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『超人バロム・1』感想22

◆第35話「大魔人ドルゲがくだけ散るとき!!」◆ (監督:田口勝彦 脚本:伊上勝
「我は宇宙の悪の源。ド〜ルゲ〜」
猛と健太郎は手向かえば親兄弟の命はない、とドルゲから宣告され、襲いかかってくるアントマンに対し、しばらく生身で立ち回る健太郎だが、おもむろにバロムクロス(笑)
「ドルゲの薄汚い手先、今日という今日は許さんぞ」
いつだって沸点の低いヒーロー、それが僕らの超人バロム・1!
だがドルゲもこの宿敵の、とりあえず殴り返してから人質を気にする行動パターンは知り抜いており、バロムワンを罠にはめようと手ぐすねひいて待ち構えていた。
気絶したフリでその言葉を耳にし、反撃の機会を伺う松五郎は、縄抜けに成功。アントマンをあっさり沈め、どうやら久々に海野とバロムクロスしている模様。
「へへへへへへ、ここまでは誰でもやるんだよね。これからが問題ですよ」
最終回にして他の家族と十把一絡げに人質扱いかと思われた松五郎ですが、まさかの脱出に成功し面目躍如。マッハロッドでドルゲ魔人を追うバロムワンに、待ち受けるドルゲの罠を伝える。
「ありがとう松五郎。しかし、私はゆかなければならない」
「駄目だバロム・1!」
これまで一方的な友情をアピールしていた松五郎は、家族の為に死地に赴くバロムワンを黙って見ている事が出来ず、体を張ってでもバロムワンを止めようとするが、正義のエージェントはそんな松五郎を諭す。
「いいか松五郎。罪も無い人を守る、それが正義に通じる事になるんだ」
物語の積み重ねでいえば、正義執行=悪の抹殺→ゆえに人質に多少の犠牲は出てもやむを得ないがバロムワンのスタンスでしたが、後半には多少は人質を気にするようになりましたし、無辜の人々を守る事が使命である、と最終回にして自らの正義語り。
やはり今作、完全正義の化身たるバロム1人格が、地球での動力源である猛と健太郎の人格の影響を徐々に受けて自らの正義を見出す、という形で話を進めた方がテーゼとしてはまとまった気がするのですが、その辺りの要素が無かったのは実に残念。
思えば最初と最後を伊上さんが締めた翌年の『ロボット刑事』において、ロボットである主人公Kが人間の刑事達と触れ合って徐々に変化していくという要素がありましたが、今作でやれなかった事への意識はあったのか無かったのか。
このテーマだと、後年の『大鉄人17』(1977)も巨大ロボと少年の友情を軸にしているのですが、どれも本来は王道である筈の“人間を学ぶ”パターンが上手くまとまってはおらず、伊上さんにしろ、『ロボット刑事』『大鉄人17』に主力で参加している上原正三にしろ、あまりこだわりのあるテーマ性では無かったのかもしれません(私は好きなので、つい期待してしまうのですが)。
作品としては途中から明らかに、猛・健太郎よりも、ヒーローたるバロムワンを目立たせる方向にシフトしており、その際に人格の問題がわやくちゃになったまま放置されてしまったのは掘り下げる余地があっただけに勿体ない部分でした。
まあ今作の場合は、『ウルトラマン』的に考えた方が適切なのかもしれませんが、それはそれでバロムワンのベース人格はどこから来たのかという問題が発生し…………もしかして、コプーの理想とする、若い頃のオレ、なのか。
「たとえ、私が敗れるような事があっても……いや、私は決して負けない。たとえ私が死んでも、ドルゲはきっと倒す!」
そんな宇宙的正義の魂が、地球人の中にある正義の心は負けない、と大衆への信頼を口にするのではなく、最悪でも引き分けで玉砕に持ち込むと言い切るのが、変に積み重ねのない綺麗事を持ち出すよりも、潔くて好感が持てます(笑)
バロムワンの固い決意を感じ取った松五郎は他の4人が連れて行かれた場所を伝え、十字架に磔にされた4人は多分、(松五郎のやつ、一人でまんまと逃げやがったな……)と悪の心をたぎらせていた。
マッハロッドから飛び降り、アントマン軍団を蹴散らしたバロムワンは4人を解放……ところが4人は、ハサミ、ウデ、ノウ、クチビル、という再生魔人の変装であった!
