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『ドクター・ストレンジ』感想(ネタバレあり)


 交通事故を起こして両手を自由に動かせなくなってしまった天才外科医スティーブン・ストレンジは、懸命に治療法を求め続けた末、ネパールに辿り着く。その地でエンシェント・ワンと呼ばれる人物と出会ったストレンジは、多元宇宙――マルチバースの存在を教えられ、そこから力を引き出す魔法の修行を始める事になるのであった……。
 元天才外科医の魔法使いヒーローの誕生を描くマーベル・ユニバース映画。『アントマン』がかなり面白かったので、更なるヒーロー誕生映画として期待していたのですが、全体的にもう一つノれず。
 炎の鞭やインテリジェンス・マント、割れるニューヨークにマジカル扇子など各種ギミックの映像表現は非常に格好良く、このレベルの映像で魔空空間を描けたら凄いだろうなぁ……こういう表現手法がどんどん蓄積されていくわけで、これだけ出来ればあれもこれもハイレベルな実写化できそうだなぁ……と思う事しきりだったのですが、物語の方はまとまりの悪さが気になってしまいました。
 基本的には映像の迫力で押していく作品で、映画館で見るのとTVで見るのとで印象が大きく変わりそうではあるのですが、映像的ギミックの味付けが濃い一方で、
 1,主人公のキャラクター性
 2,主人公とヒロイン(一応)の関係性
 3,主人公とエンシェント・ワンの関係性
 4,主人公と兄弟子の関係性
 5,主人公と悪役の対比
 の、どれもこれもが掘り下げ不足。
 (※以下、本編内容に最後まで触れる箇所があります)
 序盤に医者としての主人公が描かれ、天才外科医である事と性格に難がある事は伝わってくるのですが、ならではという強烈な描写が特に無い為、それほど印象が強くならず。その為、主人公の「医者としての信念」や、物語全体として主人公が批判される「自分第一主義」が、今ひとつピンと来ない事に。
 これを補完する要素が2番だった筈なのですが、どちらかといえば視聴者の脳内でこの二人の関係性を補完しないといけない浅い描き方の為、そういった機能を果たせず。
 エンシェント・ワンはエンシェント・ワンで、世界観の説明を最優先してしまう為に、ストレンジとの個人的繋がりが希薄。そしてネパール入ってからの人間関係はこのエンシェント・ワンを中心に回っている為、それぞれ影響しあう4番と5番も表層だけを削った感じに。
 そんな状態で「両手が治る希望をいだいて弟子入りまでこぎ着けたのは良かったけど、よくわからないが魔法の修行をする事に」という展開が1時間ほど続くのですが、ここで主人公が本来は“手段”である魔法の修行にのめり込んでいくのが、知的好奇心の発露なのか、“目的”の為にやむなくやっているのか、という心情に一切触れずに進んでしまう為に、またも主人公の「ドクター」へのこだわりに関する描写が不足。
 勿論、“目的”が最優先だけど知的好奇心もある、というのは普通なのですが、指の治療法を求めて精神世界に最後の希望を抱いて有り金全部はたいてカトマンズまでやってくる時点で主人公は普通ではないわけであり、フィクションの非日常として視聴者へのフックになるのは主人公のその“執念”なのですから、一連の修行シーンにおいて、主人公の“執念”がどちらを向いているのか示すというのは必要な描写であったと思います。
 挙げ句、主人公が禁書に手を出した事で、「仕方ないから教えるけど、俺ら魔法使いは陰でこっそり世界守ってんだよ」と言われるや「いや俺そーいうのいいから」と及び腰になり、これ自体は普通の反応なのですが、ならばなぜ禁書に手を出したのか。指を治すのが目的の筈の主人公がただの好奇心から禁書に手を出してしまうというなら動機付けとしてはあまりに弱く、ここでは禁書に手を出すのが指を治すという目的に繋がっているか、或いはそれと同レベルの執念を動機付けとして必要とするのであり、その描写の欠落によって、今作はここで迷子になってしまいます。
 門前に5時間座り込みで主人公の執着に関しては充分に描いたと思ったのかもしれませんが、この先の展開を見てもそれこそが今作を貫く芯となっているので、むしろ修行シーンと並行してその執着をこそ強調していかなければならなかったと思います。
