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最終話「君はまだ歌えるか」感想(長い)

ここまで色々と感想を書き連ねてきましたが、最終回はこの一点に集約されると思います。

「正義なんて幾らでもあると笑う、超人なんて子供の夢だと笑う、現実を変える事なんて出来ないと笑う。今わかった。俺がどうしてもあんたと戦わなければならなかった理由が。超人には必ず、対になる悪がいる。俺はあんたという悪を倒す――超人だ!!」

この言葉を、大人が忘れてしまった無垢な子供の幻想としてではなく、幻想を追い求め続けた末に大人として立ち上がる事を選んだ男の言葉、として言わせた事こそが、『コンクリート・レボルティオ』の真髄となりました。
ここまでの苦悩も、迷走も、逃避も、女性関係の駄目さ加減も、三十路突破も、全ては“大人になった爾朗”がこの言葉を口にする為に、無くてはならぬ下地でした。
大人になりきれない爾朗ではなく、迷いを重ねた末に大人になった爾朗だからこそ、この言葉は重く響きます。
大人になっても、君が信じた幻想を、胸に抱く事に意味はあるのだと。
たかが歌を、たかが映画を、たかが漫画を、たかが超人を信じて、全てが笑う日まで、世界を敵に回そう。
たとえ誰にカタラレズトモ、望んだ未来を諦める事は出来ないと心が言っている限り、君は、まだ、歌えるから。
人吉爾朗の物語として、見事な着地でありました。
以下、長い蛇足です。
神化53年4月、新宿――
「沖縄の事件から2年もすると、人々は超人を懐かしむようになっていました。不思議な事にみんな、遠い過去の出来事のように思っていました。或いは、最初から、TVやマンガの中にしか居なかったような」
輝子ナレーションにより、超人が現実に確かに居る存在ではなく、曖昧な、文字通りの幻想となりつつある2年後の世界から始まり……時制を前後させないと気が済まないのか(笑)
超人達は、コミック雑誌や、TVドラマや、玩具として扱われるようになっており、これは會川昇のメタ趣味を感じる所。かつて『イナズマンF』最終回準備稿に衝撃を受けたという會川さんは、『仮面ライダー剣』の最終回準備稿で、剣崎がブレイドのゲームをやっている子供を見ている、というシーンを入れて長石監督に怒られて直したとの事なのですが、どうしてもやらずにいられなかったのかなぁと(まあ『コンレボ』自体が、そういう作品なわけですが)。
神化51年2月、沖縄――
ウルティマポリスの司令部にマジカルサイエンスの人達が居るのは、親和性が高いので義によって助太刀致す、という事なのか、何%か向こう側の血が入っていたりするという事なのか。割と好きな人達だったので、今回ちょこちょこ台詞があって嬉しかったです。
笑美の呼びかけに応じて人ならぬ存在達がウルティマポリスに集い、始まる超人ハルマゲドン。光速エスパーにエンジェルスターズ、スキージャンパー超人などが次々と参戦し、これまで登場したヒーロー達が力を合わせて巨大な敵に立ち向かう!という展開なのですが、敵はかつては共存していた者達でありその中心にいるのは爾朗であると、必ずしもスッキリとした善悪の構図というわけでないのは、超人課が陰謀工作の為に力を結集して格好良く戦った、第5話を思い起こさせます。
「やっぱり気持ちいいなぁ、人助けってやつは」
道を踏み外していた覆面超人ズが仲間を助け、再結集したエンジェルスターズのジャッキーの瞳にはハイライトが戻り、第2期で酷い目に遭っていた人々が救済されたのは、前回ロボット超人組がざくざくリタイアしただけに、ホッとした所。そして都市部では、エクウスとレックスFEが激突する。
「人吉爾朗……やっぱりあんたは、ただのクズだった!」
「大鉄くん……」
「丸の内で一瞬思ったんだ。今なら、あんたと正義の味方になってもいい……」
