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生え抜き至上主義と、夢の続き

以下、引用は全て、「Number」745号の、該当記事より。


「7年後の岐路。2002年の最強巨人軍」石田雄太
2009年の巨人は7年ぶりに日本一を奪還した。ベテランが仕事をし、若手が頭角を現す。バランスの取れた理想的なチーム。
そう見えておかしくない。しかし7年前の、最強と呼ぶにふさわしいあのメンバーは、どうなったのだろうか。生え抜きでありながら他チームでの現役を選んだ彼らに「巨人であること」の意味を聞く。
2009年の巨人は確かに強かったが、2002年の巨人は“最強”といっていいチームだった。そんな当時の主力メンバーのほとんどが今、ジャイアンツを離れているという事を下敷きに、当時の主力の一角であった、上原、清水、仁志、桑田へのインタビューを交え、要するに「生え抜きが中心に居ないとドラマが薄いよね?」というのが、大体の主旨と内容。
物の見方は立場によって変わるわけで、一つの反証としては当然ありかとは思いますが、それにしても私が生え抜き至上主義に疑問があるというのを差し引いても、ツッコミ所の多いというか色々とちぐはぐな記事。以下、割と長いので、野球に興味のない方は適当に流してください。
−−−−−
最初に簡単に2002年シーズンの巨人軍の戦績を紹介した後、まずは上原のコメント。
この、一番手で引かれた上原のコメントが、非常に趣深いので、ちょっと長くなりますが引用します。

「FAまでの9年はやっぱり長いなと思います。自分にとっていい時期だなと思ったときに行けたら、もっと楽しかったでしょうね」
「みんな、ジャイアンツに来たがってるじゃないですか。でも、僕から言わせてもらうと、なんでジャイアンツなのって気持ちはありますね。僕は最初、逆指名でジャイアンツを選びましたけど、それはメジャーと天秤にかけて日本でやることに決めて、それなら日本の中のメジャーであるジャイアンツでやりたいという気持ちでした。ただ、それもマスコミが作ったイメージだったと僕は思います。今のジャイアンツのメンバーを見てもそうですけど、生え抜きがチームの中心にいないでしょう。生え抜きをもうちょっと大事にして欲しいという思いは今でもあります。勝てればそれでいいと思っているのかな?」
能力とか人格の関係で投手陣のリーダー役をしていたし今でも慕われているらしいけど、少なくとも巨人が好きなわけでもなんでもない、というのが実によくわかるコメント(笑)
明らかに、メジャーへの踏み台でした、という内容が男らしいといえば男らしいですが。
所属チームに特別な愛着を要求するつもりは全く無いし(これも、日本の野球ファンの悪い病気である)、多分09年の巨人の試合なんてほとんど見ていないのだろうしそれもむしろ見る必要は別に無いと思うので構わないのですが、“生え抜きをもっと大切に”という主旨で、ジャイアンツを去った4人の選手のコメントを引っ張ってきてその一人目が“明らかにチームに愛着が無い”というのは、ライターさんがどこへ向かって走っていきたいのか物凄く謎。
めいっぱい上原側を弁護すれば、「愛着を持たせるに至らなかったチームが悪い」という事になるのかもしれませんが、上原なんて別にポジションの被る補強があったわけでもなくずっとエース格の扱いで年俸もしっかり出していた投手なわけで、「待遇が悪い」と言われても困るというか、長嶋政権下で潰されてきた有望な野手陣ならともかく、どう考えても上原には言われたくない。
そういえば、去年、『週刊ベースボール』か『野球小僧』かで清水崇行の引退特集記事があって、そこで「上原とか二岡にはどうにもチームへの情熱を感じなかった」みたいな事を入団当時のコメントなど拾って記事中で触れていましたが(ただしこれは、「一方で清水さんは……」という書き方の記事ではある)、まあくしくもそれが裏打ちされた感はあります。
しかしまあ、以前に何度か書いた通り、私は上原浩治というピッチャーを非常に高く評価していますが、

