はてなダイアリーのサービス終了にともなう、旧「ものかきの繰り言」の記事保管用ブログ。また、旧ダイアリー記事にアクセスされた場合、こちらにリダイレクトされています。旧ダイアリーからインポートしたそのままの状態の為、過去記事は読みやすいように徐々に手直し予定。
 現在活動中のブログはこちら→ 〔ものかきの繰り言2019〕
 特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)

大トミノ祭:『オーバーマン・キングゲイナー』感想8

◆第22話「アガトの結晶」
◆第23話「復活のオーバーデビル」
◆第24話「オーバーマックス」
◆第25話「氷の中で」
◆第26話「ゲイン オーバー」
空中要塞・アガトの結晶(シベリア鉄道本社ビルらしい)を出撃させたキッズは、ヤーパンの天井の都市ユニットの一つを押し潰し、破壊。だがアスハムの策謀などもあり、結晶の動力としていたオーバーデビルがシンシアを取り込んで覚醒、起動してしまう。
アガトの結晶は墜落、オーバーデビルは全てを凍らせながら、東――シベリア鉄道の根拠でありキッズの居城のあったリマン・メガロポリスへと向かう。オーバーデビルを制止するべく、一時的に共同戦線を張るヤーパンの天井とシベリア鉄道だが、オーバーデビルは圧倒的な力で全てをオーバーフリーズさせていく……。
巨大なアーリーオーバーマン・オーバーデビルが登場し、物語はいよいよクライマックス。
ヒステリックな笑いをあげるアスハムは、オーバーデビルに拒否されたり、利用したり、利用されたり、大忙し。何故か勢いでドミネーターを扱っているのですが、これは、シンシアに取り入っていた時に、何か細工していたとか、そういう解釈でいいのか。呼ぶと飛んでくるし。
また、そのケはありましたが、重度のシスコンであった事も明確に判明。妹の為に世界を変える力を手に入れようとする……って、あれ? 『コード○アス』?
アスハムはなぁ、結局、振り回しているつもりで振り回されている、という役を最後まで貫き通しましたが、そういえば今作は、悪の大物、て最後まで居ない。キッズも最終的にそういう感じでは無かったですし、皆が皆、状況を操作できるつもりでいながら、物事の勢いに負けてしまう。
∀ガンダム』にもそういう傾向がありましたが、これは監督の中で、悪の大物を出してしまうという作劇に対する、危機感みたいな物があったのかもしれない。
お陰で、巧く行かない思惑が錯綜する、という消化にちょっと時間のかかる展開になっているのですが。
そのキッズは、最初はオーバーデビルからシンシアを取り返そうとしていたものの、後に予備のドミネーターに搭乗し、オーバーデビルに接触。オーバーデビルに自ら取り込まれようとするも、ぷちっ、と潰されて死亡。あえない最期を遂げました。
22話、アガトの結晶内部でアスハムと近接戦に持ち込み、ノックダウンに持ち込んだのが印象深い(笑)
この世界の人間は、いちいち強すぎる。
オーバーデビルと共にフリーズして封じられていたシンシアの祖母、マルチナ・レーンの助言を受けたゲイナーは、100%の限界を突破したオーバーセンスを身につけるべく、対戦ゲームで特訓開始。そのままオーバーデビル戦に雪崩れ込み、リアルとバーチャルの二刀流で群がる敵を撃破してシンシア救出寸前まで行くが、逆にオーバーデビルに取り込まれてしまう。
ゲイナーとシンシア、極めて高いオーバーセンスを持つ二人を取り込んだオーバーデビルは、キッズ専用列車チェルノボーグと、チェルノボーグのフォトンマット砲の動力源とする為に連結されていたヤーパンの天井を捕獲。エンジンに触手を伸ばし、東へと列車を走らせる。


五賢人A 「ブリザードに閉じこめられてあやつの言いなりに、連れて行かれるなど、御免こうむる」
ゲイン 「いや、ヤツがヤーパンの天井とチェルノボーグに気を取られている隙に、キングゲイナーを取り戻します」
五賢人B 「「わたくしどもを悪魔の結界から逃げられるようにするのが、請負人の仕事でおじゃろう?」
――五賢人の乗るパンサーのコックピットから顔を出すアナ姫

