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『ウルトラマンジード』感想・第25話

◆第25話「GEEDの証」◆ (監督:坂本浩一 脚本:安達寛高
アリエさん出てこなかったーーーーーーーーー!!
割とギリギリまで期待していたので超残念。
「おまえが持つキングの力は、ちっぽけなカプセルのみ。一方、俺は全宇宙から凄まじい量のキングのエネルギーを集めている。今なお増大し、その差は歴然だ」
モミアゲマスターを一蹴して勝ち誇るベリアルが、その根拠にしているのが「キングの力」というのはどこか哀れさもありますが、ベリアルさんの堂々とした態度を見ている限り、もはやキングの力=物理法則、みたいな扱いなのか。
ジードへトドメを刺そうと迫るベリアルだがしかし、オジキの仇じゃーーーーー!!とばかり、星雲宇宙船からカプセルを取り外したゼロがそれをベリアルのカラータイマーに手動で突き刺し、分解酵素を打ち込む事に成功。ゼロ自身は反撃を受けて戦闘不能になるも、ベリアルの体内のカレラン分子を消滅させる事に成功させる。
更に――
「別宇宙から、何か来ます!」
前回ベリアルの気配を感じてちらっと登場したウルトラの父(キングより声が太い)が突如降臨。
「私がこの場を引き受ける! 一旦退いて、体勢を整えるんだ」
マントを脱ぎ捨てベリアルに組み付いた父はフォースフィールドを発動して空間を分断し、往年の名レスラーがかつてのライバルのファイトに興奮してリングに乱入してきた感じですが、光の国って別の宇宙にあるの??と、最終回にしてきょとん。まあ光の国は光の国で、戦後の経済復興とかキング不在による政治的混乱とか色々大変だったのでしょうが、これまで鉄砲玉一人送り込んで任せきりだったのに、最後の最後で組長自ら出入りに参加するというのは、ひどく中途半端な事をした印象。
このフィールドを見てK先生はライハの前から姿を消し、レイトは一命を取り留めるも意識不明。
「ロイヤルメガマスターでも、歯が立たなかった……」
「リク、元気を出して」
「私たちは、ウルトラマンキングの力に触れた。だからきっと、奇跡は起こせる筈」
ニュアンス的には、「キングに会えたほどの私たちだから奇跡も起こせる筈」といった感じだったのかもですが、「キングの力があるから奇跡が起こせる」と聞こえて、どうして最終回にして、敵も味方も神様頼りなのか。
ベリアルの方はまだ、神(キング)の力を地に引きずり下ろす、という事に意味が感じられるのですが、『ジード』単体でいえば、そこに関する憎念をもっと掘り下げて欲しかった所です。どうせ石刈アリエが途中で消失してしまうキャラクターならば、描いておくべきはアリエの情念ではなく、ベリアルの怨念であったような。
キングの力への焦点もケンの降臨も、最終回にしてシリーズメタ要素が怒濤のごとく侵入してきた印象なのですが、やたら尺を割かれるライハのアクションシーンも合わせて、坂本監督のフェチズムがすべからく悪い方向に転がってしまった感。
少なくとも私の期待していた『ジード』からはズレが明確になっていき、この後、どんどんズレていく事に……(^^;
翌日、組長のスタミナ切れによりフォースフィールドが崩壊し、ベリアル再起動。
「老いたな、ケン。おまえに俺は、止められない」
これが、綺麗所の秘書に囲まれながらふんぞり返ってデスクワークしていたおまえと、野郎ばっかの配下に囲まれながら毎日欠かさず筋トレを続けていた俺の差だ! と落伍者のルサンチマンを叩きつけようとケンに迫るベリアル。
ジーッとしてても」
「ドーにもならねぇ!」
それを見ながらライハとリクが拳を打ち合わせ、作戦決行の為にそれぞれの戦いへと向かうのですが、私の中でもはやライハが凄くどうでもいいので、ここで等価の戦友扱いされても、心の針がピクリとも振れません。