少年期に爾朗に思いっきり歪められた弓彦ですが、弓彦は弓彦で、同じ天弓ナイトフォロワーとして、同じ理想の正義を求める者として、爾朗に幻想を見ていた――どこかで爾朗を信じたいと思っていた、というのが窺えるやり取り。それが裏切られた時に、人吉爾朗という悪に怒りを燃やす正義になる他なかった、爾朗が求める正義ではなく、爾朗を殴って認めさせる正義を示そうとする他なかった、というのが牧大鉄として陥った歪みだったのかな、と思う所。
弓彦/大鉄には輝子同様、“大人をできない”爾朗が導き損ねた子供、という要素があると思うのですが、くしくも丸の内において、暴走するナッツ(クロード人格)を止めようとする爾朗が叫ぶ
「もう泣くな。わかるぞ。暴れたいんだ。どうにもならないんだ。正義の超人に憧れた筈なのに、どうしてって。大人はみんなそうさ。正しい事ばかりしていられない!」
というのはまさしく、大鉄が爾朗に対して抱いた怒り、であろうなと。
「……俺は怪獣だ」
そして、“大人になった”爾朗は、その責任を取るために、弓彦の執着を断ち切ろうとする。
「天弓ナイトのおじさんを殺したのか?!」
「ああ、俺が殺した。……俺は、怪獣だぁっ!!」
Gパワーを更に高め、灼熱するシン・エクウスは、レックスFEを正面から粉砕。
「負ける……?! 駄目だ! 負けるって事は、僕が正義じゃなくなるって事だ」
「大人になってわかったろ! 正義ってやつは一つじゃない。白い正義もあれば灰色の正義もある!」
「今更……あんたがそれを言うのかぁ!!」
機能停止したレックスFEの中で爆死しそうになった大鉄は、かつてのBL団の仲間達によって救出される事に。
「BL団に依頼があったのよ。音無弓彦救出の」
この依頼者は爾朗なのか、BL団自身なのか……大人になった爾朗センパイにはそれぐらいやってほしいなぁと思うものの、しょせん爾朗センパイなのでそこまで気を回せない気もして、まあ後者でも十分に成立するので、個人的にはどちらでも有りですが。
以前にも書きましたが、音無弓彦/牧大鉄には、本来所属すべき子供のコミュニティから切り離れて、大人のコミュニティでヒーローを演じざるを得なくなった少年、というモチーフが入っていると思っているので、その大鉄が、弓彦として少年期のコミュニティに救出される――居場所を取り戻す、というのは良かった所。これはまた、弓彦にもう一度、正義を見つめ直す時間が与えられた、という事でもあるでしょうし。
……横山光輝派なので、大鉄くんには概ね甘めです(笑)
シン・エクウスの両腕から伸びる炎の竜が荒れ狂い、それに立ち向かった輝子は皆の期待を受ける事でより強い力を得ると、巨大ソフトクリームでエクウスを食い止める。
最初から最後まで、輝子の物質置換能力は物凄く強力なのですが、どシリアスな炎の竜がコミカルなイラストに変えられてしまったり、魔女力チャンネルセットというのは、チャンネルを切り替えて、世界観を混線させてしまう能力だったのか……?
レッドジャガー部隊が出撃し、3体の巨大レッドジャガーが、エクウスを取り囲んで自爆。輝子は爆発の中から爾朗を救い出すと、ウルティマポリスの動力炉内部へと入り込む。
「待望のお姫様だっこだな」
「え……や、違うと思うけど」
爾朗センパイ、遂にヒロインになる(笑)
そこに笑美が現れ、笑美達の狙いは、特異点である爾朗の力を覚醒させる事でウルティマポリスごと別の世界へ移動する事と判明。
「いったい……どんな世界があるっていうんだ」
「わからない。けど、エネルギーの為に超人と人類が争う愚かな世界じゃない。行きましょう、爾朗」
既に前回、皮肉を持って都合の良い理想の世界などない、と示唆されているのですが、では、人は、世界とどう向き合うべきなのか? 笑美の言葉に対して疑念を呟くのが爾朗、というのはその立ち位置の微妙な変化を現しているように思えます。
爾朗を止めようとする輝子に対し、笑美がウルティマを葬った隠し球、輝子の魔力を分離した人虎の力を発動し、遂に両雄が激突。女の最終決戦の途中、笑美をかばう爾朗だが、更にそこに割って入る、里見、ジャガー、赤光。
「そいつは星野の手にかかって死ぬつもりだったんだ」