アナ姫 「お黙りなさい。ピープルを守るために、キングゲイナーを取り戻す事が先の筈です。エクソダスには犠牲が付き物だと言いながら、あなたがたご自身は何もなさろうとしないのですね。ミイヤのとなえたエクソダスというのは、自らが動き出そう、という主張の筈です。逃げ出すためのものではなかった筈なのです。それなのに……私もチェルノボーグに移動します。ゲイン殿!」

ゲイン 「は、はいっ……姫様」

アナ姫 「世界を変えてきたのは、いつも若い力であったったという事は忘れないでください」

エクソダスをしながら、いつしかそのエクソダスの中での保守層となり、「エクソダスの為の犠牲」に自分を数えない事にあぐらをかいて慣れてしまっていた五賢人をぶったぎるアナ姫様。
そしてそこへ現れる黒ゲイナー

「姫様のおっしゃる通り。年老いただけで自分達を五賢人だと言える神経には、あきれ果てておりますよ」

ゲームとかでこの展開は知っていましたが、黒ゲイナーは面白すぎ。オーバーデビルの触手の上に造形された椅子に座って、振り子のように揺れながら現れる、という演出も秀逸。
オーバーデビルに心を凍らされたゲイナー(彩色がモノトーン)は、黒い台詞がオーバーヒート。


「おまえらが欲しいのは、キングゲイナーだけなんだろ!」
「うるさいんだよっ、子供のくせに!」
「サラ、君が一番僕を使うのが上手だったよね。僕の気持ちを知っていて、いつも期待を持たせるように振る舞った」
「最初は鼻にもひっかけなかったくせに!」
「僕にはエクソダスなんてない。世界をかちんこちんに凍らせてやる」

