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ようやく『シン・ゴジラ』を見た(ネタバレあり)

前振りとして、2014年に映画館まで見に行った『GODZILLA』がもう一つピンと来なかった為(当時の感想記事→〔『GODZILLA』(2014)、見てきた 〕)、良い評判を聞きつつも及び腰になり、レンタルを待った上で期待と不安が半々ぐらいで見たのですが、なかなか面白かったです。
台詞と文字と人数という情報量の暴力で観客の頭を殴りつけ、ショック状態にした上でその隙に物語をハイスピードで進行。
政府の段取りとゴジラの進行ペースの絶望的なズレをギャグすれすれで描きつつ、あまりにも異様な巨大生物の姿に、それはまあ、こんな物が突然海の中から現れたら混乱してまともな対応が出来なくても仕方ない、と思わせ、ところがその対応が徐々に噛み合っていった時に、虚構の災害が現実に隣接する衝撃。
ゴジラという姿で現実の危うさを描き、しかしそんな世界で、それでも人は生きていくんだ、という物語であり、生きていかせようとする使命を背負った男の物語、かなと。
以下、物語の内容に触れながらの感想。


 東京湾羽田沖を漂流していた無人のボートが発見され、海上保安庁が内部を調査していたところ、湾のほど近くで海面を赤く染めるほどの水蒸気が噴出。時同じくして、東京湾アクアラインにおいて原因不明の水漏れと崩落事故が発生する。現場の水深は浅く、海底火山の可能性は低い。ではいったい、東京湾で何が起こっているのか? 想定外の異常事態に誰も答を出せない中、内閣官房副長官矢口蘭堂は海中に潜む未知の巨大生物の可能性を指摘するが、事態は関係者の予想を遙かに上回る速度で進展していくのであった……。
日米の違いはあれど、《ゴジラ》タイトルとしての前作が、怪獣スペクタクルをハリウッド超大作の文法で真っ正面からやりきった『GODZILLA』だった事で、恐らく怪獣ディザースタームービーとして勝負するのは得策ではないという判断だったのでしょうが、基本的にはリアクションで描かれる映画。
映像的スペクタクルの不足を逆手に取り、アクションの主となるゴジラの説得力よりも、それに立ち向かう人々のリアクションに注力、有無を言わせぬ映像の迫力よりも生身の人間のリアクションの積み重ねでゴジラを存在させ、それ自体を映画の骨組みにして特徴としてしまう、という工夫は上手く機能したと思います。
勿論、ゴジラは充分に恐ろしく描かれますし、自衛隊が応戦してのドンパチもありますが、第4形態の上陸時にやたらロングカットが連発されるのと、やたら色々なミサイルが個別に撃ち込まれるのは、制作陣のミリタリー趣味もあるのでしょうが、コストカットと尺稼ぎには見え、本来はもっとがっつんがっつん巨大なゴジラが暴れ回るシーンを色々な形で見せたかったのではないのかな、と邪推してしまうところ。
逆にそのお陰で、怪獣映画好きが怪獣映画好きに贈る「こういうシーンが見たいんだろう?」的な映像の羅列がなく、個人的にそれやられると割と冷めるので、そこは幸いだったりはしましたが。
そんなわけで今作のスペクタクル面のクライマックスは物語の折り返し地点に当たる、第4形態の全方位ビーム発射なわけですが、下顎がぐわっと割れたのは格好良かったです。
そしてこれ、『伝説巨神イデオン』だよなと(笑)
総理以下、重要閣僚を乗せたヘリコプターがビームでじゅわっと蒸発し、前半戦のメインキャラの多くが末期の映像も無しに消滅するのは『逆襲のシャア』的な演出意識も感じますし、庵野監督なら富野オマージュを入れた可能性は考えても良いのかな、と。
つまり神の名を冠されたゴジラが発動し、世界壊滅エンド。
怪獣映画の一面として、作り手が心のどこかでやりたい事と、受け手が心のどこかで見たいものが合致する“美しいカタルシス”なのですが、それによって極端な話、今作は一度、ここで終わっているのだと考えます。
そして今作はここから、矢口が死んだ(或いはゴジラが休憩に入らなかった)世界と矢口が生き延びた(そしてゴジラが休憩に入った)世界に分岐しており、映画後半は後者の世界なのであろうと。
矢口は立川に到着した折に負傷しており、その後、巨災対のメンバーも半分ほどしか再集合できなかったと語られる事から、地下に退避したメンバーにも避難中に何らかのトラブルがあったのかと想像されるのですが、それを切り抜けて生き延びた事で、後者の世界では物語の主導権が、ゴジラから矢口へと移る。
ところで、「巨災対」だったか「巨対災」だったかすぐごっちゃになって困っています。
巨災対といえば前半危惧したのが、能力はあるけど各部署で鼻つまみ者だったり変人扱いだったりというメンバーが集められたとされる巨災対の設定。これが純然たるスペシャルチームものとして描かれるなら気にならないのですが、何故だか本当に実力を持っている人間は厄介者扱いを受けているメソッドが発動してしまい、その流れで、はみ出し者達の大勝利、オタク集団のルサンチマンの昇華というのだけは避けて欲しかったので、そうならなかったのは今作の良かった所。