「自ら巨大な悪の象徴となり、超人達を結集させ、そして倒される。それが望みだったんだろう?」
「最悪の怪獣を倒した正義の魔女として、星野は、超人達は人々の信頼を取り戻す。そしてまたこの世界で、やっていける」
ここはストレートにあのアメコミへのオマージュでしょうか。作品として意識していない、とは思えませんし。
「どうして?! どうして私が爾朗さんを殺さなきゃいけないんです?!」
「君に……すまない事をしたから。初めて君に会った時俺は、超人を誰が守るのかと言った。君は純粋で、そして強かった。俺は君が、正しい超人になってくれると思っていた。だけど君は変わってしまった……俺のせいで。自分の中の悪を目覚めさせ、正義の為じゃなく、自分の為に戦うように」
「だったら私は、いつまでもただの無邪気な子供で、爾朗さんに会った時のまま、何も知らない子なら良かったんですか?!」
最終回にして、輝子の右フックが爾朗センパイのこめかみに直撃。


「私の大切な人がね……超人が好きなんです。だから、超人になれて、ちょっと嬉しい」
「俺にも、居ました。俺の事を、まるで正義の超人みたいに思ってくれた人が。その人の前では、自分が正しい事、するべき事をしなければいけないって思わされた」
「その人、今は?」
「俺より先に大人になっちゃいました」
以前にニンゲンマン回の感想で、「星野輝子というのはたまたま後輩の魔法少女の姿を取っているけど、爾朗にとってはこうありたいという自己実現の願望」ではないかと書きましたが、その輝子本人に直接、爾朗が求める“人が無垢なる信仰の対象であり続ける事”など無理だ、と否定され、聞いていたジャガーさんには苦笑され、改めて、他者への正義の仮託をよってたかって咎められる爾朗。
長らく爾朗はメガッシンやアースちゃんなど、“機械の正義”に理想の正義に近いものを見ていたのですが、それは“機械の正義”が時代や他者との関係で変化しにくい、移ろわぬ正義だからであり、ところがアースちゃんもメガッシンも、そして柴刑事も、超人であろうとする事により、“機械の正義”に変化が生じている、というのも、超人である事を拒み続けていた爾朗を後ろから殴りつけます。
そしてこの、爾朗の超人幻想――信仰対象としての不変の存在の希求――に対する、人は人である限りそんな風にはなれない、という言葉、そんな輝子を爾朗が正義の魔女に仕立て上げようとしていた事を合わせて考えると、爾朗が最後に求めたのは、神様なのだろうな、と。
何よりも、自分の存在を赦してくてくれる神。
戦争の生んだ「正義」であるが故に、今の時代では「正義になってはいけない」という自覚と呪いを背負っていた爾朗は、自らが「悪」となって揺るがぬ正義の礎となる事で、その存在を神様に赦されようとしていたのではないか。
今作の裏読みとして、誰かが超人の中から人造の神を作ろうとしているのではないか、と思っていたのですが(ヒューマーが若干近い目的を持っていましたが)、実はそれをやろうとしていた、というかそこに辿り着いたのは爾朗だったのかも。
合わせて、自分を絶対の悪に、輝子を正義の象徴に祭り上げる手段を用いる事で、爾朗の消滅によって異世界へ転移する笑美達にとっては、爾朗は死してエターナルなヒーローになるわけで、そこには爾朗の未練(生きて「正義」にはなれないが、死後ならその願望を果たせる)と、爾朗なりの笑美さんへの謝罪の示し方を見るところ。
「私は爾朗さんが超人だって、ずっと思ってました」
「俺にその資格はないんだ」
「そう? 怪獣だから? 天弓ナイトを殺したから? 私が居るのにその子に惹かれたから?」
最終回にして、笑美さんの左アッパーが爾朗センパイの顎に直撃。
爾朗を間に挟んで笑美と輝子が左右に立つというカット(笑美と爾朗は画面左側に背中合わせで、画面右側でそれに向き合っているのが輝子)なのですが、最終回にして、男を見せるどころか、前後からダブルヒロインに袋だたきにされる爾朗センパイ。うん、それでこそ爾朗センパイですね……!!