仲間達の説得にも心を開かず、ゲイナーとシンシアはガウリをもフリーズさせながら、リマン・メガロポリスへと向かう。キッズが各ドームポリスへ提供し敷設したシベリア鉄道のレールは、全て特別なマッスルエンジンで構成されており、オーバーフリーズを伝導する性質を持っているのであった。そしてその全てのスタート地点が、シベリア鉄道本社跡、つまりはアガトの結晶の下に隠されていた!
「美しいものが好きなんだ」
「そう、清潔なのがいいんだ」
世界中をオーバーフリーズさせようとするオーバーデビル。
急展開で、局地戦が世界の危機へ。
ここはまあ、話を終わらせる格好を付ける為に、派手な事をしないと感。
途中でセント・レーガンの部隊も戦闘に加わりオーバーデビルにざくざくやられるゴレーム部隊など、戦闘もクライマックスらしい感じに。
ところでラスボス化したゲイナーが「引きこもりの頃と同じだ」と評され、その目的が(本質的にはオーバーデビルに操られているのですが)「全てを凍らせて清潔な世界にする」というのは、なかなか痛烈に皮肉めいております。やたらに潔癖な理想論を語る悪役が巨悪のように出てくる作品に対して、そんな幼稚な思想を大仰に持ち込むな、と言っているように見えなくもない。
と思うと、オーバーフリーズを全世界に広げる下準備は整えていた(どこまでそのつもりだったかは不明)キッズ・ムントの名前が「キッズ」なのは、ああそういう事だったのかな、などと。
列車を止めようとするゲイン達、その前に立ちふさがる、アスハム、そして黒ガウリ。
ぶつかり合う、デビル・ニンポーvs女教師ニンポー!
同時進行のアスハムvsゲインより、ガウリvsアデットの方が盛り上がってしまいました(笑)
一方、列車内では、落ち込むサラを、リュボフが励ます。
サラに向けて愛を語る、まさかのリュボフ。
ここは物語の流れ上はおかしくは無いのですが、結局、リュボフ役の声優(二村愛)が最後まで巧くならなかったのが、少々辛い。
ラスト直前で再登場のカリン・ブーンが、出番少ない割にこの時点で既にそれなりの実績のあった折笠富美子とか使っていたりするだけに、なんか勿体ない感もあり。演出論的には、出番少ないけど重要な役回りであるからこそ、それなりの声優をあてる、という面もあるのでしょうが。
列車内に姿を見せたゲイナーに決死のキスをするも、逆にフリーズさせられてしまうサラ。ペロー達は列車の停止には成功するが、オーバーデビルは、ゲイナー、シンシア、そしてサラと共に、リマン・メガロポリスへと向かっていく。
ゲイン達は、ゲイナーの心の奥に呼びかける為、プラネッタのオーバースキルを利用する作戦を立てる。リマン・メガロポリスでのオーバーコートの捜索を仲間達に任せ、一足先に「ゲインをぶん殴りに」飛び立つゲイナー。
たぶんシベリア鉄道のお膝元ならプラネッタのオーバーコートぐらいあるよね? みたいな大雑把な作戦なのですが、アナ姫様が言っていると許せるのが、人徳の為せるわざか。
アガトの結晶跡に辿り着いたオーバーデビルは、シベリア鉄道のレールを用いて世界をオーバーフリーズさせていく。そこへ銃撃を仕掛けるエンペランザ。最終決戦という事で、ゲイン及びエンペランザも見せ場。何故かブリュンヒルデを召喚して、オーバーデビルと怪獣大決戦。そしてオーバーデビルの中から生み出されたオーバーコートを身につけたゲイナーが、オーバーマンサイズに巨大化。「僕はサタンの申し子かもしれない!」と故意に痛すぎる台詞を口にしながら、エンペランザと直接、銃撃戦。
オーバーゲイナーとオーバーデビルの連携攻撃に追い詰められるエンペランザだが、ガウリ隊以下が駆けつけ、発見されたプラネッタのオーバーコートを装着。この、エンペランザ+プラネッタコートがデザイン的になかなか格好良くて、この場限りなのが勿体ないぐらいの感じ。成り行きでなんとなく最終決戦仕様っぽくなってみました。
そして、エンペランザが飛ぶ。
「ゲイナー! 聞こえるか! 俺の声が!」
オーバーデビルとエンペランザの空中戦が背景となり、その手前に牢屋でのゲインとゲイナーの出会いのシーンが重なってくるカットは凄く良い。
オーバーフリーズしたゲイナーが、心の奥の牢屋の中から外を見ている感じが出ると共に、そこへゲインが現れる所が、物語の始まりと綺麗に繋がりました。
プラネッタのオーバースキルの作用により、それぞれの心が繋がり、旅の中での思い出が、3人の心を次々と溶かしていく。
かつて人々の間に不和を撒き散らした“ウソのない世界”が、今度は人と人の心を繋ぐのに使われる、というのはどこまで狙ったのかわかりませんが、なかなか面白い展開。こういう、物事の二面性を取り込むのは、今作の一つの特徴であり、テーマ的なものだったのかもしれません。
