訳あってしばらく、一部戦隊映画などをネット配信で見られる環境になったので、ちょこちょこと落ち穂拾いしていきたい予定。
◆『烈車戦隊トッキュウジャー THE MOVIE ギャラクシーラインSOS』◆ (監督:竹本昇 脚本:小林靖子)
掴みの見所は、いきなりレインボーラインに轢かれる猟犬シャドー。
SOS信号をキャッチして進路変更したレインボーラインは、ライオンの顔をした烈車と、それに銃を向けるシャドーラインの怪人を発見。
「おまえ達シャドーラインだな」
「ならばなんとする?」
「無礼者どもが! この御方こそシャドーライン宇宙方面担当、マイル伯爵!」
陛下! 物凄く大雑把ですよ陛下!
「狩りが好きでな。おまえ達、楽しめそうな獲物だ」
「どうかな? 俺たちを狩るのは、難しいと思うよ?」
不敵に笑うライトを中心に、TV版のOPを意識したと思われる線路を背景にしたカットで5人が変身した所でタイトルが入って主題歌が始まり、クレジットを流しながらしばらくクローズとの戦闘後、強敵ナイル伯爵の狙撃から4号が5号をかばって早速おいしい。
ナイル伯爵とその忠実なる猟犬シャドーに苦戦するトッキュウジャーだが、突如、ライオン烈車が1号を吸い込んで走り去ってしまい、後を追おうとした伯爵は皇帝陛下の呼び出しを受ける事に。
「宇宙にもキラキラは必要だと思うぜ?」
決して手に入らないものを求め続ける陛下に対し、トッキュウジャーも狩り尽くして闇の素晴らしさを見せつける、と言い放った伯爵は退席し、幹部陣はそれぞれ一言ずつの顔見せのみで出番終了。
劇場版スペシャルという事でか、謁見の間でスポットライトが激しくクルクルしているのですが、家臣一同、内心大変迷惑に思っていそうです。
一方、ライトのイマジネーションを動力に宇宙へ飛び立とうとするも失敗したライオン烈車にレインボーラインが合流し、謎の烈車とその操縦者は、人類の夢が宇宙というフロンティアに熱心に注がれていたアポロ計画の時代――50年前に誕生し、25年周期で太陽系を巡る宇宙大環状線ギャラクシーラインと、その車掌・レディと判明する。
レディ役は、クッキンアイドルとして一世を風靡し、後にプリキュアの声優ともなる福原遥(当時16歳)ですが、演技経験の少なさを考慮してマネキンのような役にしたのか、どうにもならなかったのでいっそマネキンのような役にしようと開き直ったのか、悩ましいレベル。
「ま〜今は、宇宙ステーションが幾つかあるだけの、まだ細々としたものですけどね」
「失礼な。細々として弱いのは、人間のイマジネーションが足りないせいです。お陰で宇宙に帰る事も出来ません」
どこか無機質ながらも言動のきついレディは、レインボーラインに協力を要請。
「地上のイマジネーションが減っているのは、あなた達の責任でもありますし」
チケットくんがこの発言に激昂するが、背後で起きる揉め事をどこ吹く風でエネルギー補給(食事)していたライトは、満腹になるとレディへの協力を宣言。
「誰だって、帰りたい場所には帰りたいからな。だろ?」
今作単体における目標を、故郷の街へ帰る、というTV本編におけるトッキュウジャーの動機付けとスムーズに連結し、5人と共に外へ出たレディだが、人々の姿に不満を口にする。
「まったく……なぜみな下ばかり見ているんです? かつてはギャラクシーラインが走るほど上を見ていたのに。これではイマジネーションが減るのも当然です」
一方、ギャラクシーラインが宇宙に飛び立つイメージを強く具象化する為、ライトはトカッチ&ヒカリと相談しながら、高層ビルを柱代わりとした空想のジャンプ台をスケッチして作戦を練るがレディは不満を示す。
「問題はエネルギーなんですよ。それはどうするんです?」