ここで颯爽と参戦した柴刑事(第三のヒロイン)が爾朗をかばうとか、見たかった……!(おぃ)
いや柴刑事は、爾朗の心の中でエターナルになったので、ある意味で、勝者ですが……!(待て)
「約束一つ守れない。そんな正義の味方が居るか?」
「しょうがないじゃない。心なんて怪獣みたいなものよ。正しい事を願っても、どうにもならない事は幾らでもある。……馬鹿ね」
で、妖怪のプリンセスとしての役目(これが笑美の、大人としての責務)があったり、女のプライドとか余裕とかあって直接的に表現してきませんでしたが、笑美の究極の望みというのは、爾朗に、自分にとっての超人になってほしかったのだな、と。
これは輝子と対をなすわけですが、超人であると思われるのは気持ちがいいけど、超人になってほしいと思われるのは苦しいわけで、笑美さんは躾と一緒に選択肢を間違えた疑惑。
どちらにせよ、そういう、女の願いに応えられないのが、人吉爾朗であるわけですが。
なお私どちらかというと笑美さん派(というか爾朗センパイ駄目男派)なので、この辺り、輝子派の視点から見るとまた違ってくる所もあるのかなとは。
ちなみにライトを入れると、「これだから女は……! いいか爾朗、おまえと僕で今こそ――」と男の子の世界に旅立ってしまうので、これはこれでたぶん駄目。
「自分の命を差し出し、何かを成し遂げた気になる。自己犠牲ショーは終わりだ」
「怪獣! 今日こそここで私が滅ぼす!」
場違い感甚だしかったのは確かなのですが、里見顧問がコブラステッキに仕込んだ純度100%バイオデスロイヤーで、どさくさ紛れに溶かされてしまう赤光さんの扱いが酷い(^^; 里見の真意を考えれば納得ですし、この後の伏線でもあるのですが……酷い。
「長い芝居だったよ。人々と超人が対立し、やがて超人が自ら消えるよう、ずっと台本を書き続けてきた。さあ行け。妖怪だの怪獣やらを引き連れて、別の世界に消えてくれ」
「全部計算通りね……でも、この世界にも超人は残るわ」
「化け物が居なくなった世界で超人を求める人類などいない。そこでこのエネルギーシステムは、君らだけでなく超人を原料にしても有効である事を発表する」
更なるえげつない計画を口にする里見顧問。
「なんでそんなに超人を居なくしたいのさ?!」
「私はただ、超人が居る世界がどうにも不自然に思えて仕方がないんだよ。この世界は超人を夢見る子供から、大人にならなければいけないのではないか」
里見は超人という存在が象徴する、世界の抱く幻想そのものを否定する。そんなものがあっても現実は変わらないのだから、そんなものがなくても世界は回っていくのだと見せつける為に。
「笑美――まだやる事がある」
里見の言葉通りに世界から去ろうとする笑美に手を引かれるも、立ち止まり、里見に――この世界の現実を嘯く存在に――向き直る爾朗。
「私を倒すか? そんな事をしても、何も変わらないよ」
「そうかもしれない。だが!」
里見に迫る爾朗の前に立ちはだかるレッドジャガー軍団だが、ジャガーさんと共にその姿が揺らぎ、遂には消滅。ジャガーさんが故意に未来のテクノロジーをてんこ盛りに詰め込んだ事で、レッドジャガーはタイムパトロールの介入を招いてその存在ごと消されてしまい、それはジャガーさん本人にも及んでいた。
「爾朗、正義の味方になりたかったのは、おまえだけじゃないんだぜ?」
「え?」
「だから今の僕は、人吉爾朗の味方なんだ」
色々と必要以上に引っかき回した感はありますが、自分の目的最優先ながら、なんだかんだと爾朗が立ち上がる事を期待していたジャガーさん、爾朗が立ち上がったその時、その背中を押して自ら退場。
ジャガーさんはある程度、想定される視聴者層の共感を得る事を意識した立ち位置であったと思うのですが、「大人が大人の出来る形で正義の味方をやってはいけないのか?」というのは一つ、今作の大きなテーマであり、正義の味方のなり方を探してもがく爾朗と対を為す、今作の裏主人公だったのかな、と思います。
自分が大人に徹する為に、エクウスという形で自分の中の子供の幻想を爾朗に押しつけたり、間違いなくタチ悪い人ですが(笑)
「正義の味方……」
「ふんっ。ふはははははは」
「笑うな」
「笑うさ。おまえ達は現実を知らない子供だ。超人など居ても居なくても、世界は何も変わらない」
「たった一つの正しい事を求めても、自分の心すらままならない。それでも! 探し続ける事に意味はある!」
「ない。無駄な努力だ」
