お休みだったので、『水戸黄門』(再放送/西村晃時代)を久しぶりに見ました。
今日の黄門様は、終始キレ気味。
ストーリーの方は大雑把に(最近、この言葉好きなのか?)言うとこんな感じ。
要するに「姥捨て山」の翻案なのですが、自分と同世代の老人達の境遇に身につまされるものがあったのか、老人問題に憤るご老公。「御飯は握り飯一つで充分」とか代官屋敷に単独で調査に乗り込んだりとか、ひたすらアグレッシブ。挙げ句の果てに自ら酷い方の蓬莱山へと自分で自分を捨てに行き、老人達をあおりたてて決起・下山。それを阻もうとした代官の手勢を得意の杖術(西村黄門は、たまに戦うのです)で叩きのめし、最後は援護に来た助さん角さんへ向けて、
ある貧しい村を訪れた黄門様ご一行。そこには、老人達が余生を穏やかに過ごす蓬莱山があるという。しかし実は蓬莱山は、金持ちがお金を払って入る豪華なものと、貧乏人が口減らしの為に連れて行かれる酷いものと、二つあるのだった。しかも土地の代官は、年齢を理由に貧乏な老人を蓬莱山に無理矢理連れていき、その分浮いた米を年貢米として取り立て私腹を肥やしているのだった! その事実を知り激怒した黄門様は――
「助さん、角さん、徹底的にこらしめてやりなさい!」
という、はっちゃけぶり。びば・西村黄門。いや久々に、いい物見させていただきました。
……まあしかし、よくよく考えると、西村黄門は怒りっぽかった様な記憶がしないでも無いのですが。世代的には西村晃がまいふぇぼらいと黄門なのですが、さすがにあまり覚えておらず(^^;
「笑いの東野・怒りの西村・泣きの佐野」
で良かったんだっけなぁ。
ところで友人が、
「やっぱり『トリビアの泉』のへぇ〜、の元は『ガッテン』(ためしてガッテン)なのかなぁ」
という非常にエキセントリックな意見を述べておりました。うん、その説は、初めて聞いた。ガッテン、好きだけどさ。