「勝てればそれでいいと思っているのかな?」
という発言は、極めていただけない。ファンが言うのは構わないと思いますが、現役バリバリのピッチャーが、建前の綺麗事だろうがなんだろうが、これを言ってはいけない
球団は(巨人だけではなくオリオールズもだ)、“貴方が楽しく投げる為”に、金を払っているのではないでしょう。
もっとも、メジャーへ言った選手の大半の言動と動向を見る限り、日米を比べた時にメジャーの方が「野球をやっていて楽しい」ようで、これは巨人に限らず、日本球界がこの先も考えなくてはいけない問題かとは思いますが。
続けて、清水、仁志のインタビュー。この二人からは、巨人をくさすコメントが特に出てこないのも面白い。まあ、どういうインタビューと編集をしたかにもよりますが。
仁志はまだ先への意識があるようですが、ある程度、やるだけの事をやった、というのがこの二人の場合、コメントからも出ています。
清水はなぁ、堀内時代に一塁コンバート案が出たが清原への遠慮もあって本人が断った、みたいな話を読んだ事がありますが、その真偽はともかく、清水ならありそうな話だ、と思わせてしまう脆さみたいなのを克服できなかった感があります。そしてその脆さは2000年代前半の巨人全体が持っていた脆さであり、再任した原がぶっ壊したくてようやく乗り越えられた脆さでもある。
メジャー挑戦に関して、仁志。

最後にもうちょっとカッコつけて、少しでも輝いて終わりたい。僕がメジャーで通用するとしたら、動きの細やかさだと思うし、内野のバックアップを目指して、なんとかメジャーのスプリング・トレーニングに参加したいんです。たとえ一日で終わったとしても、それはそれでいいと思います。
色々と個人的にはしこりのある選手なのですが、今は、やれる所までやってほしい、と思う。
この後、2002年の日本シリーズ第1戦のスタメンを改めて列記。

去年の日本シリーズを戦ったジャイアンツのスターティング・ラインアップの中に、あのときのメンバーは2人しか残っていない。
(中略)
7年も経てば、レギュラーが入れ替わるのは不自然なことではないのかもしれない。
むしろ、自然な事だと思います(笑)
それこそ、環境の変化も怪我の影響もあったとはいえ、7年前の時点で既に日本の球史に残るバッターと言って良かった松井秀喜が、守備の機会もスタメンも保証されず、チームを移る事になるだけの年月が経ってるのですから。
後そもそも、02年スタメンの内、5番清原と7番江藤は記者の大好きな生え抜きではないのですが、こういう時はスルー。
そして、

ただ、改めて驚かされたのは、ジャイアンツを去った面々のその後である。
(中略……主力メンバーの移籍先、列記)
つまり、ほとんどがジャイアンツを去った後、他球団のユニフォームを着ているのだ。
(中略……移籍した中で現役選手の09年の状況〜かつてのジャイアンツの主力選手の多くが、そのまま引退した話)
……この時期、西本聖がドラゴンズへ、駒田徳広ベイスターズへ移籍したことがかなり珍しい出来事として捉えられていた。
それが、どうだ。
今や、ジャイアンツがを辞めるときが、野球を辞めるときではなくなっている。
うん、普通にいい事ですね。
選手の引退問題に関しては一つ印象深い事があって、だいぶ以前に読んだ本に書いてあった事なので、本のタイトルなども覚えていないのですが、確か川相さんが犠打の世界記録を達成した頃に、川相さん中心に当時の巨人がらみのエピソードをまとめた本で、篠さんだと思ったのですが、その引退の頃に、
「辞めたくて辞める選手なんていない」
という言葉を漏らした、という話。
これが強烈に印象に残っていて、私の中で、野球選手の引退問題を思う時に、いつも出てくる言葉です。
ジャイアンツのスター選手”なんて立場に少しでもなってしまったら、他球団に出ていくのも難しいという時代があったわけで、それと比べたら選択肢が少しでも増えた今は選手にとってマシな時代になったと思う。
そして桑田。02年と09年のチームを比較して。
……ちょっとがっくり来た。