ゲームの中にも現実との繋がりがあり、エクソダスをする者としない者の自由があり、この世界にたった一つの正解はなく、愛は時に憎しみを生み、しかし人と人は繋がっていく。
オーバーフリーズを脱したゲイナーは、シンシアと共にキングゲイナーに乗り込み、仲間達がワイヤーで動きを封じたオーバーデビルに突貫。オーバーフリーズの逆、オーバーヒートを発動させ、オーバーデビルを打ち破る。そしてキングゲイナーの発したオーバーヒートの熱は世界中のオーバーフリーズを溶かしていく……。
エンペランザを撃破されたゲインがコックピットを出ると、そこで見たのは、セント・レーガンのゴレームに乗ってここまで来ていたカリンの姿。そして、ゲインとの戦いに敗れてホワイトホール(のようなもの)でドミネーターごとリマン・メガロポリスに飛ばされていたアスハム・ブーン。思わず身を隠すゲイン(笑)
「ゲインを追いかけてきたのか?!」と問うアスハムを
「野生の殿方とは一夜の恋のみ。ロンドンへ帰りましょ」
と連れて帰るカリン。
物陰のゲインも顔を出す事はなく、その場を離れる。
「思った以上に、きついご婦人だったか。 未練を振り切って、エクソダス、か……」
まあ、ゲインは少し、反省しろよという感じですが。
ここで格好良くその場を離れようとして氷で滑って、最後にコケ芸を披露するのは秀逸。ゲインもまた、旅の途中。
ゲイナーがゲインをオーバーしたかはともかく、同じ位置ぐらいには並んだ……のか?
或いは、最後に手を繋ぐ相手を見つけた分、ゲイナーの方が上なのか。
最終回のサブタイトルは「ゲームオーバー」と「ゲインを越えろ」を掛けていて、なかなか洒落ています。
アナ姫のダンスから繋げられたラストシーンではOPと共に幾つかの情景が描かれ、ゴレームに撃たれたと思われたヤッサバと女の子が、氷海に沈んだと思われたザッキを拾っているシーンも挿入。まさかのザッキ再生で、これで名前があるキャラクターで明確に死亡したのはカシマルとキッズぐらいとなりました。終盤の戦闘でセントレーガンの隊員が何人かオーバーデビルにやられたりしていますが、おしなべて生命力の高い人類という事もあり、モブ含めて非常に死者の少ないシリーズとなりました。
モブ含めて、というのがポイントだと思う。これに関しては、富野監督が「あんまり悲惨なのはやめよう」という方向性で進めたそう。
最後は、地平線を見つめる、ゲイナー、サラ、シンシアの3人。シンシアを間に挟みながら、その後ろで手を繋いでいる二人……ヤーパンへ、東の海を目指して、エクソダスは続く! という所で幕。
最終的にヤーパンに辿り着いた所ではなく、エクソダスの途上で終わる、というのは良かったと思います。
ラストが、手を繋いでいる二人、で終わるのも趣深い。
で、間にシンシアが居て、誰かが背後に来た(シルエットから一人はおそらくゲイン、もう一人はちょっとわからない)、という所で終わるのが今作の着地したテーマなのかな、と。
最終回は、久しく出番の無かった看護婦さんなど、ほんの一言ぐらいでも、各人に台詞があるのは嬉しい所。
結局最後までキングゲイナーは出鱈目マシンのままでしたが、途中で少しキングゲイナーの出自と秘密みたいな方向に流れかけたけど、『∀ガンダム』とかぶりそうになって軌道修正したのでは、という節あり。
基本的には積み重ねた伏線を綺麗に納めるというよりは、物語の勢い優先で面白ければOK、みたいな作品なので、らしくていいかな、とは。
監督のそういう作劇に慣れているのであまり気にならない、という部分はある(笑)
全26話という事で、幾つか出来の悪い回の存在が目立つ所はあるのですが、全体としては面白かったです。感想には幾つか解釈も交えてみましたが、テーマがどうこうというよりは、どたばたを楽しむ作品かと思います。余計なものを振り切ってそこへ着地したというか。
∀ガンダム』で、ある程度、《ガンダム》という呪いに責任と決着をつけた富野由悠季監督が、改めて物語の勢いと愉しさを追求した作品。
インパクト重視の部分はあるので、ゲームなどでネタを知っていた事で面白さが減じた部分は多少あり、それは勿体なかったですが、まあこれは仕方がない。
個人の好みでいえば、富野監督作品は、もっとギリギリのテンションで展開する話の方が好きなので、演出のテンポが微妙に好みと合わないエピソードもありましたが、今作は従来作よりもう少し、柔らかく作った作品なのでしょう。『∀』で志向した柔らかさをもう少し伸ばしたといった感じですが、その点、『∀』はテンションと柔らかさのバランスが絶妙に好みの作品だったので。
そういう幅の部分を含め、やっぱり富野監督にはもっとアニメを作ってほしいなぁ、と思うわけであります。
……ところでキッズの顔が微妙に監督をモデルにしているように見えるのは、気のせいですか。