踏み込み出すと色々と調べないといけなくて大変な事になりそうだったので避けていたのですが、今回は複雑でねじれたエピソードだったので今後の為にも少しほぐそうとしたら案の定長くなった為、本日はこれだけなので未見の方はすかっとスルーして下さい(^^;
◇『コンクリート・レボルティオ』 第5話
神化42年――宇宙人と地球人のハーフである天才科学者、マスター・ウルティマが火星から帰還し、火星で捕らえた宇宙怪獣の兵器転用を発表。怪獣は米軍の兵器として世界中に配備される事になる。
「怪獣が人間の敵から、平和の守り手になったという人も居ます」
……て、ウルトラマン?!
という、在日米軍の暗喩ともいわれるウルトラマンが、米軍の戦力となった“怪獣を倒す為の怪獣”になぞらえられるという、いきなりの剛速球からスタート。
オマージュの絨毯爆撃とでもいったもので作品世界を構成する事で(同時に、一過性のパロディではなくあくまでオマージュであるが故に、原典の抱えるテーマ性を端から拾って詰め込んでいるというのが凄い所)、いっそ不用意にツッコみにくいという作風に至っている今作ですが、これはさすがに私レベルでもわかります、というか、わかって欲しくて入れている部分だと思われるので、ツッコんでおきます(笑)
神化42年7月――沖縄に配備予定だった怪獣が死亡し、海中に廃棄されたと発表されるが、それは密かに東京に運ばれていた……
そして、東京で怪獣の出現を演出しようとする広告代理店の影。
「3年後の沖縄返還。その時までに、日本人の怪獣アレルギーを何とかする。つまり政府、六本木の筋の仕事だと思いますが」
新たに、広告代理店に勤務する切れ者の女性と、それに絡む謎めいた男が登場。
「超人課、というものを知っていますか。――覚えておきない。私たちの敵の名前だ」
なお、現実の沖縄返還は1972年(昭和47年)5月になるのですが、この時点で「3年後」というのは、1970年の日米安保条約延長と同時の返還を考えている政府の思惑という事なのか、敢えて時制の歪みを入れているのかは、現時点ではハッキリせず。
神化42年8月――広告代理店のそれとない工作もあってか、日本各地で怪獣に対する議論が活発になっていた。怪獣は倒すべき悪なのか、人類の犠牲者なのか。
「でも、人間の人たちは、怪獣さんを難しく解釈したがるよね」
「そりゃ恐らく、怪獣の中に……」
風郎太には人間と成長の仕方が違うと言われ、ウルからは「星の子」と呼ばれて違う世界へ行く事を勧められる輝子ですが、時々「人間」を自分とは違う種族として扱う台詞があります。この辺り第1話の、「私、二十歳になりました」と何か関係してくるのかな、と思っておりますが。
逃亡した怪獣電波の松本を追う超人課は、学生達による、怪獣の戦争利用に反対する平和集会を調べるが、その途中、割と警戒の甘い爾朗が、エクウスに忍び込んでいた少年に、「お前達こそ怪獣じゃないか」と何かの液体を注射されてしまう。
「おまえら全部怪獣だから、怪獣になれ!」
暴走してロックを解除してしまう爾朗と、それに同調したエクウス大暴れ。今のところ由来不明なハイテクで、「超人の能力ではない」という点で今作において異彩を放つ存在のエクウスですが、暴走爾朗とシンクロする事が判明し、ますまず謎に。
「みんな逃げろ! 俺はもう知らん」
て、兵馬さんけっこう酷い(笑)
「これであいつは若者の敵、社会の敵。それを俺たちの怪獣が倒す」
デモグループに合流していた松本は謎の液体によって米軍怪獣を蘇生させ、怪獣はガゴンを飲み込んで再生巨大化。良心的兵役拒否怪獣・メガゴンが、主人公操るロボットと戦うという実にねじれた展開で、怪獣そのもの、怪獣を利用して超人のピーアールをはかっていた超人課、怪獣を兵器として使う米軍、多くの怪獣を街に放った怪獣電波の松本、暴徒すれすれの平和デモ隊……正義も悪もどこにも明確なものはない、という混沌が出現。