里見は自らの正体が地球に落ちた隕石(ツングースカ大爆発)の破壊エネルギーであり、爾朗と同じく別の世界との接点である事を明かす。里見とは、その身に蓄えた莫大なエネルギーを自らの為にのみ使ったアンチ爾朗とでもいうべき存在だったのだ。
「さあ、消えろ! やがて人々は、超人など、石油や石炭の代わりとしか、思わなくなる!」
哄笑する里見に対し、倫子が作った「およげたいやきくん」の歌が決して超人達の存在を忘れさせない、と輝子が反論。
ここでもう一つ、大人には大人なりの“正義の味方”のやり方があるのではないか? という戦いが示されるのですが、倫子が音楽(芸能)業界の人物であり、エピローグにおいて、第6話で中心となったコミックバンド・マウンテンホースの姿が結構なカット数入っているのは、
「わっかんないの? あの人たちは超人だ。こんなに大勢が笑ってる。誰より凄い力じゃないか」
というのが改めて、大人なりの“正義の味方”のやり方――ままならない現実との戦い方――の一つであった事を見せているように思えます(この時点では、爾朗がそれを全く理解できなかったのを含めて)。
作品全体としての「歌」というテーマを繋げる意味が大きかったのでしょうが、第6話は好きなエピソードだったので、ここを拾ってくれたのは嬉しい。
「歌……だと? たかが歌が、なんだというんだ!!」
「たかが映画で、人々を操ったのはあんただろう!」
「その程度の力しかない」
人に夢を見せる存在を、つまらない道具、本質的には不要な存在としてしか考えない里見の姿に、爾朗の中のくすぶる火種が燃え上がる――
「たかが歌……たかが映画……たかが漫画……たかが超人……か」
「その通りだ。現実には何の力もない」
「……やっとわかった。あんたのような奴に会うのはこれが初めてじゃない。たぶん最後でもない!」
怒りの炎を噴出する爾朗、それを軽々と切り裂く里見。
「ほぅ……こんなに強い……者にか!」
「違う。笑う奴だ」
「……笑う?」
「正義なんて幾らでもあると笑う、超人なんて子供の夢だと笑う、現実を変える事なんて出来ないと笑う。今わかった。俺がどうしてもあんたと戦わなければならなかった理由が」
「爾朗……」
遂に戦うべき存在を見定めた爾朗の姿に、優しい微笑を浮かべる笑美さんが、ちょっと切ない。
「超人には必ず、対になる悪が居る。俺はあんたという悪を倒す――超人だ!!」
誰かの示す正義を求めるのではなく、自らが立ち向かう悪を爾朗が見出した時、第1話で示された、今作の根幹的なルールがここでくるっと収まって着地。
たった一つの正しい答はないのかもしれない――けれど、世界には、屈してはならないものがある。
「超人を守るのが超人課の仕事だろ!」
「普段、手は、しまっているだけだ!」
風郎太やウルも参戦し、今度こそクライマックスな超人共闘で、里見を打ち破る超人課。だが爾朗はバイオデストロイヤーを打ち込まれて体内のヒューマーを消し去られてしまい、Gパワーを抑える手段を失ってしまう。
「もはやその姿を保つ事も出来まい」
中盤、里見顧問をびゅんびゅん動かしていた作画がこの辺りで限界に達したのか、インパクトがあるというよりは違和感のあるスローモーションで里見顧問がぶっ飛んだりするのですが(何かのオマージュだったのかもですが)、クレジット見るとコンテだけで5人がかりなので、どこまで調整しきれていたのだろうか、などとは今作の演出に関して、少々不満には思うところ。
「俺は、どこにも行かない……ここに居る……人と、超人の居る、この世界に……」
笑美の腕の中で炎の竜と化した爾朗は、この世界と向き合い続ける事を選び、世界の中へと拡散。
輝子が割とざっくり里見顧問を鯛焼きエンジンの中に放り込み(普通に意識があったので割と酷い)、爾朗と同じく特異点である里見が消失した際のエネルギーを用いて、妖怪達は別の世界へと旅立つ事に。
結局、人ならぬ超人達は、異世界、というカテゴリに行くしかなくなるわけですが、沖縄の西の海に消えていくというのは、ニライカナイの存在を思わせる所。
以前に3体のナッツが川の氾濫に飲み込まれて消えていったのですが、あれはやはり、どこか別の世界に流れ着き、来訪神として正義のスーパーロボットになるニュアンスだったのだろうか、とは妄想が膨らみます。パイロットが乗り込まなければ力を発揮できない――乗り込んだパイロットが神の代行者になれる――という、ナッツ(スーパーロボット)自身が、「うつぼ船」(他界から現世に来るために神々が用いる乗り物。なかが空っぽになっている船)であるという見方も出来そうですし。