このラスト2話、ライハへの思い入れ次第で大きく印象が変わる所はあるでしょうが(少なくとも監督の趣味嗜好は伝わってくる)、結局、私にとっては第8−9話の大惨事が、最終話まで致命的に尾を引く事になってしまい、とても残念です。
「行くぞ。最後の戦いだ。融合。I GO。HERE WE GO。決めるぜ、覚悟。ジード!」
リクはベリアルに向けてゆっくりと歩みながら、ジードへと変身。
「来たか、若きウルトラマン
「また邪魔をする気か、息子よ」
「僕はジード。ウルトラマンジードだ!」
一方、AIBではゼガンの準備が完了。
「カム・タタール・シャドー。時空破壊神ゼガン!」
手を振り上げ、修復したゼガンに乗り込む先輩、格好いいーーー。
そして戦いの趨勢を見つめるK先生を発見するライハ。
「律儀だな。昨日の続きを望むか」
「光栄に思いなさい。私が看取ってあげる」
女戦士のちょっと気取った格好いい台詞ぐらいのつもりだったのかもしれませんが、なんかライハ、ふつーに他人の事をこういう目で見ていそうなのが。
「……エンドマークを打つのはおまえではない。私だぁ!!」
はいバトルバトル。
市街地では作戦通り、ゼガンとジードの光線がぶつかる事で次元の亀裂と永久追放空間が発生するが、ベリアルの攻撃でゼガンは瞬殺されてしまう。最終話にして命の危ぶまれたGメン先輩ですが、爆発したゼガンから弾き飛ばされて地面を転がると、鮮やかな受け身で衝撃を殺して膝立ちの姿勢でパッと戦闘へ顔を向ける動きが、格好いいーーーーー!!
モアとセットですが前後編メイン回までやってしまいましたし、さすがに終盤空気になるかと思ったらむしろ最後まで見せ場たっぷりで、先輩はホント良かったです。
「後は僕がやる。この宇宙から、出ていけぇ!!」
ジードは敢然とベリアルに立ち向かい、それに満身創痍のK先生と激しく打撃を応酬するライハの戦闘を重ねるという趣向なのですが……この二つの戦いを重ねるという事は、ライハに、リクとK先生の双方と同レベルのキャラクター強度が必要になるという事です。ところがそれが著しく不足している為に対応が成立しないどころか、最終話にしてライハに引きずられてマッチアップ相手とされてしまったK先生の株が下がるという大事故(^^;
どうもライハ、かつて復讐に囚われていた者としてK先生の妄執を最後まで受け止める事で断ち切る、みたいな役割っぽいのですが、そもそも「復讐者」としてしっかり描かれていなかったので「復讐を乗り越える姿」が劇的に成り立つわけがなく、K先生の受け皿として何もかも機能していません。
ベリアルにはもはや一顧だにされず、リクにはとっくのとうに踏み越えられているK先生にとって、相手してくれるのはライハぐらい、というのがふさわしい位置づけ、という解釈も成り立つのですが、そんな寂寥感を出したいほど作り手がライハを軽視しているようには受け取れず、画面の向こうとの温度差だけが募ります。
「しょせんお前は実験体。父親の俺を越えられるわけがない。諦めろ」
「諦めない! おまえとの決着は、僕がつける!」
すると突然、ジードの中でウルトラカプセルが次々と光を放ち、
(リク、おまえの声、聞こえたぜ)
「力強く、崇高な意志だ」
宇宙のあちこちでワンカットずつ姿を見せたウルトラ戦士達が次々リクに力を与え、OPファーストカットを思わせるキングの姿が虚空に浮かぶと、流れ始める主題歌をバックにジード5つの姿が勢揃いする、というのは格好いいのですが、まあ格好いいのですが、『ウルトラマンジード』の到達点はここでいいのか……?
今日からおまえはウルトラ組の兄弟分じゃーーーーー!!
と組員一同でベリアルを囲み、最後は一斉必殺技を放つとベリアルの体から強化エネルギーが完全に消え去り、ジードは元の姿に戻ったベリアルを抱えて、時空の亀裂へと飛び込んでいく……!
