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さて、敢えて首を突っ込んでみよう

以下、はてなダイアリー使用者、中でも主に「はてなダイアラー映画百選」関係者以外には意味の無い内容になります。申し訳ありませんが、御了承下さい。
(※とりあえずそれ以外の方で話の大まかな流れを理解したいという場合は、「はてなダイアラー映画百選」のキーワードと下部コメントに目を通してみて下さい)
……というかまあ、私も関係者かというと、“正確にはまだ関係者でない”んですがね(^^; 数日前まではこのクラブの存在も全く知りませんでしたし。ただ、友人である所のid:Louis氏からちょっと話があって片足半歩突っ込んだ状態の時に、ちょっとこじれた話が出てきて居合わせた、と。
というわけで過去の「百選」であったらしい問題とか、事の内容の詳しい経緯はわかりませんし、あくまで状況と今回のid:Mattyan氏の行動に至る経緯などはコメント欄の書き込みなどよりの類推であります。故に事実誤認などもあるかもしれませんが、それに関しては御了承の上で御指摘などいただければ幸いです。


さて、つまるところ根本的な問題は「百選」である事にあると思うのですが、いかがでしょうか?
無論、100というのは区切りのいい数ですし、企画ものというのは先にパッケージを決めた方が成功しやすい物です。更に、過去にそういった企画があった、などの慣習的なもの、などもあるのでしょう。
しかし、本質的に(企画者の意図がどこにあったとしても)数字を限定するという事はどういう事かといえば、価値を持たせるという事であります。
更に言えば、このタイトルそのものが、“オフィシャルに近い場所にある何らかの権威を持つもの”という誤読を招きやすいものだと私は考えます(少なくとも、最初に聞いた時に私はそう考えました)。
同時に、コメント欄などでも述べられている通り、この企画の面白さの主眼が、「この人の書く映画百選を読んでみたい」がリレーになるところにあるという事は私も認めます。
しかし、これは構造的な矛盾では無いでしょうか?
「百選」という形で付加価値を付け加えた上で、その価値を恣意的にリレーする、というならば、それが内輪の排他的なものではないのか?という指摘を受けても仕方が無いと考えます。
またそれこそ、この企画そのものが特にキーワード化される事もなく知り合い同士で回しているというならば全く問題はないでしょう。ただ、はてなダイアリーにおいてキーワードにするという事は、


キーワードははてな全体の共有財産であり、あなただけのものではありません
〜「はてなダイアリーキーワードガイドライン」より〜
であるというのが、基本的な約束事だと私は理解しています。
ならば、キーワード化した時点でこのキーワードに付加された価値は参加を希望する人間全てに分配されるべきであって、これは根本的に指名制リレー形式と矛盾するのだと私は考えます。
(※勿論、キーワードを軸に交流を広げるという意味では、読み手オンリーの人々の窓口としてのキーワード化、というのは有用であると言えます。ここで指摘したいのは、「キーワード化」と「指名制リレー式」は矛盾している、という事です)
そこでまあ最初の話に戻るのですが、何故「百選」なのか? という事なのです。
私は企画そのものを批判しているわけではありません。企画の段階で「百選」という数字を限定する設定をし、企画そのものにある種の付加価値を付けたのであれば、それは公平に扱われなければいけないのではないか、という話です。
……もしかしたら、「価値」に対して否定的意見があるかもしれないので補足しますが、少なくとも、現在までの参加者及び参加を待っている方の中に、大なり小なり百選に書く事に価値を見出している方は居ると確信しています。というか、それが普通だと思いますが。言い方を変えれば、コミュニティに参加する、という事そのものが一つの付加価値であり、それを求めないのなら自分の日記に普通に映画の感想を書けばいいわけです。改めて「百選の一つとして書く」という事自体が、既に一つの価値性を存しめるのです(この場合、それを外部の人がどの程度の価値として受け止めるかは全く関係ありません)。
以上、ここまでの文章は全て(正確にどのような意図であったか分かり得ない)id:Mattyan氏の行為を正当化するものではありません。また、ここまで40人以上が関わっている「はてなダイアラー映画百選」を御破算にしたら良いのじゃないかというつもりも(そもそも権利も)私にはありません。
ただ、現状話がこじれている問題点はこういう所にあるのではないかという一考察であり、少なくともこういう問題点は含有しているのではないか、という指摘だと捉えていただいて結構です。
個人的な改善案を述べさせてもらうならば、既存の投稿はそのままに、「はてなダイアラー映画お薦めクラブ」にでも改名するのが良いのではないかと思いますが。面白さの一つの肝であるリレー形式は勿論そのまま残し、振ってくれリストもそのまま残し(振ってくれリストの人にバトンを渡す、という行為もまた参加者の繋がりを広げるという意味で有益であると考えます)、ただし、どうしても今すぐに書いてクラブのコミュニティに参加したいという人は、飛び入りで参加を可とする(当然、飛び入り参加の人はリレー行為は行わない)。
こういうのが良いんじゃないかと思いますけどね。
(※既存のものが現在進行形で存在するのに全く同じようなものを置いても機能する筈がない「真」に関しては考証外)
私から見ると、根本的な癌はやはり「百選」にあると思うので。というか何だろうなぁ……コメント欄などを見る限り、正直、最初に百選という形式ありきで、そういった限定がある種の価値なり権威なりを生み出すという事に関して(企画した人が)無頓着な気がするのですがね。
なぜ「百選」なのか? という事にきっちり説明をつけられないならば、別に100個に限定しなくてもいいと思いますが。遊びはそのぐらい、鷹揚にやった方が良いかと。
まあ、100個出す事が目的であって、はてなの界隈では「百選」とはそういうものなのだ、と言われれば、はいそうですか、とお手上げですけれど。