はてなダイアリーのサービス終了にともなう、旧「ものかきの繰り言」の記事保管用ブログ。また、旧ダイアリー記事にアクセスされた場合、こちらにリダイレクトされています。旧ダイアリーからインポートしたそのままの状態の為、過去記事は読みやすいように徐々に手直し予定。
 現在活動中のブログはこちら→ 〔ものかきの繰り言2019〕
 特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)

ニューウェーブ特撮という区分を考案してみる

仮面ライダー THE FIRST』のネタばれ感想の最後にちょっとだけ書いた話ですが、まあ単純に自分の中でそういう区分けをこの辺りでしておこうかなと思った次第なのですけど。名称も別に、「ニューウェーブ」で無くても何でもいいんですけど本当は。ただこういう場合は、「ニューウェーブ」とつけると、昔から相場が決まっているので(笑)
ついでに、前に書いていた『シャンゼリオン』−『クウガ』の話も少ししてしまおうかと(というか、書いていたらその流れになってしまった)。
で、ニューウェーブ特撮の定義付けは簡単。


「ヒーローが敵と戦う」という事情を支えるためには、「正義とは何か」という説得力のある新しい思想を持ち込むか、まったく無視をするか、どっちかしかない。  井上敏樹
東映公式HP・特集「シャンゼリオンメモリアル」内、井上敏樹インタビューより〜
という思想を意識的に取り込んでいるかどうか。
もの凄く端的にいえば、“前提条件としての「正義」”が存在しない世界観において、新たに「正義」の定義付けを作中で行う、或いは「正義」の代替品となる物を見つける、更に或いは全く無視する(笑)、という手法を用いている作品、という事になりますか。
で、これを受けて、聞き手であり『超光戦士シャンゼリオン』プロデューサーである白倉さんか武部さんのどちらかが、

── で、『シャンゼリオン』は後者だと。正義とは何か、考える必要がないという(笑)
と返すわけなのですが、後者の代表作(というかこれしかないか?)が『シャンゼリオン』(1996年)となります。
対して(というか私は合わせ鏡だとずっと思っているのですが)、前者としてこの後に登場するのが、『仮面ライダークウガ』(2000年)。
クウガ』は実は、絶対正義という前提概念の無い世界観で、主人公・五代雄介の正義観(或いは、もしかしたら「正義」とは違うものかもしれない何か)が背景として描かれるという点(一応、EPISODE11・12に一旦集約される)において非常に特殊な特撮作品であったりします。
まあ無論、過去において全く事例が無いというわけでは無いでしょうが、ここで一つ重要なのは時代的なものを踏まえた思想的連動であると御理解下さい。
シャンゼリオン』と『クウガ』の繋がりを紐解く話なので。
ちなみに、五代イズムを含めて、「正義」がある種独善的である、という事に関しては一切否定しないのですよね、『クウガ』。ゆえに組織人して見た場合、もの凄い独善的な一条さんという人が、全く否定されない。あの人の思想・行動パターンが“有り”だという事で展開する。
“正義”という前提条件に則っているから有りだ、ではなくて、この世界観における正義という概念に照らし合わせた時に有りだ、というのがポイントなのですけど、この辺りは微妙な差なのでわかり辛いかもしれず。結局、描いているか描いていないかの差になるのですけれど。
でまあ本当は、“絶対正義という概念”について説明しないといけないのでしょうが、これが非常に難しい(^^;
遡れば『ウルトラマン』に行き着く、というか、要するに『ウルトラマン』(で描かれた事)そのものであり以後70年代以降の特撮ヒーロー作品の基本的大前提というかいわば集団無意識の海というかなんというか、なんですけど。
……無意識、というのはニュアンスとしてはかなり近いかもしれず。
とすると成る程、この無意識の中に切り込んでいる作品をこそ、ニューウェーブと称するべきでしょうか。そうすると本家SFのニューウェーブにおける「内的宇宙の探索」というテーゼと似通ったり似通わなかったり、我ながら見事なレトリックでごめんなさい(おぃ)
オトナになったのか、真っ正面から堂々と嘘を書けなくなりつつある今日この頃です(^^;
……まあそれはさておき、この辺りは『ウルトラマン』の功罪であろうかと思うわけですが、その凄まじいクオリティと先進性ゆえに、あまりにも早く産まれすぎたベストスタンダードなのかもしれない、とは思ってみたり。
とはいえウルトラシリーズも続く『ウルトラセブン』において、あくまでその絶対正義の概念を前提にしてですが、「では正義値とは何か?」という事はやっていて、
(ここで描かれる)正義とは何か? = 地球人の正義である
という所に踏み込んでしまったりはしているのですが、ここに踏み込んだが故に、Q−マン−セブン、というのは本質的に後のシリーズとは一線を画していて、有る意味、3部作(もしくは2部作)だったりもしたり。
『セブン』の話もいずれ時間取って書きたいのですけど。
後まあ、70年代においても当然、そういう疑問(「ヒーローとは何か?」なども含めて)をテーマに持ってきている作品もあるわけですが、同時にあくまでも、絶対正義という概念を前提にした上で、というのが基軸。これは要するに、疑問を呈する為にはまずその思想が存在していなければならない、からなんですけど。
シャンゼリオン』が決定的に違うのは、その無意識を切り離す所から始めよう、という作品である事。
クウガ』の場合、無意識を切り離した上で再び意識の表層で組み立てよう、という作品、かな。
まあこの辺り連動の根拠としては、プロデューサーの絡みの他、脚本家(井上敏樹荒川稔久)の仲がいい、というのも有るのですけどね(笑) でも間違いなく、話し合っている筈。お互い、それぞれの作品にも脚本で関わっていますし。
ちなみに今更ですが、この前提概念を覆すのが正しい、と言っているわけではないので、そこの所は御理解下さい。あくまで区分の話をしているのであり、正義という無意識前提がある作品も作品で、出来が良ければ面白いのです。というかすべからく、出来は良くなければ面白くありません(笑)
あと、結果的にブレイクスルーとなった『クウガ』に関しても、ニューウェーブであった事にも多少の効用はあっただろうとは思いますが、タイミングの問題というのも非常に大きかったと思っており、別にすべからく今後の特撮はニューウェーブに基づくべきだとかは全く思っていませんので。
というよりも今後どちらに大勢が転んでいくかわかりませんが、個人的にはこの辺りで一本、戦隊物以外で(あれはもう1ジャンルとして成立しすぎているので)絶対正義を大前提とした、からっとしたヒーロー物やってもいいのではないか、とは思ったりもするのですけどね〜。
もしかしたらそれをやるのかと思っていた『THE FIRST』がむしろ逆方向に突っ走っていただけに。
サイクル的にはそろそろ、一波ありそうかなという気もするので、とりあえず『超光戦士シャンゼリオン』〜『仮面ライダー THE FIRST』までがニューウェーブひとくくりかなぁ、とか勝手に決めつけようとしているんですが(笑) まあ、来年もう一発何か凄いのが出てくると、それで丁度10年間になるので、それも有りですが。