一方、K先生はライハ渾身の一撃を受けて杖を取り落とし、次元の彼方へ消えてしまったベリアルの行方を探して視線を虚空に彷徨わせる。
「ベリアル様……私は……あなたのお役に立てたでしょうか……」
自信に満ち溢れて慇懃無礼な悪の紳士の正体は、全てを失って暗闇の中で支配者に全てを委ねたひとりぼっちの子供であった、というK先生の本質を、迷子のような表情で見せたのはお見事。
「……ベリアル様……」
自分で運命を選ぶ事をやめ、ベリアルに尽くす、ただそれだけの価値観に全てを捧げてきた星の迷い子は、ベリアルに向けて手を伸ばしながら膝を付く。
「……ええ。あなたはベリアルの役に立った」
果たしてライハはその姿に、かつて家族を失った自分が辿ったかもしれない道を見たのか見ないのか……そっとその手を握りしめる。
「だから……安心して消えなさい」
「ベリアル様……私は、あなたのおそばに……」
緑色の光の粒子となり、溶けるように消えるK先生は、最後まで好演でした。
最終的にライハが“名無しのストルム星人”の「存在を認める」事で、自ら「赦し」に辿り着くというのは美しかったのですが、ライハ自身の積み重ねの薄さから、途中の計算式をすっ飛ばした感は否めません。
個人的には最後の最後、K先生にライハのトドメが迫った所でアリエが飛び込んできて、アリエがK先生の存在を理解して成仏させたら、納得度も高いし石刈アリエという人格も存在していた事になってサヨナラホームランだったのですが、そんな事はなし。“名前の無い者に名前を与える役割”も“打ち捨てられた者を理解しようと手を伸ばす役割”も、ノンフィクションライターという位置づけからふさわしい気がしますし、アリエというキャラクターの意味も出つつ今作の端々に存在していた“書く”という要素の昇華にも繋がったと思うので残念。
2クールもので大きなシナリオ変更があったとは思えませんし、私は私でアリエを気に入りすぎている自覚はありますが、物語の流れからするとなんだか、ライハがアリエの役割を強引に奪ったような印象。
追放空間ではジードとベリアルがぶつかり合い、ベリアルの精神世界に触れたリクは嵐のような激情の奔流に揉まれながら、その過去の一端を垣間見る。
「力だ、力が欲しい……越えてやる、俺を見下したあいつらを!」
(伝わってくる……怒りが、悲しみが)
何度敗れても更なる力を求め続ける不屈のベリアルガッツが描かれ、極悪非道の破壊者というだけではないベリアルの背負っていた鬱屈と悲しみも見せるのは、既存ファンへのサービスという要素もあったのでしょうが、最終回にしてまたしても本編の外側から情報が放り込まれてしまい、坂本監督の“劇場版的演出”が、個人的にはかなり悪い方向に転がってしまいました。
「何度も何度もあなたは生き返り、深い恨みを抱いて……」
ベリアルの打撃を受け止めたリクがその体を抱きしめると、ベリアルの背中から赤いもやもやが抜け出し(以前にコメント欄でさやまきさんからベリアルの経歴を教えてもらっていなかったら、ぽかんとした可能性大(^^;)、白くなるベリアル。
「疲れたよね。もう……終わりにしよう」
精神世界のリクは真のベリアルに触れ、現実世界では両者の最後の必殺技が放たれる。
「わかったような事を言うな!」
「レッキングバーストーーー!!」
ジーードーーーーーーーーーぉ!!」
皮肉にも、ベリアルを受け入れたジードの力は、ジードを取り込もうと画策してきたベリアルの力を上回り、永久追放空間でベリアルは爆散。
「さよなら、父さん……」
