◆第四十八幕「最後大決戦」◆ (監督:中澤祥次郎 脚本:小林靖子)
遂に働いたと思ったら、反動でしばらく回想シーンしか出番がありませんでしたが、いよいよ御大将ふっかぁーーーーーーーつ!
というわけで今回も、サブタイトルの所から劇へ繋がるBGM。
「てめえが三味線を手放すとはな……。最後の音色、聞いたぜ」
「そうか……」
「だが、昔みてぇな腹に沁みる音じゃなかった。ちっとも響いてこねぇ」
「あれが……本当の三味だよ……ドウコク。わちきは、初めてうまく弾けた。これほど気が晴れたのは、数百年ぶりだ」
太夫にとっての三味線は、外道になった執着そのものであり、同時に外道ではなかった頃の自分への未練でもある。太夫が三味線を弾くのは“かつて人間だったから”であり、しかし三味線を弾く限り、太夫は外道である。
人間であった頃のよすがそのものが外道である事の証明、という現実をようやく認めた太夫は、その決着として、“外道である事を認めた”上で、“外道である事を捨てる”。
と、何とも複雑な二律背反。
人間ではないドウコクが聞いていたのは太夫(薄雪)の三味線に込められた人の世の怨念であって、人間としての太夫が弾きたかった本当の三味線の音色ではなかった、という「あれが……本当の三味だよ……ドウコク」は凄く好きな台詞。
シンケンピンクに斬られ、よろめきながら立ち上がった太夫を片腕抱きにするドウコク。
「もう、俺が欲しかったてめぇじゃねえな」
「昔のようには弾けん。……二度とな」
「……だったら――終わるか」
「ああ……それもいいな」
もちろん細かいニュアンスの表現など不可能なのは承知の上で、台詞の書き起こしに際しては出来る限り元のニュアンスを残そうという儚い努力はしているのですが、この「終わるか」は絶対不可能で、凄く、いい。
素っ気なく突き放すようでいながら、どこか惜別と諦観の篭もった、血祭ドウコクの戦鬼ではなく、男としてのダンディズムが溢れた一言。
一方の薄皮太夫は、外道としての執着を手放しながらも、人としての情の深さからドウコクに報い、けれどそれは同時に、ドウコクの手に届かないものになることを、知っている。
情はあるが愛はない。
未練はあるが戻れない。
執着はあるが手に入らない。
外道とは――求め、飢え続けるものであるがゆえに。
満たされれば消える他ない。
「じゃあな、太夫」
まるで骨の髄まで握りしめるような抱擁によってドウコクは太夫を吸収し、その名残のように肩にかかる白い打掛。
ドウコクの赤黒いボディに白地の着物が映えて、このまま戦ったら滅茶苦茶格好良さそうと思ったのですが、さすがにそれは無し。
ドウコクは咆吼し、その復活に離れた場所で戦う丈瑠も気付く。名乗りをあげる志波薫/シンケンレッドの元に5人が集い、姫が封印の文字を使うまでの時間稼ぎとしてドウコクに挑む事に。青には印籠が渡され、緑は恐竜ディスクを受け取ってパワーアップ。恐竜緑は予想外でしたが、ここで使ってくれたのは良かったです。……正直、忘れていました。
凶悪無比のドウコクに5人が立ち向かい、わざわざ高い所に立って堂々と封印の文字を書き始める姫。
敢えて敵の目に触れる位置に仁王立ちする事により、集中力が30%増し(当社比)するのです! まさに死中に活あり、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
実際姫、丹波曰く「血の滲む」(ような、ではない)努力の末に封印の文字を修得したとの事なので、素足で日本刀の上に立って字を書いたり、地雷原を走り抜けながら字を書いたり、次々と丸太が流れてくる激流の中で字を書いたり、ぐらいしておられるのです。
(絶対……成功させる。この日の為にこそ……父上)
前回、男前ポイントを獲得したのがフラグだったのか、ドウコクに真っ先に首ちょんぱされそうになるゴールドだが、間一髪、ダイゴヨウに助けられる。懸命に戦うも、あまりにも桁違いのドウコクの力に、倒れ伏す5人……しかし、ドウコクの歩みが姫に向いたその時、封印の文字(門構えに悪っぽい字を書いて火が三つ?みたいな)が完成する!
