
ここからやたら凝ったスタッフロールが始まり、珍しいな、と思ったら、そういえば忘れていたタイトルコールで、その後に次回作への引きが入り、ヒドラとの真の戦いはこれからだ……! というEND。この辺りの造りは1本の映画としてはマイナスなのですが、そういうシリーズですし、今作、非常に内容が充実しており一つのエピソードとしての満足度が高いので、あまり気になりませんでした。
その後、本当のスタッフロールが入って、最後の最後で、スミソニアン博物館で自分の展示を目にするバッキー、でオチ。
タイトルコールのキャスト紹介は、レトロな感じが作風とはまり、素晴らしく格好良かったです。
総じて金と時間をかけた!! という大作で、その上で要素を盛り込みすぎる事もなくテンポ良くまとまった良作。満足の出来。アクションもただ派手なだけではなく、状況と目標、主要人物を切り替える事でバリエーションを出しており、一つ一つのアクションシーンにしっかりとした意味を持たせているのが良し。
作品としては、アクションの描き方とも繋がるのですが、スーパーヒーローであるキャプテン・アメリカを主人公としながら、
ヒーローが現実をぶち破る話ではなく、現実にヒーローが取り込まれている話
というのが特徴的。
これはまた、70年後の世界に馴染もうとするスティーブの姿と、社会復帰を目指す帰還兵の苦悩(アメリカの重要な社会問題)が重ねられている事とも繋がっています。
そこでかつての想い人や親友への思いを通して、スティーブのナイーブな部分が描かれたのが良かった所。
で、最終的には全てひっくるめて、「いや。戦う時は、戦闘服だ」で吹っ飛ばす! これぞヒーロー映画です。満足の1本でした。