第3話において、個人と国家の対立として描かれた柴刑事の「正義」とその否定が、巧くこの下ごしらえとして機能しています。
「メガゴンは我々だ! 我々の怒りが怪獣なのだ!」
「我々が、怪獣……」
爾朗は何とか救出されるが、平和デモ隊はメガゴンを先頭に国会へ向けた行進をスタート。超人課は、事故に見せかけて怪獣の抹殺を図るべく、作戦を開始する。
「深夜ですので、人的被害も、最小限に」
前回、超人ピーアールの為のマッチポンプ計画を裏で糸引いていた事が明確になっている秋田課長、「最小限」の辺りが、実に真っ黒。
一方、変化した笑美が松本をそそのかしていた事に気付いた輝子はその証拠となる雑誌を笑美に突きつけるが、逆に爾朗を除く超人課の裏を知る事になる。
「言うわけないじゃない。彼は心の底から超人が好きなんだもの。許すわけない」
そして明かされる、爾朗の秘密。
「爾朗はただの人間じゃ無い。あなたが考えるより、ずっと強く、危険な存在なのよ。だから私は、爾朗を愛してる。あの人を愛する資格があるのは、こんな風になっても、彼を止める事が出来る者だけよ。――簡単に言うと、爾朗の中にも怪獣が居るって事。私に言わせればどんな人間にもね」
「あなたは、違うんですか……」
「私は、妖怪だから」
この場面では、笑美の喫煙と青い爪が強調され、輝子と対比。活躍と掘り下げが後回しになっていた笑美さんは、「愛してる」を理由に何でもやれるタイプっぽい描写(^^;
爾朗を見舞った輝子は、そこでその過去について知る。
8年前――神化34年1月。東京に怪獣が出現し、その騒ぎの中で閉じ込められていた研究所を抜け出した爾朗は、怪獣の姿に自らの中の血が騒ぐのを感じ、「暴れろ! もっと暴れろ!」と声を張り上げるが、怪獣はテンキュウナイトによって倒される。
「俺は、俺の中に怪獣が居ると知っていた。そいつは、この世界の破滅を望んでいる。そんな俺が怪獣を憎んでいる。でも、本当に憎い怪獣は、倒せない所にいる」
爾朗のキラキラした超人愛の理由は、まだちょっと弱い気もしますが、この時の刷り込み――そして、自分の内なる衝動を仮託した怪獣を、“止められる者”としての憧れ、といった感じでしょうか、今の所。
この「怪獣」がまた、心理的な比喩(「怪物」と類似)と、この世界における実態存在と、そんな怪獣に込められた人間の思いのメタ解釈、の意味が混ざり合っているのでえらく複雑です(^^; 前後の女性陣の台詞も、故意に二重三重に掛けられているという、この徹底的な懲りようが凄まじい。
「私の中にも、居ます、怪獣」
「居ないよ、君には」
「居ないように、見せているだけです。滅茶苦茶、戦ってるんです」
超人課の裏側を知る事になった輝子だが、純粋に超人の為に働こうとする爾耦への想いから、笑美とは違う形で爾朗の側に居ようと決断、部屋を出ると問題の雑誌を廃棄。
「それを見せれば早かったぞ、星の子」
「それじゃ怪獣より酷くなっちゃいます」
その頃、TV中継を連れた平和デモ行進は、メガゴンを先頭に粛々と進み続けていた。
「メガゴンは、みんなに好かれるアイドルになります。悪者となら戦いますから、連れてきて下さいよ」
「超人なんてわけのわからない連中より、こいつの方が頼りになるか」
こればかりは今のところ“そういう世界観だから”としか言えない所ですが、割と超人が一部で嫌われているのは、「見た目が人間」であるからこそ、時により得体の知れない恐怖の対象となる、というニュアンスか。
なお、現実の昭和42年には『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』でミニラが登場、遡る昭和40年には『怪獣大戦争』でゴジラが「シェーッ!」を披露するなど、ゴジラのアイドル怪獣化が進んでいた時期となります。
順調に進んでいた行進だが、突如、動きを止めるメガゴン。地面に広がった風郎太が巨大な粘着テープのような役割を果たしたのだ……とメガゴンの前に立ちふさがった超人課の面々が次々と能力を披露。