「今のジャイアンツは、勝つことを一番に考えているように僕には映ります。もちろん、勝つことも大事だけど、もっと大事なのはストーリーだと思うんですよ。今のジャイアンツを見ていても、ストーリーが浮かばないという声をよく聞くんです。V9のジャイアンツにはONを中心としたチームのストーリーがあったじゃないですか。やっぱり主役が生え抜きじゃないと、チームのストーリーは描けないんです」
この桑田の発言に関しては、この記事総体へのツッコミ以外に別項を用意して書いてもいいかもしれないというぐらい、重要な要素を幾つか含んでいるのですが、意外だったのは、桑田をして、“ON史観”の虜なのか、という事。まあ年齢を考えればむしろそういう世代なのかもしれませんが。
改めてON時代というのは、やはり球史を俯瞰した時にイレギュラーであり、イレギュラーであるが故にレジェンドになったわけで、至高のロマンとしてONを置くのは構わないかとは思いますが、そろそろON幻想には幕を引くべき頃合いではないでしょうか。そもそも、そのON幻想を90年代に再現しようとした人が、これだけ巨人軍をぶっ壊したわけですし。
付け加えると、ONがレジェンドになったのは、それが V9時代だったという事と無縁ではないのですが、ONがV9を生んだのか、V9がONを生んだのかは、卵が先か鶏が先か的な話ではあるものの、少なくとも“勝つことに必死だった”からONもV9も生まれたのは確か。
勝利が「目的」でストーリーは「結果」なのか
勝利は「結果」でストーリーが「目的」なのか
という問題は一朝一夕にここで答を出せる話ではないのでこれ以上は触れませんが、考えてみるのは面白い。
さてもう一つ、私個人は桑田をそんなに買っているわけではないですが、それでもクレバーな方だとは思うし、多くのファンの期待値を考えた時、桑田の前に用意されたハードルは高く、それだけ望まれている男が、

今のジャイアンツを見ていても、ストーリーが浮かばないという声をよく聞くんです。
というような、こんな空虚な事を言ってはいけない
凡百の徒なら、「あー、みんなが言っているのね、ふーん」で済ませてもいいですが、桑田真澄が「どこかの誰かから“よく聞く”」という論法を使ってはいけない。
調べたら記者は桑田と付き合い長い人みたいですが、桑田レベルの男はその影響力も含め、「じゃあどうするのか?」まで語るべきだし、語るスペースが無いなら、語らない方がいい。

ジャイアンツの織りなしてきたストーリーには、生え抜きの主役が存在していた。
(中略)
50本のホームランを打った2002年、松井の存在感はマックスとなり、長嶋茂雄から監督の座を引き継いだ原辰徳が、松井を核に最強のジャイアンツを作り上げるというストーリーが完成したのだ。
人の見方というのは、色々あって面白い。
ところで、実の所、2002年の巨人軍は強かったし、かなり理想的なチームであった、とは私も思います。いいチームでした。中心が松井だったのも確かだし、他にもピークに近い選手が多くてバランスが取れていた。ただ私にとって、02年の巨人軍で何より印象に残っているのは、福井だったり後藤だったり斎藤だったり鈴木なんです。だからこの記事がそんな彼らを中心に書かれていたら、もしかしたら共感する所もあったかも、とは思わないでもない。
松井のメジャー入り後の補強と、チーム構成について。

仁志や清水を構想から外し、清原と桑田を切り捨て、上原を引き留める事もせず、二岡もあっさりトレードに出した。
だからここで例えば、福井が広島へ、斎藤がヤクルトへ、とか書いたら、「おお、この人にはジャイアンツ愛がある!」と思うけど(笑)
ちなみに02年の巨人において、ある意味では一番輝いていた後藤は、巨人生え抜きを全うして引退しましたね。
名脇役としては、善ちゃんも忘れてはいけない。
しかしこの、いちいち感傷的な書き方が、ある種、真骨頂と思うのですが、構想外というどのチームでも誰もがいずれ通る道と、そこにそもそもチームに愛着のないっぽい人と自業自得の懲罰人事を全てひっくるめて語られても。あと、どうもこの人の脳内では、清原は生え抜きの巨人の選手扱いになっているぽい。
まあ要するに、俺の大好きな02年巨人の流れがずたずたになったのが気にくわない、という話で、そういう他人のロマンとノスタルジーをとやかく言う資格があるのかと言われれば無いのですが、プロのライターが原稿料貰って正論めかして雑誌に書く事かというと、疑問。
最後に、手術後の高橋由伸に触れて、