父と決着をつけたジードは通常空間へと復帰し、宇宙は救われるのであった……。
ジードvsベリアル、ライハvsK先生、という戦闘の対応にもう一つ加えて、ベリアルとK先生が共に、“理解される”事で乗り越えられるのを重ねる、というのは面白かったのですが、ではどうして、リクとライハが二人を“理解できた”のか? という点が凄く弱いのが残念。
物語として重要なのはその点なわけですが、これまでのリク/ジードの積み重ねと、ベリアルに対する理解が、美しい結実として見る事が出来ませんでした。
これまで物語で描かれてきたリクの目指すヒーロー像は、
「君の笑顔を取り戻す。Here we go」
に始まり、
「警察官、消防士、学校の先生、お医者さんに会社員、人の役に立つ仕事が多すぎる。僕は将来いったい何になったらいんだ!」
「具体的にはわかんないけど、誰かを元気にさせたり、楽しい気分にさせたり、そういう人になれたらいいのかな」
なわけですが、前回今回とこれらの要素がまるで登場してきません。
そして、ここまでリク/ジードがウルトラマンとして立派に戦ってきたのを踏まえた上とはいえ、「諦めない! おまえとの決着は、僕がつける!」という特にリクの目指すヒーロー像を象徴するわけでない叫びを、「力強く、崇高な意志だ」と評し、会長・組長・若頭以下がジードを認める<試練の達成>にしてしまった事で、これまでじっくり建造してきたビルとは、違うビルの屋上に着陸。
第12話において朝倉リクとしてウルトラマンになり、第17話では大衆に認められる事で公のヒーローとなったジードが、最終話で「公式から認められて公認ウルトラマンになりました」という着地点は物語の流れとしてはおかしくないのですが、しかし、朝倉リク個人というヒーローはどこへ行ってしまったのか?
ジード』の到達点は、本物とか偽物とか公認とか非公認とか関係なく、僕が僕らしいヒーローになる事、だと期待していたので、そのだいぶ手前の着地にスッキリせず。第17話において「リク……みんなの声が聞こえる?」をやってきたからこそ、その先の飛翔を期待していたら、次のステップにしてゴールは「光の国に認められる」だったのは、あまりにも物足りない飛距離でした。
そしてそこから、ラストのリクとベリアルのやり取りに線を伸ばすと見えてくるのは、今作の最終的な構造が、「ベリアルが間接的に光の戦士に帰る物語」である事。
つまり今作は最終回にして、「リクが道を見つける物語」から「ベリアルがリクを通して転生する物語」にすり替わっていて、ベリアルに思い入れのない(過去の経緯を知らない)私にはそれは、もう一つスッキリしないわけだな、と。
そこで“すり替えられた”と感じてしまうのが、私と『ウルトラマンジード』という作品の間に生じてしまったズレであり、これは長年シリーズを追いかけていて、ベリアルの物語に思い入れがあるとまた印象の変わる部分なのかもとは思いますが、私個人としては『オーブ』に続いてまたしても、自分の見たかったものと大きく着地点がズレた最終回となってしまったのでありました。
「ベリアルに似ていると恐れられていたジードが、人類を救ってくれました!」
人々は歓声をあげ、この世界の地球人も、要素まるごと放棄されてしまい、最後までなんだかな感。
「終わったよ、ライハ」
「こっちも……終わった」
と言いながらK先生の杖をリクに向けて突き出すライハさんの、最後まで凄いなんだかな感。……えーとそれは、討ち取ったりーーー!的なアレなの? 戦利品として古物商に売り飛ばすの?? それとも、東○名物勝手にお墓にするの???
