◆タイキさん
>このお話を見るとこういうちょっと屈折したようなエロスをサクッと描いて来るから面白いですよね。
個人的に浦沢さんには、ねじれたエロチシズムを突っ込んでくる人、というイメージが結構あります(笑)
>ダップに「何をぶつぶつ言ってんだ!」と突っ込まれているというのもセットでギャグになってますよね。
皆が戦っているのに恭介がひたすら独白している事への、ちょっとメタ気味のツッコミで面白かったですね(笑)
>そしてその真っ直ぐさが「勇気一つあれば誰だってヒーローになれる=等身大の正義」という図式として描かれているのだとか。
今になって見てみると、というのはありますが、パロディギャグみたいな事をやりつつも、思いの外『カーレン』、どういうヒーローを描くのか、というのがきちっと抑えられていますね。
>下手すれば復讐鬼の側面がクローズアップされて湿っぽくなってしまいますし、その辺を上手いこと避けてますね。
下のボーゾックともども、扱い方次第では地雷になりうる要素が幾つかありますが、思い切ってギャグに振る事で、幾つかうまくすり抜けてますよねー。
>ストレートな悪役として描いちゃったらとんでもない極悪非道になってしまうのを途方もないバカ度で緩和してコミカルに見せるという手腕が凄いです。
見る限り遊び半分で惑星丸ごと消し飛ばすという、とんでもなく邪悪な集団ですよね(^^; 花火にする予定の星の原住民に「子供さん!」と呼びかけるのも、見ようによってはぶっ壊れた怖さを感じますし。
◆wayさん
>後年の高寺Pの『仮面ライダークウガ』や『響鬼』を考えると、これらはこの作品の先にあるヒーロー観だったのかもとは思います。
ちょうど同年、白倉×井上も『シャンゼリオン』で00年代作品に繋がるヒーロー観を示しますが、この辺りのタイミングの重なりは面白いですね。
>脚本の浦沢さんがそれをどこまで計算しているのかは知りませんが(笑)
高寺さんのこだわりと浦沢さんのカオスのせめぎ合いが奇妙なバランスを生んでいるというか、綱渡りしながら二人が殴り合っているような気配も感じたり感じなかったり(笑)
>自分としては、MMモグーが小さくなるなり間髪入れず浦沢名物の投石を繰り出す市太郎&社長というオチが、すごくツボに嵌ってしまったのですが(笑)
言われてみると、凄く普通に投石してましたね……。
>ダップが外道と言うよりこの世界の子供はこういうものなのだろうな、とも思ったり。
成る程、ダップが特別酷いというより、浦沢ワールドの子供標準なのでは、というのは凄く納得できる解釈です(笑)
>某所でデスガリアンのことを「例えるならギャグ要素が一切ないボーゾック」と紹介しているものを見まして、確かに、とは思いました(笑)
ボーゾックの微妙にピントのズレた作戦=ブラッドゲーム、と考えると確かにしっくり来ますね(笑)
◆さやまきさん
>ひと月経過してまだロボも出さないのは今では考えられないですよね
巨大メカの先見せすらなく、第4話でやっと形が見えるのですから、尺も違うとはいえ全然違いますよねー。
>最近はもう初手から全部出さないと財団Bが納得しないみたいですし
最近の、今年は出さずに引くのかなぁ……と思っていると、あれよあれよという間に57分頃までにロボット出して戦闘してしまう作劇は、それはそれで極まっていて凄いな、と毎年感心します(笑)
>敵さんの巨大化の理由もあまりのくだらなさにハイもう解りましたwwって感じですし
文字情報だけだとホント酷いんですけど、一応、「偶然」→「実証実験」というプロセスが描かれるのが、不思議なバランスの作品だな、と(笑)