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気が付くと『クロスボーン・ガンダム』語り

ゲームなどで断片的にしか知らないのですが、そういえば『交響詩篇エウレカセブン』は、“異種共生”の物語でもあったのかしら、とコミックを返品しながらふと思う。
……というのはまあ、『寄生獣』がらみで、そっち方面への感度が上がっていたからなのですが、その流れで、先日X−3の玩具をいじる過程で読み返していた『機動戦士クロスボーン・ガンダム』で、印象深いくだりを思い出す。


俺たちの誰もが……
地球を攻めようとしている人も守ろうとしている人も
宇宙に済む人々全員が……
実は地球のことなんて本当はよくわかっていないんだ。



ニュータイプになるとかならないとかじゃない……
もっと別の意味で……
人類は地球に住む生き物じゃなくなってきているんだ……。

木星連合との戦いで母艦を失い、地球で身を潜めている主人公(宇宙生まれの宇宙育ち)が、地球の自然に触れる中で得る述懐。
今作はここで、同種が異種になる事について踏み込みます。
或いは、どこまでが同じ種で、どこからが違う種なのか。
生物的に同じメカニズムでも、よってたつ思考が根本的に違う時、どこまでが「人類」にカテゴライズされるのか。
まあ例えば凄く大雑把な例として「敵対している宇宙人が実は祖を同じくする存在だった」とかいうネタは珍しくもないわけなのですが、その過渡期、「人類はいつかどこかで人類ではなくなるのか」という所を描いている、というのはそう多くはないのではないかと思います。
大昔には、「ガンダムはSFか否か?」なんて話がかなりシリアスに業界では激論されていたみたいですが、個人的には『ガンダム』はSFだと思っていて、それは、環境の変化に対する種の適応、という部分に触れている、という点にあります。
私の中で、SFである/ない、を区別する指針の一つなのですが、何らかの事象による社会の変質に対するリアクション、というのが描かれているかどうか、はSFとファンタジーの境界線における一つのポイントだと思っています。
ガンダム』はその上で人間と人間が争っている、というのが作品としての妙味だったわけですが、『クロスボーンガンダム』はその点において、一つその先へ思考を進めてみている、とも考えられます。
もともとがそういう所に立っているから、20年ぐらい経ってから、そこで話を広げる事が出来る。
最終決戦、主人公の前に立ちはだかる木星帝国のパイロットが叫ぶ。

「いつの世も強い者だけが生き残る! これが掟だ!
 進化の歴史を見てみたまえ!
 常に新しい環境に適応した新しい種が古い種を食いつぶす!
 酸素に適応したものが古いバクテリアを腔腸生物を脊椎をもつものが!
 そして、水から出た魚がトカゲとなって魚を食う!
 そう! 自ら出たトカゲだ!
 われわれは水からあがったトカゲほども地球人とは違う!
 宇宙という違う生活圏を求めた時からそれは当然の結果として起こったのだ!
 そして、魚とトカゲがけしてわかりあえぬように……違う生き物同士は結局は“敵”なのだ」


「ばかな? あんたたちだって人間じゃないかっ!」


「違うな! われわれは木星なのだよ! 地球人がそう呼ぶようにっ!
 違う惑星の生き物なのだよ! すでに!
 SF映画に出てくる異星人のようにね!
 人間は宇宙に広がることによって“敵”を作り続けているのだよ!」

屈指の名シーンの一つ。
今作は、原作を富野由悠季、作画を長谷川裕一というタッグで作られており、長谷川裕一のSF的素養とセンス、というのがどの程度の影響を与えているのかはわかりませんが、SFとしての『ガンダム』の到達点、はこの『クロスボーンガンダム』だと思っています。富野は繰り返し「僕はSFがわからないんですよ」と言うのだけど、どうしても信用できない(笑)
そして最後の最後、木星帝国の首魁ドゥガチと相対する主人公、語られるドゥガチの本心と私怨。

「真の人類の未来? 地球不要論!?
 そんなものは言葉の飾りだっ! わしが真に願ってやまぬものは唯ひとつ!
 紅蓮の炎に焼かれて消える 地球そのものだ――っ」


「安心したよっ! ドゥガチっ!
 あんた……まだ人間だっ
 ニュータイプでも新しい人類でも……異星からの侵略者でもない!
 心の歪んだだけのただの人間だっ!」

ここまでやっておいて、最終的に「人間」のエゴの話に戻してしまうのは勿体なかった気もするのですが、これは『ガンダム』という枠内ではそういうテーゼを示す所まではやるけど、その先までは書かないよ、という、作家としての富野由悠季の線引き、ではあったのかもしれない、と今読むと思う。
何年か前から各種ガンダムゲームへの参戦で知名度が割と上がったりしましたが、改めて超名作。PS3だから購入の対象外ですが、『ACE』シリーズの新作に出るというのは、実は凄く気になっています。
最後に、本作で一番好きなシーン、木星帝国との最終決戦に向かい大気圏を突破する主人公の、モノローグ。

ぼくは人がニュータイプにならなければ戦いをやめられないとは思えません。
人間としてやるべきことをすべてやって
それを自分の手で確かめてみたいと思うのです。


神よ――
もし、本当におられるのでしたら……
決着は“人間”の手でつけます
どうか手を――お貸しにならないで――

長谷川裕一の作画演出もぴたりとはまって、滅茶苦茶格好いいシーン。