キングカプセルを起動すると、キングの肉体は戻り宇宙の傷も完治したからもう大丈夫、と適当言い出し、組長と二人でジードの持つ無限の可能性を誉めて揃って帰宅。
――しばらく後、銀河マーケットを手伝うリクは、子供達がドンシャインよりも、ジードをヒーローとしてジーごっこをする姿を目にする。
「見て、リク。君は、みんなのヒーローになったんだ」
劇中劇ヒーローが存在している時点でメタ要素が持ち込まれてはいるのですが、朝倉リクであるジードがみんなのヒーローになった、ならまだ良かったのですけど、公認ウルトラマンになりました=みんなのヒーローになりました、というのは、凄く悪い意味でメタになったような……から、EDテーマが流れ出してエピローグへ。
「平和も戻った事だし。ここ、出ていくんでしょ?」
「はぁ……しばらく居るよ。星雲荘の修理、手伝いたいし」
「ええーーー?! じゃ、私もここに住む!」
最後の最後までふわふわしたライハの発言に興奮したモアが机を叩くと何かのスイッチが入り、鳴り響く警報と回転する警告灯。
『自爆装置が作動しました』
「「……はぁ?!」」
『3分以内に退避して下さい』
訳:真ヒロインは私なのでおまえら二人とも出て行け。
どこかの山の中では、伊賀栗家に別れを告げるゼロ。
「レイト……俺がいなくなっても頑張れよ」
「……自信ないです……」
「大丈夫よ、レイトくんなら」
ルミナさんと繋ぐ手がアップになり、思いの外毛深いレイトさん。
「また、遊びにきてね」
「おぉ! もちろんだ。あ、マユ、俺の子になってもいいんだぞ?」
ゼロよ、それは解釈次第では、人妻へのナンパなので、もうちょっとよく考えてから発言して下さい。
「ゼロさん! 2万年早い――」
「……じゃあな」
頼りない妻子持ちサラリーマンに宿るヤンキーヒーロー、というおいしい要素てんこ盛りのレイト/ゼロでしたが、ゼロのヒーロー強度の高さとレイトさんが上手く噛み合い、ラスト前に家族の話も盛り込んでくれて、良かったです。
(果てしない運命を越えて未来がある。辛いことがあっても、立ち上がり、抗う、そういう力が、僕たちにはあるんだ。合言葉は――)

ジーーーッとしてても!」
「「「「「「ドーにもならねぇ!」」」」」」

と最後は夕陽に向けてリク・ライハ・モア・ペガ・レイト・ゼナが一斉にジャンプし、ラストシーンまで無表情でジャンプする先輩素敵。序盤はその適当加減が気になりましたが、偽装なので無表情で動けるスーツアクターさんに声優が声をあてるというキャラクターデザインの巧さが活き、最終的には今作で一番好きなキャラになりました。
で、一番最初に叫びましたが、終盤お気に入りのキャラクターであり、しかし思い切り放り捨てられてしまったアリエさんは、つくづく残念。
例えば登場時から露骨に怪しい(目が赤く光ったり)とかだったら、自身の強化復活の為に女装もやってのけるベリアル様の面白ポイントになったのですが、さしたる伏線が無かった為にキャラクターとしてのベリアル/アリエの境界線が大変曖昧な上に、アリエの意志はどこまであったのか、ベリアルはなぜ憑依対象としてアリエを選んだのか、などが一切語られない為、最終的に“石刈アリエというキャラクターがどこにも居なくなってしまった”というのが大変不満。
作り手は最初からそのつもりで、“石刈アリエはベリアルの人形に過ぎなかった”からどうでも良かったのかもしれませんが、伏線の提示がろくに無かったので「実はベリアルでしたー!」がこれといって面白く感じなかった事もあり、作品に裏切られたような気分になってしまいました。
仮に石刈ベリエルというキャラクターとして見た場合でも、第23話で用済みになったので生死不明で放置、というのは面白くもなんともない着地ですし。
もしかしたら劇場版で拾われる可能性が0%ではないかもしれませんが、TV本編の評価としては極めて残念で、個人的に大減点。
その他、前回−今回の着地点に関する個人的期待とのズレに関しては上述してきましたが、総合的には立ち上がりに気になっていた脚本と監督の噛み合っていない気配、劇中外のシリーズ前提要素というノイズが、ラストで豪快に物語を侵食してしまい、結局はシリーズファン向けの作品に帰結してしまった、という印象。
《ウルトラ》シリーズとしては、魔王の息子が光の戦士になる物語、に一定の意味があったのでしょうし、元よりそういう企画ではあったのでしょうが、特に最終回は坂本監督のシリーズ全体への思い入れを強く感じる一方で、それが安達脚本の色を極限まで薄めてしまったようにも見え、中盤に芽を出した『ジード』単体のテーマ性や面白さが、花開く事なくシリーズ要素という大波に飲み込まれてしまったのは残念でした。
最後にこの一言を持って、『ウルトラマンジード』感想、ひとまずの締めとしたいと思います。
「ヒロインのレム」