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『烈車戦隊トッキュウジャー』感想46

◆第46駅「最後の行き先」◆ (監督:竹本昇 脚本:小林靖子
うーーーん…………決して破綻しているわけではないのですが、最終章手前までがすべからく個人的なツボにはまりまくりだったのに対し、ピントがずれてしまったなぁ。そういう可能性は覚悟していたし、あくまで個人的な趣味に合致するかどうかという話ではあるのですが、残念。
確かに前半から因縁づけて絡めてはいたのですが、今作は「ライトとゼット」の話だったのか??? という所でどうも最終列車に乗り損ねた感じ(^^;
そしてライトと陛下の話にしては、陛下の背景がぼんやりしすぎだと思います。途中でライトの闇への言及や、ラストの、全て真っ黒な闇の世界の描写とか良かったのですが、これなら、闇の中に居る陛下の内面、というのはもう少し前から仕込んでおくべきだったろうな、と。
陛下は陛下で面白いキャラクターとして描かれていたとは思いますが、ここまで物語の焦点を合わせるにしては、少し足りない。
その、最後の集約点がズレた事により、闇とか、大人の姿とか、ヒーローになる事とか、繋がりそうだった要素が空中分解気味になってしまったというか、料理の皿からこぼれてしまった印象。
以前に書いたように、第43話までにおいて、今作の背骨のテーマに関してはある程度やりきったとは思うのですが、惜しい、惜しいなぁ。最終話でミラクルという可能性もありますが、この流れだと、あまり期待できない(^^;
「昴ヶ浜の仇じゃぁぁぁぁぁ!!」(死んでません)とばかりに、キャッスルターミナルへ単身カチコミをかけたライトは、暗黒1号に変身。クローズ軍団を消滅させると、モルク、ネロと激突する。ゼットと同質の闇の力を放つ暗黒1号はモルクとネロをすら吹き飛ばすが、闇の力の重みに動きが鈍り、6号に助けられて一時撤退。
「俺……わかるんだ。自分の中で、闇が広がってくと、気持ちも、体も……どんっどん重くなってさ。なんか、すっごい真っ暗で。……だから……闇は明るい方に広がってく」
ライトは体力回復の為に烈車の中で一時休憩し、ライトを忘れてしまった昴ヶ浜の描写が挟まった後、烈車の中で「きらきらひかる〜♪」を明がハーモニカで吹いている、というのは良かった。
「あの闇の中で戦えるのは俺とおまえだけだ」
トカッチとかわした約束の儀式――指切り――をする明とライト、とかこう、部分部分は悪くないんですが。
皇帝ゼットの抱えていた真の闇が溢れつつあるキャッスルターミナルでは、トッキュウ1号とザラムだけはこの手で始末する、とネロ男爵が出撃。
「ネロ男爵……ま、奴の忠誠だけは認めてやっても良いですな」
最終話手前にしてとうとう、「忠誠心だけ高いぼんくら」扱いを受けてしまうネロ男爵(笑)
男爵、格好いいのに!
というか結論としては男爵は、《クラス》:ソルジャーなので、運用方法が間違っていたのだと思います!