それをやると、機能不全を起こした国家政府に代わって、いざって時に最後に頼りになるのはレールを外れ気味の奴等、となりかねず、安い皮肉に終わってしまうと思ったので。
はみ出し物軍団の物語、というのが嫌いなわけではないのですが、仮に今作でそれをやるならば、政府と関係ない民間の人々がふさわしかったでしょうし、基本的に民間からの有力な協力者というポジションをオミットし、最後まで内外の様々なコネクションが有効に活用され、「国家国民に責任を持つ者達の戦い」という形でまとめたのは英断だったと思います。
そこは今作が、物語の骨組みに「政治」を取り込んでおり、発想と行動が多少突飛ではあるが矢口も各方面に太いパイプを多数持ったバリバリの政治家である事、なんだかんだ巨災対のメンバーも官僚である事、などが良いバランスを生んだのかな、と。
そして石原さとみ演じる米国特使の存在は、言ってみればアンチ「巨災対メンバー」の役割を1人で担っており(その為やたらエキセントリックに描かれる)、その双方(+上下の現場)にコネクトできる事で矢口が今作における「ヒーロー」として完成する、という意味づけから、物語のスパイスとして機能しつつ、大きな意味を持ったキャラクターだったと思います。
で、米国さんが会議に参加した途端に、「人類の叡知の炎だ!」と核を核を撃たせてくれというお馴染みの展開になるのですが、これに対して最終盤、「人類の叡知」としてスーパーコンピューターの使用依頼という形で人々の信頼のネットワークが繋がり、映像的にやや地味なクライマックスであるポンプ車による冷凍が、炎との対比という物語的意味を持つ事で成立する、と綺麗に着地しました。
ヤシオリ作戦に関しては、在来線爆弾の準備とか、明らかにゴジラの物凄く近くのビルに爆弾をセットしているくだりとか、凝固剤がらみではない要素も事前に少し描いて欲しかったですが、そこが無かったのはちょっと残念。
不満点としては、2時間の映画としは緩急が弱い事。
これは、怒濤の破壊スペクタクルの代わりに怒濤の会議を取り込んで物語を成立させたデメリットで仕方ない部分はあるのですが、もう少し、明確に“緩”のシーンがあっても良かったように思えます。
それと関連するのが、ユーモアの不足。
後半は特に、東京都心に熱核兵器投下まで数日の状況であり、その緊迫感を優先したのかもしれませんが、様々な省庁から多彩な人物を集めた巨災対において、切羽詰まって緊張の糸が張り詰めている時に、軽いユーモアで周囲の肩の力を抜かせるような人物が誰も居ない、というのは物足りなく感じました。
“日本”を描くという今作においては、不撓不屈の精神というのは、目の前の現実に全身全霊で取り組む事であり、場を和ませる小粋なジョークというのは日本人的ではないという判断もあったのかもですが、そこはフィクションとして、そういう“強さ”を描いても良かったのではないかな、と思いました。
何も滑りかねない変なギャグを入れろとか、ゲラゲラ笑うような間抜けなシーンを入れろとかいう事ではなく、キャラクターのちょっとしたやり取りの中でクスリとさせる、みたいな物で良かったのですが、後半そういった要素がほぼ皆無になってしまったのは残念で、イメージ的な緩急の弱さにも繋がっています。
体型含め、矢口の友人の泉はある程度そういった意味合いを持ったキャラクターではあったのでしょうから、もう少し、目立つと良かったかも。
また前半、矢口のワイシャツがらみの話が今作では一番そういう意図を感じさせるシーンでしたが(ゴジラ再上陸前の“緩”の底でしたし)、あまり面白く感じなかったので、この当たりは笑いのツボの問題もあるでしょうが。
それから、“日本”を描くという点においては、もろもろ少々ストレートすぎないかとは思ったのですが、今作の背景に存在している時代の要請から、そうしてこそ成立した映画であるとはいえるのかもしれません。
怪獣映画を改めて時代にフィットさせたというのが、今作の極めて大きな意味であるのでしょう。
しかしまあ、ゴジラ以上の存在を出してしまうとゴジラ性が薄れるし、火山に落としたり氷山に埋めたり海に帰ってもらったりするとどうも映画的にカタルシスに欠けるしで、ゴジラというのはつくづく倒すのが難しい怪獣だと思うのですが、負のモニュメントとして世界を滅ぼしかねない時限爆弾と共存する――というのは風刺が効いており、同時に、人類とゴジラの均衡を保つ者としての矢口、というのが劇中の位置づけを受けていて、納得できる着地でした。
最後に尻尾の先に見えたのは、ゴジラ細胞から進化途上のゴジラ人間……?
この路線で大怪獣ものを続けるのはエスカレートに限度があるので、全く違う形状のゴジラが出てくる、というのは次をやるなら良いアイデアであるのかも。
後、好きなので気付いただけで、他にも色々と仕込まれるのでしょうが、偏愛する『vsビオランテ』分がかなり入っていたのは嬉しかったです。
そんなわけで、白神博士の例の台詞で締めたいと思います。
ゴジラでもビオランテでもない。本当の怪獣は、それを造った人間です」
以上、『シン・ゴジラ』感想でした。