音楽も盛り上げて、本編初の、超人課の全員が力を結集して戦うぞ! という場面なのですが、ここで、「制御できると思っていた怪獣が暴れ出して、それを超人課が食い止める」のではなく、「超人課が力を合わせて怪獣の暗殺と自分たちの策謀の後始末をする」という形にする所に、今作の一筋縄ではいかない部分が凝縮されています。
表向き、演出と音楽は非常に盛り上げているのがまた、実に皮肉な作り。
だが課長と兵馬の計算を越え、メガゴンは爆炎の中から無事な姿を見せる。ところがそんなメガゴンの姿を目にした少年は、何故か懐中電灯の光をメガゴンの目に向け、メガゴンを刺激、興奮させる。
「すげぇ……」「すげぇっ!」「怪獣だぁ!」「暴れろぉ!」「かっこいいぞー!」
「なによ?! あなた達の味方なのよ?! 暴れさせてどうするのよ?!」
「わかったよ……俺は怪獣が好きなんだ」
「わかってるわよ! だからこれから人気者に」
「理屈じゃないんだ。人間には理解できないから、好きなんだ……メガゴーーーン!」
人に制御された怪獣は、もはや怪獣ではないと悟った松本は、暴れ出したメガゴンの前に飛び出して死亡。暴走するメガゴンを止めようと、駆けてくるエクウス。
「おまえは大自然の使者なのか。太古の神なのか。人間の犠牲者か! それとも、俺たち自身が望んだものかっ」
ここで、5年後の爾朗になぞらえるような意図的なカットでエクウスがマフラーを大きくなびかせるのですが、“左腕が無い”のはいったい、どんな暗示なのか、今後の展開が気になる所。
「俺は戦う……戦い続ける。怪獣と。そう決めた!」
人々の平和を脅かす存在、そして自分の中に眠る衝動――二つの怪獣と戦い続ける覚悟を込め、爾耦はトドメの引き金を絞る――。
そして、変化した笑美が松本に渡した謎の液体、怪獣賦活剤の正体は……
「久しぶりに実験できて良かった。取り扱いは、慎重にしよう」
孫竹が保管している人吉爾朗の血液製剤であった! と、楽しそうなお父さんが、期待通りのクズ父マッドサイエンティストぶりを見せつけてくれた所で、今回終了。
超人課の裏も知っており、少年期の爾朗を研究所に閉じ込めていた事も判明し、いい感じに薄暗くなって参りました。個人的に、第3話で家に運び込まれた柴刑事をちょちょっと修理したという所が、変なもの仕込んでいないか気になっております(^^;
『ウルトラマン』のカリカチュアに始まり、学生運動と絡めた怪獣を連れての平和デモ行進、終始自分たちの策謀の後始末に動く超人課、とねじれた話でしたが、やはり最後、「暴走する怪獣を止める為に結集するヒーロー」という如何にもな展開に持っていけそうなのに敢えて持っていかない所に今作の強い意志を感じます。
強い光で興奮する事、米軍が使用している怪獣も暴走例がある事、と伏線は張りつつ、結局、人間が怪獣を制御できるのか、については語られず仕舞い。それは人間の英知なのか傲慢なのか――そして、“制御できると思っていた怪獣”には恐らく、主人公が含まれる、と今後への含みも持たせ、この先も楽しみです。
第1話が、語り手となっている輝子のスタートの話だとすると、第1話以前の時間軸が語られる事も含め、前回と今回が人吉爾朗の始まりのエピソードだったと思うのですが、重要なポイントがある程度揃ったと思われる所で、以下、神化=昭和と仮定した上で、劇中の出来事と、それに関係があると思われる現実の出来事を、今後の推測も交えてまとめてみました。
詳しい方には自明の理の事も多いでしょうし、本格的な検証をしている場などもありそうで、もっと色々と仕込まれているのでしょうが、とりあえずわかりやすい所を、自分の整理用という事で。
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神化14年10月――人吉孫竹、インド洋のとある島で、巨大猿人ガゴンと遭遇。
神化17年8月――アメリカ統合参謀太平洋司令部、超人の前線投入を決断し、アメリカ超人軍団、巨大猿人と戦闘。