初期の見せ場の後は、光線技で以下略みたいにされがちな中、最後の最後まで殺陣が格好良かった悪の幹部としては、戦隊史上屈指だと思います、男爵。
その分モルク侯爵がどうしても冴えないのですが、ちょっとひねりたかったり、チェスのクイーンのモチーフだったりしたのでしょうが、素直にアクション映えするデザインにして、シャドーライン幹部陣は全員武闘派で良かったのに。
休息を完了したライトを、すっかり保護者目線で見つめる明。車掌とワゴンさんも同行を宣言し、再びキャッスルターミナルへの突入をはかる烈車は、ネロ男爵の操るクライナーと遭遇。明が外へ残って超クライナーロボにビルドダイオーで立ち向かい、1人キャッスルターミナルに辿り着いたライトの前には、皇帝ゼット自らが降り立つ。
「てめぇ、やっぱりキラキラの欠片も見えねぇな。……闇の中の気分はどうだ?」
「…………悪くないよ。この闇のお陰で、おまえとも戦えるんだし」
シャドータウンの闇の中ではトッキュウジャーもまともに戦えないというのは以前から描かれていますが、ライトが得た闇の力というのは偶発的な上になし崩しのものなのに、この最終章だけの必要不可欠なギミックになりすぎているなぁ(^^;
現状を前向きに捉える為のライトの考えとしては理解できるのですが、闇の力の伏線自体は序盤から仕込まれていたのに、描写としては「突然手に入れたスーパーパワー(リスクあり)」になってしまっており、しかもそのリスクを冒すか冒さないかの選択肢がライトに与えられていないので、葛藤と選択のドラマ性が必要な所に生じていません。
その為そこに物語が付加されず、闇の力そのものが、非常に軽くなってしまっている。
「キラキラでは勝てないから、仲間を子供に戻して1人でも勝つ為に闇を選ぶ」(皇帝と同じ孤独を選ぶという事でもある)ならまだわかるのですが、「闇の力の影響で子供に戻れないから闇の力を使ってでも1人で勝つしかない」というのは、ただひたすらライトを追い詰めているだけの上に、1年間の物語がそこに乗っておらず、ここまで積み上げてきたものからズレてしまった気がします。
例えるなら、1年かけてお城を建設していて、完成したと思ったら何故か最上階がカレー屋だったみたいな。カレーはカレーで悪くはないけど、お堀作って城壁作って、二の丸三の丸と組み上げて、天守閣に辿り着いたらカレー屋だったの?! という。
これは勿論、個人の『トッキュウジャー』観によりますが、私としては腑に落ちないというか、何が一番、腑に落ちなかったのかが、ようやく納得できるレベルで言語化できた感じ。
「ゼット! おまえを倒して、おまえの闇を止める。――トッキュウチェンジ」
「てめえに俺は倒せねぇ。俺には見える」
(……俺には見えない……勝利のイマジネーションが。これが、キラキラが無くなったって事なのか?)
これも前回ラストから、闇の力を得た代わりに勝利のイマジネーション(キラキラ)が見えなくなった、としているのですが、ライトにそもそも選択の余地がなかったので、何かを得る代わりに何かを失うという関係性がフェアに成立しておらず、あまり効果的な台詞になっていません。
悲劇的な運命に巻き込まれた悲壮な戦い、という物語の作り方は勿論ありますが、今作が最終盤でそういった構成になってしまったのはどうしても違和感(それやるとそもそもレインボーラインどうなの? という話になってしまいますし、ここまで見ない振りをしていたそこにツッコんでしまって良いのだろうかという問題も生じる)。今作って一皮剥くと滅茶苦茶重い話をあくまで前向きかつ陽気に突破していくのが魅力的だったのですが、最後の最後で急に露悪的になってしまったというか。
苦戦する1号を助ける為に、禁断の究極奥義・烈車轢きを敢行する車掌とワゴンだが、ゼットはそのその突進を受け止め、逆に烈車をひっくり返すという驚愕のパワーを見せる。
「やっぱり、トカッチくん達じゃないと、サポートは……」
「今更遅いですよ。もう何も覚えてないんですから」
「でも、明くんにお願いしたアレ、みんなが気付いてくれたら、もしかして!」
「ええっ?!」「何の事ですか?」
「全部忘れちゃうなんて、激しく、寂しいから……」
前回、明が秘密基地の所で何かをしていたのは、ワゴンに頼まれて、トッキュウジャー5人で撮った写真を、貼り付けていたのだった。
結局、娑婆に戻った少年兵を再び駆り出そうとするレインボーライン(^^; あまり後先考えないワゴンさんの気遣いとしてはいいけど、4人は子供に戻って良かった……とか呟いていた車掌がそこを肯定的なのはどうなのか。
やろうと思えばいくらでもやれた筈なので、車掌は故意にキャラクターとしてまとめなかったのでしょうが、それにしても何もおいしい所のないまま、とっちらかりっ放しでした。戦隊もライダーもギャグは現場処理が多いと聞きますし、脚本家の愛が無かった、としか思えません(^^;
昴ヶ浜の秘密基地では、誰かを忘れている気がする4人がその写真を発見し、全てを思い出す。
「「「「俺たち、トッキュウジャーだった!!」」」」
レインボーパスを失ってしまった4人だが、そもそもパスが秘密基地の定期券であった事を思い付くと、思い出の写真の裏を使って(これはとても良かった)、それぞれがライト行の定期券を新たに作る。そしてライトを助けに行けると4人が信じた時――それは強いイマジネーションとなり、レインボーラインがやってくる!