高橋は現在、生え抜きのチーム最年長だ。彼こそが、ジャイアンツの織りなすストーリーの主役を、松井に代わって務めなければならない。
この期に及んで、7年前に失敗した話を蒸し返せるのは凄い。
そして締め。
少々長いですが、生え抜き史上主義の典型的な論理展開なので、引用させていただきます。

今の小笠原とラミレスに備わった心技体のレベルを考えると、生え抜きの阿部と高橋が3、4番に座るジャイアンツはまだまだ到底、イメージできない。しかし、彼らがそれだけの突出したハイレベルな数字を残し、ジャイアンツの核としての存在感を示すことができれば、待ち望んだストーリーを紡ぐことができる。その間に、主役を務める生え抜きが育ってくればいい。候補はいる。坂本、大田泰示長野久義ら、ドラフト1位の彼らこそが、その位置まで上り詰めなければならないはずだ。
ただ勝てばいいのではなく、どうやって勝つのか。そこに美意識を求められるのが、ジャイアンツの宿命なのである。そして、生え抜きを主役としたストーリーを紡ごうとすることこそが今のジャイアンツの目指すべき“強さ”なのだと、2002年に“最強”のストーリーを紡ぎながら、その後ジャイアンツを去らなければならなかった彼らの言葉が、教えてくれている。
結局これが、私が生え抜き至上主義を好きになれない所で、
自分たちの見たいストーリー
以外を、認めない。
認めたくないものは、簡単に貶める。
日本シリーズ、大道さんの代打同点打を見て何も思わなかったのか?
一度でもトレードに出されたら、その選手の“価値”は落ちるのか?
よそ者は何年いてもよそ者なのか?
どんなにチームに貢献しても「外様」呼ばわりなのか?
それからいつも思うのですが、「チームの中心」って打順の事なのですか?
「生え抜きが4番を打っていない」というのなら全く事実なので、はいその通りです、と言いますが、中心選手、という事なら、筆頭は小笠原になるにしても、今や阿部は立派な、中心選手です。現時点で、原の後継者候補の1番手であろう事も含め、阿部がここまで育ったという部分を無視して話を進めるのも止めてほしい。阿部は十二分に、「生え抜きの中心選手」として評価されるべき。
「松井が去って7年経って、阿部が立派な顔になった」
で良いと思うのです。
「チームの中心」と「打順の真ん中を打っている人」は混同されるべきではない。
まあその意味においては、ONが去った後、まがりなりにも中心選手として4番を務め続けた原辰徳、という選手の功罪はあって、原自身には何の責任も無いのですが、“生え抜き4番スターが常に存在するべき”という夢と誤解を、世に定着させてしまったのはもしかしたら原なのかもしれない。
それもまた、原の持っている星なのではありましょうが。
一時期の巨人軍が著しくバランスを欠いていた事は全く否定しませんが、しかしその一方で、生え抜き至上主義もまた、いびつなバランスであると感じます。何より、ある種の、信仰になっている所に危惧を感じる。
さて長々と書いてまいりましたが、結局はファン間における主義の観点の相違であって、それ以上でも以下でもありません。ただ、そういったファンのロマンとかノスタルジーに、現役選手や将来の指導者候補と目される人物が、安易に乗っかってしまうのは、気を付けてほしい。
少なくとも、現場で骨身を削って、ここまで持ってきた人達が居るのだから。
最後に、同誌巻頭特集の、原辰徳インタビュー記事より。

「2008年と2009年の日本シリーズの巨人のメンバーは大幅に変わっています。ただ、それは変えることが目的ではない。育成から選手が出てきました。でも、我々の目的は育成選手を育てることではない。目的はただ一つ、強いチームを作り上げることしかないんですよ」