「あるよいっぱい。俺は、人のイマジネーションが減ってるとは思ってない」
笑顔で断言するライトに反発したレディは、時間の無駄だと呆れてその場を去ってしまうが、ライトのスケッチに目を止めた幼稚園児達は、宇宙へと向かう空想の線路を即座に受け入れてみせる。
「昔の事は知らないけど、ライトの言うとおりだね」
「うん。今だってイマジネーションは溢れてる」
……嗚呼凄く、『トッキュウジャー』だなぁ。
放映当時、とにかく私のツボというツボに突き刺さりまくっていた『トッキュウジャー』ですが、この映画、究極的には、このシーンだけで満足。
「よし……俺には見えた」
夢から生まれたヒーローと、ヒーローがくれた夢と、その双方を肯定しながら、いつか子供が“昨日の自分に胸を張れる、大人という名のヒーロー”になっていく姿を描く『トッキュウジャー』は、究極的には“祈り”の物語なので。
車掌からライト達の事情を説明されたレディは再びナイル伯爵の襲撃を受けるが、そこに駆けつけるトッキュウジャー。トカッチら4人が足止めしている間にライトはレディを連れて烈車に乗り込み、作戦通りにライオン烈車を引っ張って走り出す。途中、クローズにポイントを切り替えられて危機に陥るが、そこに響くハーモニカの音色――。
「ここか、俺の死に場所は」
やたら演技が硬いので確認したら、公開が7月だった関係もあり、明は初の撮影参加がこの劇場版だったとの事。TV本編における登場回の脚本も完成していなかった為、お約束のこれも台詞先行だったそうで、背景もわからずに「俺の死に場所」を連発する、大変難解な役だったようです(笑)
ナイル伯爵の追撃が迫る中、レインボーラインはライトのイマジネーションが生み出した空へと伸びる線路に乗り込み、ライトの指示で車掌が放水すると、空に大きな虹がかかる。その虹に子供達の注目が集まる事で、子供達に“見える”ようになるレインボーライン。
果てしない線路の向こう側 輝いているものはなんだろう?
「列車が空飛んでる!」
「あれ、宇宙行くのかな?」
「当然だろ。宇宙列車だー!」
山越え海越え空も越えて いったいどこまで行けるんだろう?
「言ったろ? 地上のイマジネーションは減ってないって。減ってるとしたら、自分のなんじゃない?」
「え?」
「ちゃんとここで見ろ。宇宙へ帰る、烈車をな」
人々のイマジネーションがサファリ烈車に宇宙へ飛び立つ力を与えていき、ライトに促されたレディは、目ではなく心で、大宇宙へ伸びる線路をイメージする。
くじけそうな時でも 想像すれば 不可能なんてない きっと出来る筈
「見えたか? よし! ここから先は自分の烈車で行け。大丈夫。行ける」
まだまだ加速して 描く夢は そうさ―― 無限大!
サポート用のギャラクシーレッシャーシリーズをライトに渡したレディは笑顔を浮かべてライオン烈車に乗り換え、ライトの中身はあれだし、レディも生後50年?の概念体なのですが、劇場版スペシャルという事でか、珍しくライトが少しモテています(笑)
ここまで無表情で近づきがたい雰囲気だったレディがここで笑顔を見せるというのは狙い通りでしょうが、本編終了後のレインボーラインとは何か?というのを知った上で見て思うのは、レディの無機質さは宇宙へ向けられたイマジネーションの不足によるものであり、とすれば表情と物真似豊かな関根車掌との対比は意図された所であったのかなと。そして、惣菜が被り物だったのは、惣菜は“顔の無い存在”、或いは、“無限の顔を持つ存在”であったのかなと、今更ながら。
……まあ、関根車掌がどうにも持て余したままだったのは今作の短所の一つですし、今後の本編で明かされる惣菜の外道ぶりも、フォロー不能な事に変わりはありませんが!