…………て、あれ、これ、松五郎、わざと逃がされたのでは。
残念な事実が判明し、4魔人に囲まれ窮地に陥るかに思われたバロムだが、主題歌が流れ始めると勢いに乗って再生魔人を次々とぞんざいに叩き殺していく。
「ドルゲ! 卑怯な奴め! 自分の手では私と戦えないのか。出てこい!」
「慌てるなバロム・1。ドルゲは既に、おまえと戦ったのだ」
虚空に浮かぶ巨大ドルゲは、全てのドルゲ魔人はドルゲの一部――分身――であったと明かし、今回も回想シーンで魔人軍団を見せていき、とにかくこれが売りだった、というのは非常にわかりやすいラスト2話。
「貴様にドルゲの本当の力を見せてやる」
力を解き放ったドルゲはドルゲマグネチュードにより激しい局地的地震を発生させ、ドルゲこだわりの生き埋め作戦により、あっさり絶命するバロムワン。
「ド〜ルゲ〜、我は勝てり、地球はドルゲ、ドルゲの星」
勝利を確信したドルゲは姿を消すが、その時、天空からまばゆい光が降り注ぐ!
「我はコプーなり。再び生きよ!」
今まで何をしていた。
……いや、なにぶん宇宙的正義のなんやかやなので、大気中に漂う正義のエナジーを集めて部分的に復活とかしたのでしょうが、第1話で不吉な言葉を遺して颯爽とリタイアし、最終話でざっくり奇跡を起こすという、完璧な芸風。
一応、これまで二人の必死の戦いがあったので、それにより蓄積されたジャスティス成分が消滅した筈のコプーに辛うじて部分的な力を取り戻させ、その報償として二人に力を与えた、という解釈は成り立つ範囲ですが。
コプーの光により生き埋め状態から解放された猛(死体)と健太郎(死体)は、コプーから命の泉を与えられて復活。目を閉じたまま無言で、見るからに洗脳されたままままバロムクロス。
これまでの戦いの見返りで完全な傀儡とされるという……これか、これが宇宙的正義のする事なのか!!
一体全体もはやその中に友情は存在しているのか、正義の人形と化したバロムワンはドルゲ洞を目指すが、それに気付いたドルゲが気象を操って落雷を落とし、派手な演出で崖から転落してマッハロッドごと吹き飛んでしまう。
人質の4人はアントマンにされそうになり、名称としては「働きアリ」がかかっているのでしょうが、ドルゲは本当に地球人を労働力として搾取するのが好きすぎます(笑)
悪の奴隷にされるぐらいなら自害してやる、と実に70年代らしい方向に走る4人だが……
「いや、その必要はない! バローーーム!!」
マッハロッドの殉職で死線をくぐり抜けたバロム1が現れて4人を救出。姿を消したドルゲを追って遂に地底のドルゲ洞に乗り込んだバロムは、ドルゲ洞そのものこそドルゲの体内である事を知る。
「ドルゲめ……正義のボップを受けてみよ!」
まさかの最終兵器ボップにより、体内で危険物を投げつけられたドルゲ、大爆発(笑)
地上では松五郎が4人と合流し、向かい合うバロムワンと巨大ドルゲの姿を目にする。
「ドルゲは不滅だ。ドルゲは地球から消える。しかし、いいか、必ず再びやってくる。さらばバロム・1!」
往生際の悪い捨て台詞を残したドルゲは雄々しく宇宙へ飛び立つが、それを追って大気圏を突破する正義のエージェント。
「宇宙の悪、絶対に逃がさんぞ!」
「やめろ! お前のエネルギーと、俺のエネルギーがぶつかれば、爆発する! るろ?! るろ、るろろろろろ、ろ?!」
歴史的な断末魔を残し、ドルゲ、今度こそ消滅(笑)