※1939年9月に第二次世界大戦勃発。この時点では、日本は不介入を宣言。
場所は明示されていませんが、恐らく、この戦闘になぞらえられているのかと思います。14年の孫竹に「帝国政府の命を受けて」という台詞があり、日本軍が何らかの形で怪獣兵器を運用しようとしていた可能性もあり。戦後そのノウハウが米軍に接収されたと考えると、マスター・ウルティマによる怪獣の兵器化がやたらスムーズな理由に繋がるような。
1942年8月:連合軍、ガダルカナル島に上陸。
神化20年――爾朗生まれる。(公式HPより)
神化29年11月――東京に巨大怪獣上陸。爾朗、全裸で道に転がる(詳細不明)。
※1945年:太平洋戦争終結
神化34年1月――研究所を抜け出した爾朗、怪獣と遭遇。怪獣はテンキュウナイトに退治される。
1954年11月:映画『ゴジラ』封切り。
神化36年――小説『超人幻想 神化三十六年』(未読)
1959年1月:前年からスタートしたTVドラマ『月光仮面』の、第3部「マンモス・コング編」のクライマックス放映?
神化41年7月――星野輝子、超人課へ就職(第1話)。
神化46年4月――人吉爾朗、S遊星人と共に姿を消す(第1話における“5年後の時間”)。
1966年7月:TVドラマ『ウルトラマン』放映開始。
神化47年2月――柴来人、冬季スポーツグランプリで爆弾テロを計画。
1971年4月:TVドラマ『仮面ライダー』放映開始。
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1972年2月2日:横井庄一、日本帰国。
同年2月3日〜13日:札幌オリンピック開催。
というわけで改めて並べると、終戦の年に生まれ、国産巨大怪獣の象徴であるゴジラを宿し、国産ヒーロー番組の元祖的存在である月光仮面に多大な影響を受け、物語の始まりは日本のポップ・カルチャー史に金字塔として君臨する『ウルトラマン』の放映スタートと、国産変身ヒーローの象徴である『仮面ライダー』の放映スタートに重なっている(欲張りすぎである)、という、絵図を思いついた上でそれを貫く主人公を中心に物語を組み立てるという発想がとんでもないなぁ……。
凄い。
ここまでの大きなポイントは実写ジャンルが中心になっている感じですが、本編にも気配の漂うマンガヒーローの代表的な所を参考としてあげておくと(アニメはいずれも最初のもの)、
『鉄腕アトム』/マンガ連載:1952−1968 アニメ:1963−1966
『鉄人28号』/マンガ連載:1956−1966 アニメ:1963−1966
『サイボーグ009』/1964−不定期 アニメ:1968
1966年=神化41年とすると、上2つはいずれも去りゆく超人という扱いになりそうですが、OPで、横山顔でロボット操る少年が割と扱い大きいのは気になる所。神化41年にロボットから卒業して、神化46年に、バビル2世(1971−1973)として帰ってくるという可能性も考えられますが!(おぃ) 辻真先は『バビル2世』のアニメ(1973)も参加しているし。
で、爾朗のデザインモチーフと思われる『サイボーグ009』(007)なのですが、1969−70(神化44−45)年にかけて「天使編」と「神々との戦い編」が連載されており、これが劇中の空白期とぴったり合うのは怪しげな所。
とすると、第5話の下敷きに学生運動の過激化が織り込まれ(東大紛争は1968−69年)、「沖縄返還」への言及があった事を考えると、1970年(神化45年)の安保闘争辺りが、物語のターニングポイントになるのでしょうか。
そしてそこから更に線を引っ張っていくと、1972年2月下旬のあさま山荘事件と、5月の沖縄返還が、クライマックスの焦点でしょうか。その先へ進んでいく可能性もありますが、現状の伏線だと、その辺りに狙いが絞られている気がします……うんまあ、この先どうなるかわかりませんが、よく組み上げているなぁ…………。