 せめてエンシェント・ワンや兄弟子との関係性を通して主人公の心の動きを補えれば良かったのですが、それも説明シーン優先で削られてしまい、間接的に悪役との対比も進まないまま、ご対面。
 そこで悪役が永遠の命うんぬんを持ち出して自分の理想を長々と語るのですが、根本的にストレンジと対比が成立していないので、対話シーン自体が空虚。またここで、闇のスーパーパワーを得ている筈の悪役が、まだ魔法使い3級ぐらいの主人公を全く仕留められない上で一度は完全に拘束されてしまい、物凄く間抜けな事に。
 ただでさえデザイン的なハッタリが弱いのに、悪役としての格まで地べたに落ちてしまい、このシーン、必要あったのか。
 ストレンジが転移魔法で病院と行き来している間に部下に助けられたのか、拘束具を外してミッション再チャレンジ、という展開も非常に間抜け。そしてそんな間の抜けた悪役にぶすっと刺されて死んでしまうエンシェント・ワンの格まで巻き添えで下がる事に。
 で、緊急手術中に霊体となったエンシェント・ワンがストレンジに向けてまた長々と語りを始め、映画としてはテンポが悪い事この上ありません。ストレンジとエンシェント・ワンの師弟の絆も特に存在していないので、つい先ほどまでエンシェント・ワンも闇の力を使っている疑惑に眉をひそめていたストレンジが、ころっと「多くを守る為に仕方ない事もあるんだ」と転向するのもだいぶ素っ頓狂。
 直前に「マスター」を拒否してあくまで「ドクター」を名乗るように、「ドクター・ストレンジ」である事が強いアイデンティティであると台詞では繰り返し主張されているのですが、上述してきたようにその「ドクター」である事の誇り、命を守る事への意志の描写が総じて弱く、「ドクターへの復帰」という“執着”が別の意志に切り替わる瞬間が劇的に描けていない為、「ドクター・ストレンジ」というヒーローの誕生が、ぼんやりとしてしまっています。
 原作を知っていると、修行シーンからこのバトルまでの間で、ストレンジが少しずつ原作の姿になっていく、という過程が面白いのかもしれませんが、原作に思い入れが無い身としては、そこは特にプラスに働かず。映像的には、赤いマントを翻す姿は確かにびしっと決まって格好いいのですが、そこに乗る物語が不足しています。
 香港での逆転クライマックスバトル、逆回りに復元していく世界での戦いは、クライマックスでは大崩壊するものだ、という約束事を逆手にとって、映像としてもアイデアとしても面白かったですが、対する悪役が非常に魅力不足の為、もう一つ盛り上がりきれず。ダーク・ディメンジョンの超存在含め、悪側の魅力不足によりカタルシスを欠く構造になってしまいました。
 ラスボスに圧迫面接で勝利する、というのもドクター・ストレンジの描き方次第ではもっと面白くなったと思うのですが、ヒーロー誕生の瞬間が劇的になっていない・悪が映えないのでヒーローも映えない、という二点において大きな失点。
 また決着後に兄弟子が袂を分かつ、というのも非常にスッキリせず。そもそもエンシェント・ワンに対する疑念を吹き込んだのストレンジなのですが、自分は最期を看取った事でスッキリしておいて、兄弟子はそのまま、ってそれでいいのか(^^; クレジット後のシーンで、この兄弟子こそがどうやら次の敵であるような描写がされ、今作はヒーロー誕生映画であると同時に宿敵(?)誕生映画であったと明かされるのですが(故に今回の悪役はそもそも踏み台に過ぎなかった)、単独の映画としてはやはりスッキリしません。
 まあマーベル・ユニバース映画は基本的にクロスオーバー前提ですし、エンドクレジット後の引きシーンはもはやお約束とは化していますが、本編楽しめないとそれらの悪い面ばかり目につくなと(^^;
 全体としては、かつてのような医者には復帰できないけれど、真の意味で他者を救う「ドクター」の魂を持った魔法使い「ストレンジ」として、多少の搦め手を使ってでも命を守るヒーロー誕生、という物語なのでしょうが、肝心の「ドクター」とは何か、という部分の掘り下げ、そこに戻るという執着の描写不足の為、物語の芯が行方不明になってしまった印象。
 それにより、あらゆる関連性の紐付けが弱くなるという負の連鎖が発生してしまい、ヒーロー誕生映画としては、魅力を感じる事が出来ませんでした。
 好き嫌いで言うと今作、クスリと笑いを入れてくるシーンが軒並み個人的なツボに合わなかったので(ストレンジが小粋なアメリカンジョークを口にするも無視されるとか)、どうもスタッフと相性悪かったのかなぁとは。