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「歴史街道」11月号の特集が、長宗我部元親・盛親

これも人気のなせる業か。
内容にそれほど目新しい所はありませんでしたが、改めて、信親が戸次川で死んでいなかったらifは考えてしまうなぁ。
若くして無念の死を遂げたような人物は美化しがちな文化があるので多少はさっぴくとしても、信親は優秀な人物ではあったようですし、一国の君主としてはともかく一軍の将としては資質があったであろう盛親をはじめ、兄弟そろった所に元親が晩年まで(精神的に)健在なら、少なくとも関ヶ原における全国最低クラスの立ち回りは無かったでしょうし。
加えて跡目騒動が無かった事になければ、重臣も何人か腹を切らずに生きていますし、それなりの戦力。
まあ黒田父ほど無茶はしないだろうにしても、順当にいけば東軍に着いたでしょうから、うまくやれば戦後の論功行賞で、場合によっては土佐+隣の国ぐらい貰えたかもしれない。
まあ、「信親が生きていたら」というifの状態で、家康が長宗我部家をどう判断するか、というのも絡んできますが。基本的には、小牧・長久手の時に同盟していた仲ではあり、信親存命なら、秀吉死後の家康の婚姻外交の対象になったかも、とか考えてみるのも面白い。
それでもって、山内一豊の土佐入りが無くなると、果たして250年後にどうなる事やら……まで考え出すと考慮すべき因子が多すぎてカオスですが、結構この、長宗我部家の栄光と挫折、は近年「本能寺の変」関係で注目されている事も含め、日本史の大きな所に間接的に影響を及ぼしている部分があり、面白いです。
もうちょっとifを広げてみるなら、「黒田さん家から悪い遊びのお誘いが来ましたよ?」というのもありかなぁ(笑)
そして正史に戻ると、信長−秀吉ラインの凄い所は、こういった地方英雄の独立王国、というのを徹底的に阻止した所にもあるのだな、と思わされる。