ヨーコとカミナの痴話喧嘩で岩盤が崩壊、地底深くの村に落ちたシモン達。そこは、村の池に埋まるガンメンを「顔神様」とあがめる、貧しく小さな村だった……。
へそ
そうか、へそなのか、カミナ……。
個人の性癖の問題はさておいて、“因習に縛られる閉鎖的な土地を主人公達が訪れて……”という旅ものの定番ですが、最初から最後まで、カミナ達は解放者になりえない、というのがちょっと面白い。
天上人であり神の使者、と誤認されるところから始まり、ここでのカミナ達は明らかに客人(まれびと)でありますが、最初から最後までカミナと村人の関係は「俺にはさっぱりわからねェ」ままであり、閉鎖性に対する何らかの変革はもたらされない。
ここで主人公サイドの視点がカミナだけだと、物語上の「敗北」とも言える状況になってしまうのですが、シモンというもう一つの視点が加わる事で、「変わらない事を尊重する」事によりそれを回避しているのは、今作の2面構造をうまく生かしているところ。また、そんなシモンが、“旅立つ側”である所に、シモンの成長がそれとなく描かれているように見えます。
一方で、二人の子供の天上(つまりこれは、“海の彼方”である)への旅立ちが、あくまで村では祝福とされている事を考えれば、祝福を与えるものとしての客人の機能を結果的に果たしている。
その上で、ならばそれを本当の祝福に変えてやる、という所に(今回の中では言及されませんがおそらく)カミナという男の意義がある。
また、では何も変わらなかったのかといえば、ロシウが自ら旅立ちを選ぶ事により、個人体験にはとどまるものの、確かにそこに、変化の風は吹いている。
と見ると今回は、作品の大枠をミクロ化したエピソードなのだろうなぁと。
村は世界であり村人は人類であり、そこに異邦人/異分子としての、カミナ一行(グレン団)が現れる。そのもたらす変革は今はまだ世界を揺るがさないが、個人の変化はやがて大きな風になるかもしれない――。
変に2話に引っ張らないで、1話でまとめたのも良かったです。
しかしガンメンは本当に、“気合い”で動かせるんだなぁ(笑)
あと、イデオロギーとかポリシーの話で行くと、ヨーコさんは割と、我関せず。まあ、三つ目の視点を加えてしまうとややこしくなりすぎるので避けているのでしょうが、実にドライ。