虹を守るべくナイルを阻んでいた6号もクライナーからはじき出されてしまうが、ライオン烈車そしてレディに、宇宙へ飛び出すイマジネーションを与える事に成功したライトは、連結を解除すると烈車を反転させ、遂に、クライナーを、轢く(笑)
「ナイル伯爵! 今度はこっちがおまえを狩る番だ!」
ライト達は合流し、脱線して半壊したクライナーから何とか脱出したナイル伯爵とその忠実なる猟犬シャドーを見下ろして言い放つ台詞が実に、陽気に狂気で笑いの奥に殺意が高いトッキュウジャーです。
5人は変身すると、レディから預かったギャラクシーサファリ烈車に乗り換え、それぞれ、レッド乗り換えてライオン、ブルー乗り換えてイーグル、イエロー乗り換えてワイルドキャット、グリーン乗り換えてアリゲーター、ピンク乗り換えてパンダ、に追加武装。
「勝利のイマジネーション! 烈車戦隊、トッキュウジャーーサファリ!」
そもそも「電車」+「サファリ」という企画が謎ですが(同時上映作品の、「フルーツ」+「武者」に対抗したのか??)ライオン烈車のデザインを除くと、ここまでサファリ要素は皆無であるという強引の極みながら、イマジネーションなのです、で概ね押し切れるのが今作の強み(笑)
と思っていたら、戦闘のバックで流れる、串田アキラ×堀江美都子による劇場版テーマソングで
ライオンが牙を剥き イーグルが空駆ける そうさ何でもありなのさー
と断言されていました(笑)
トッキュウジャーは怒濤のサファリ攻撃から合体サファリバズーカで伯爵&猟犬に大ダメージを与え、パンダ最強。なお2号イーグルのアクションが、後のジュウオウイーグルにそこはかとなく活かされている感じです。
追い詰められたナイルと猟犬は超巨大合体し、ナイルへの忠節は本物だった猟犬が、盾にされるなどの捨て石として処理されるのではなく、主人と最後まで運命を共にする使われ方だったのは、地味に良かったところ。
「こっちが俺の死に場所だったか」
「まーた。何度も言うけど、違うよ」
並んで攻撃を仕掛ける超トッキュウオーとビルドダイオーだったが、高さだけでも優に3倍はありそうな桁外れの大きさを誇るキングナイルダーには一切の攻撃が通用せず、揃って大ピンチ。しかしその時、存在の維持に関わるダイヤを乱してでも宇宙から戻ってきたレディがサファリ烈車で巨大ナイルの触手を轢き、やはり、東映ヒーローにとっては「轢く」のがイニシエーションなのです。
レディは宇宙で集めた仲間の烈車をトッキュウ1号に託し、1号はギャラクシーラインを烈車変形させた宇宙ライオン、サファリガオーでナイルダーに反撃開始。そしてトッキュウオーも6号が乗り込む事で(ビルドダイオーのエネルギーを回す事で?)戦列復帰。
「気にするな。こここそが俺の死に場所――」
「「「「違うから!!」」」」
ツッコみ続けないと、ダメになりますからね!
「見えたぞ!」
「「「「「「おまえの終着駅!!」」」」」」
トッキュウオーがサファリガオーにまたがったライディングトッキュウオーは劇場版仕様のうねうね動くCGバトルでキングナイルダーを切り刻み、トドメはトッキュウサファリダブルキックで終点到着。
トッキュウジャーとレディは勝利のハイタッチをかわし、5人はサファリレッシャーを返却して、宇宙への帰還を見送る。
「ありがとう。皆さんのおかげでまた、イマジネーションを信じる事ができます。人はいつか、もっと自由に宇宙を行けるようになるでしょう。その時を待ってます。宇宙で」
ギャラクシーラインは再び宇宙へと走り去っていき、強く信じる事で自分を世界を変えていくという構造を持つ今作が、映画単体として、“信じられなくなってしまった者を救う物語”になっているのが秀逸。
それこそ、ヒーローの役割であるわけで。
また、TV本編への影響を最小限に収められる「宇宙」という要素を持ち込みつつ、最終的にそれをとびっきりの未来と繋げる事で、イマジネーションの意味を描き、TV本編のテーゼと違和感なく連結したのもお見事でした。
TV本編1.5話分程度の尺(30分)で、本編とある程度切り離し可能な物語を展開した上でゲストと劇場版スペシャル販促を詰め込まないといけないというハードルから、あまり期待しないで見たのですが、ばっちり『トッキュウジャー』していた上で、まとまりが良くて面白かったです。
販促要素をイマジネーション力技でねじ伏せたのは若干ズルいと思いつつ、改めて『トッキュウジャー』の自分のツボへの刺さり具合を確認したのでありました。好きだなぁ。