この辺り今作は、巧く転がったらスピンオフとか展開したいかもというあまり回収を考えずに種だけ色々蒔いている感じなので、これもテーゼとモチーフとオマージュの絨毯爆撃の一環と見ておけばいいのでしょうが(^^;
そして再び、神化53年4月――
「信じてるんだね。人間達が、超人や怪獣達の事を思い出して、もう一度会いたいと願えば……」
「きっと姿を取り戻す。だってあの人は、そうして生まれたんだもの」
「だから、輝子さんも魔女っ子やってるんだ」
輝子と風郎太の会話の合間合間に、その後の主要キャラ達の姿が挟み込まれ、エピローグとして定番のカットであると同時に、表向きは虚構の中の存在になったけれど、今も確かに超人達はそこに実在している、という証明になっているのが素敵。
マウンテンホースはどうやら人気者になっており、弓彦はTVドラマで天弓ナイトを演じ、光速エスパー達は社会の悪を密かに倒し、超人以外では怪獣回の少年が、既に子供の居る“大人”になって登場。
心配された白田さんも、無事でした! なんかマジカルサイエンスの二人とバーみたいな所でくつろいでいるのですが、白田さん、人間として真っ当に年を取るのか微妙だし、数十年後に、風来坊とかやっていそう。
メイドが帰ってきた人吉研究所には、回収されたライトとメガッシンのボディ、そしてTPの時計が机の上に置かれており……博士は5年後ぐらいに、作ってはいけないものを作ったりしそうな感。
この人だけは、今の内に消しておいても良いのでは。
ジュダスは相変わらずアースちゃんに執着しており、凄い開襟シャツで変質者ぽさが上がっているのですが、そのアースちゃんの回路を通して、デビラとデビロが地球に迫る宇宙船団の存在を報せてくる――。
「居るわ、あの人は。見えないけど、感じるの。あの人は、体が無いだけで、この世界のあちこちまで広がって……私たちを見ている。そしていつか、あの人を求める声に応えて……」
爾朗の復活を信じる輝子、ちょっと怖い(笑)
「……うん、そうだよな。超人って、そういうもんだもん」
しれっと戻ってきたジャガーさん(バージョン幾つかは不明)が空を見上げて笑顔を浮かべ、そして風郎太も、空に浮かぶ巨大な怪獣の影を見る――で、エンド。
表向き超人が姿を消した神化53年の世界は、前回の孫竹のメタ的解釈に基づくなら、爾朗が実体を失った事により超人の存在が人々に現実として認識されづらくなり、しかし爾朗が観念化して世界に遍在する事により、超人幻想そのものは失われなかった世界、とでも考えればいいのか。
超人が前を飛ぶ事はなくなったけど、けれど超人は確かに存在していて、誰かの心を常に支えている。
だから、君は、歌い続けてほしい。
超人は、必ず、そこに居る。
多分にメタ的な要素の多い作品ですが、何よりも中心をなすのは、作る人達と、そこから何かを得た想いを持ち続けている人達への、感謝とエールだったのだろうな、と思います。
そしてそれは、自分以外の誰かが持っている筈のたった一つの正義を探して世界から逃げ続けてきた爾朗が、自ら世界に向かい現実と戦う事を選ぶまでの物語であり、人は誰しも子供のままではいられない、けれど大人になっても、君の心のどこかにある、超人幻想を恥じるなという着地点は納得。
作品の構造上、種をばらまくだけばらまいておいて、語り切れていない要素や物足りなく処理されてしまった部分もありますが、個人的には、爾朗が抱えていた爆弾を物語として爆発させてくれた事、その上で爾朗が世界に立ち向かう物語になってくれた事、が良かったので概ね満足です。
ところで劇中で里見が
「やがて人々は、超人など、石油や石炭の代わりとしか、思わなくなる!」
と超人を物理的なエネルギーとして扱うのですが、では今作が最終的に提示した「超人って何だろう?」というのは、
超人とは、夢や希望、理想を求め続ける事を支えるエネルギー
なのではないか、というものであり、どこまでも一筋縄でいかない作品でありました。
ネタ元がわかるとまた違う解釈が生まれる所もありそうですし、とにかく濃厚な為に拾い切れていない部分が多々あるかと思いますが、大変突き刺さり、面白い作品でした。
まあ最近は、こういう作品に触れると、自分は全然、幻想を見せられる側になっていないなと思うわけですががが、そういう人達にも、立ち上がるのはいつだって遅くない、とそんなメッセージも込められているのではないかと思います。
そう――君はまだ歌えるか。