再び“ごっこ遊び”のイニシエーションを行う事で4人が改めてヒーローになる、というのは第1話ともしっかり繋がって良いシーンなのですが、だいぶ演出がバタバタ気味だったのが残念。
写真を見てライトの事を思い出す際も、パスを作って烈車がやってくる時も、大人の姿になる時も、総じて間が足りていません。
特に、パスを掲げた時に、烈車が来るかな? 来ないかな? というのはもっとドキドキさせる間が欲しかったです。
うーん、竹本監督は嫌いではないですし、そもそも今回の脚本がバタバタ気味というのもあったと思うのですが、やはり、パイロット版を含めて今作の主要回を演出してきた、中澤監督でラスト2話は見たかったなぁ。次作の立ち上げ参加なので仕方ないとはいえ。
後ここで、ライトを助けに行くというのは当然として、
もう一度トッキュウジャーになったら、今度こそ子供に戻れないかもしれない。家族と離ればなれかもしれない。
という葛藤は必要だったと思うのですが、何故か全く無し。今作の重要な所ってそこで、それを乗り越えてライトを助けに行く所に意味があると思うのですけど。まあこの問題は、本当に大事なことは迷わない、という事で、迷わずライトを助けに行った上で、次回に触れられるのかもしれませんが。
再びトッキュウジャーとしてレインボーラインに乗り込み、ライトの元へ急ぐ4人だが、暗黒1号はゼットに敗れてしまう。そして皇帝の闇の力により、キャッスルターミナルが変形。巨大なロボット(モルクは、「獣」と呼称)と化したターミナルは莫大な闇を放出し、世界は闇に呑み込まれていく……。
この闇に気を取られたネロ男爵は、零距離からビルドダイオーの全ビーム発射を受けて超クライナーロボとまとめて大爆発。
ネロ男爵ーーー?!(悲鳴)
明は闇に包まれた線路の様子を窺い、4人はその闇の中へ全力で烈車を突入させる……。再び闇に閉ざされ、時間の止まってしまった昴ヶ浜を見つめ、横たわるライトは立ち上がる事は出来るのか?! 勝利のイマジネーションは再びその瞳に灯るのか?!
次回――終着駅。
て、男爵生きてたーーーーー!!(歓喜
最終回は、ネロ男爵がどのぐらい格好良く(或いは無様に)散ってくれるのか、それが一番楽しみかもしれません(笑)
まあ『特捜ロボジャンパーソン』みたいに、クライマックス45−49話でやらかして、最終回50話で大大大逆転打を放つというミラクルの例も過去にはあるので、もう一回ツボに来て欲しいなぁ。
……ところで最終回はさすがに、じゃんけんやりませんよね? 映画の宣伝テロップも入れませんよね??
不安(笑)
余談:編成の都合で急遽2/15→2/22に放映開始がズレた新戦隊『手裏剣戦隊ニンニンジャー』ですが、変更後の数日で「222(にんにんにん)は忍者の日!」という前向きなフレーズ考えてCM用の音声まで収録した人達は素晴らしい仕事。作り手のスピリットを見た思いです。