改めて最後に、ドルゲがこれまで直接出馬しなかった理由が判明しましたが、最後の最後で凄い台詞を残していきました、ドルゲ。シルエットが印象的かつ特徴的な台詞があり、適度に自分で働く、いいボスキャラだったとは思います。最終回、終始、巨大な影として現れる、というのも力関係の対比として良かったですし。
宇宙空間で衝突した二つの巨大なエネルギーの余波は地球をも揺らし、バロムワンはドルゲと相討ちになってしまったのかと不安げに空を見つめる5人だったが、すくっと崖の上に立つ形でバロムワンが帰還。歓声をあげる5人が崖の下へと走り寄ってヒーローを讃えるのですが、松五郎と紀子はともかく、他の3人はバロムワンとの絡みがほとんど無かったので、かなり空々しい事に。
それを反映するかのように、最終回にして、崖上のヒーローと崖下の5人が、物凄い距離感。
そう、城戸猛と白鳥健太郎、家族を想い篤い友情で結ばれていた二人の魂はもう……
「悪の支配者、大魔人ドルゲは滅びた。しかし、宇宙の悪は密かに地球を狙うかもしれない。その時、正義のエージェント、我らの超人バロム・1は、再び戦うのである。正義と友情が、永遠に地球にある限り」
ナレーションがまとめに入り、バロム・1がいつものポーズを取った所で、おわり。
…………猛と健太郎の劇中ラストシーンは、目を閉じたままのバロムクロスとなり、二人の存在が出てこないまま物語が閉じるという、衝撃の結末。
正義とはいったいなんだろう、と深く深く考えさせられるラストでした……。
EDテーマ後に、ドルゲ含めて全魔人が格子状のマス目に並んで次々紹介され、中央のバロム1だけ動いて爆弾パンチのバンク映像で完、という洒落たおまけが入って完結。
第1話の感想で「振り返ったら第1話が一番面白かった……という可能性もありそうですが」と書きましたが、実際エピソードの出来としては第1話がピークだったものの、随所に変な爆発力があってその分は楽しかったです。筋としては破綻したエピソードがかなり多いのですが、スリラーによる恐怖とショックを主眼に置き、子供を存分に怖がらせ、後バロムワンが爽快に叩き殺す、という作風が成立して以降は、優先すべき部分には忠実であったと思います。
そうすると、人間が悪のエージェントにされる、という設定とは相性が悪いので、中盤以降に消えていったのも納得する所。バロムワンの扱い、ドルゲ魔人の扱い、物語の中心、などなど、路線の細かな修正が多く、数話単位で作品の基本構造が変化するのが一つ特徴で、それによってテーマ的な部分を詰めていけなかったのは勿体なかったですが。
第1話において提示された猛と健太郎のキャラクター性、その家族達、正義と悪の心、と掘り下げていけば面白そうな要素が幾つかあり、特に小学生主人公ゆえの親子の関係や、小学生コミュニティにおける対照的なダブル主人公の立ち位置など、今作ならではの特徴になりそうだった部分が排除されてしまっていったのは残念でした。
個人的にはそちら側に舵を切った『バロム・1』を見たかったですが、ヒーローのアクション重視になった時に、バロム・1の中の猛/健太郎を消してしまったのが物語上の大きな転換点といえ、そこが再浮上か整理されれば別の奥行きが出たと思うのですが、そうならなかったのは惜しい。
45年前(!)という事もあり、あれやこれやと惜しい部分の気になる作品でしたが、ドルゲ魔人――特に人体魔人編以降――のデザインは今日見ても印象的で、非常に面白かったです。異形の恐怖、というのを押し出した、良い怪人軍団でした。
とにもかくにも、
コプーは正義! ドルゲは悪!
バローーーーーム!!