「外道封印!」
姫の放った封印の文字はドウコクに直撃。吹き飛んだドウコクはそのまま崖に叩きつけられ、大爆発。
封印の文字を放った姫の残心と、画面奥の大爆発、のカットは凄まじく格好良く、文字を書き終わった後のポーズ、としては歴史的な格好良さではないでしょうか。
その後の、気力を使い果たして座り込んだ姫を手前に、駆けつけた丈瑠が奥に、という構図も格好いい。
「父上……ようやく、ドウコクを……」
恐怖と殺戮、圧倒的暴力の権化、血祭ドウコク。三途の川に生まれ、此の世を憎む底抜けの怒りと苛立ちの塊は、数百年に及ぶ死闘の末、遂に滅びたのか……
「残念だが終わってねえぜ」
志波家が生み出した対ドウコク必殺奥義――火のモヂカラの結晶・封印の文字。
その直撃を受けたにも関わらず、血祭ドウコク、未だ健在。
「太夫、てめえの体、役に立ったぜ」
封印の文字は確かに力を発動した……が、はぐれ外道である太夫を取り込んだ事によりドウコクの性質に変化が生じ、狙い通りの完全な効果をあげるのに至らなかったのである。
「全員死ね!」
ドウコクの反撃により大ダメージを受けた姫は高台から落下して変身解除。丈瑠と黒子が煙幕を張って戦闘不能の6人は退却する……のですが、丈瑠には、姫が落ちる前に、拾ってほしかった(重要)。
つまりそこで、お姫様だっこが欲しかったんですよ丈瑠!
男前ポイントを稼ぐ大チャンスだったのに丈瑠!!
このへたれめ!(理不尽)
「ちっ、とどめはお預けか」
ドウコクも無理にそれを追わず、太夫の名残の着物を拾って一旦退き、とにかく着物を肩にかけたドウコクが格好良すぎます。
なお、太夫が愛でていた毛玉が、ここで踏まれて消滅(^^;
戦隊怪人デザイン大鑑『百化繚乱』によると、「六門船の中が暗いという意見があるので何かマスコット的なキャラを出せないか」という事で追加されたというスス木霊ですが、初期はただの賑やかしだったのが、太夫の三味線代行をするようになってからちょっとしたキャラクター化し、思わぬ作品の彩りになりました。
特にキャスト表記されてないけど「べん べん べべべん」はかなり可愛げがあっていい味出ていたのですが、誰が声をあてていたのかしら。
切り札であった筈の封印の文字がドウコクに通じず、打ちひしがれるシンケンジャー。
「お姫様、辛いやろうなぁ……お父さんから受け継いで、一生懸命稽古してきはったのに」
ここで、ことはが姫に寄り添う台詞を口にする事で、姫とシンケンジャーの関係性の前向きな変化が描かれ、また改めて、今作にとって大事な「受け継いだもの」というテーマが入れられています。
右腕に重傷を負い、床に伏せる姫は丈瑠を呼ぶと、2人だけで話したい、と丹波らに退席を命じる。さんざん抵抗した丹波は、出て行ったフリをしてふすまに耳を当てているのを姫に気付かれて部屋の中に倒れ込み、改めて引きずられていくなど、素晴らしすぎる芝居(笑)
「許せ。丹波は、私の事しか頭にないのだ」
「……当然です」
「……ずっと、自分の影がどういう人間なのかと思っていた。……私より時代錯誤ではないな。私は、丹波のせいでこの通りだ」
姫の自虐ネタにより微笑みをかわす2人、とここでようやく、やや打ち解ける丈瑠と薫。
「でも……会わなくても、一つだけわかっていた。きっと……私と同じように独りぼっちだろうと。幾ら丹波や日下部が居てくれてもな。……自分を偽れば、人は独りになるしかない」
なんだこの、可愛い生き物。
影武者である丈瑠は元より、薫もまた「志波家十九代目当主」という役割に自分を封じ込めていた、という吐露には、今作における「ヒーロー」の位置づけが窺えます。今作における「ヒーロー」はあくまで「人間性」を殺した所に存在している。
ゆえに外道と表裏一体。
その点で今作は、東映ヒーローの本歌取り(孤高の改造人間)、という構造を背骨に隠し持っていた事が判明。ゆえに、丈瑠と十臓の対比も必然であった、と綺麗に繋がりました。
もう一つ付け加えると、外道へのカウンターとして登場したヒーローが、戦いを重ねる内に外道へ近づいていく、という作りになっているのは、なかなかえぐい構成(これを踏まえると『トッキュウジャー』終盤でやろうとしていた事、そして踏み間違えた部分が何となく見えます)。
だがそんなヒーローを此の世に繋ぎ止めるのは、
「それでも、一緒に居てくれる者がいます」
「あの侍たちだろ。私もここへ来てわかった。自分だけで志波家を守り、封印までなど、間違いだった。独りでは駄目だ」
「俺も、やっとそう思えるように……」
「――丈瑠。考えがある」
一方、三途の川では大増水にシタリが興奮していた。
「もうすぐ川が溢れるよ!」
太夫を取り込んだ事により、水切れも無ければ封印の文字も無効になったパーフェクトドウコクは、太夫の着物を三途の川の朱い水の中に投げ入れる。
「なんていうんだろうね……外道衆のあたし達に念仏もないだろうし。ドウコク、おまえさんも、因果だねぇ」
「――行くぜ」
外道衆総大将は己の手でその底抜けの苛立ち、生まれた時からぽっかりと空いた穴を埋めるべく、六門船を人間界へと向ける――ただただ、殺戮の為に。
翌日、負傷をおし、広間に一同を集めた薫は、封印の文字が通用しなかった事を理由に突然の隠居を宣言。そして、新たなシンケンレッドとして、丈瑠を呼ぶ。
「私の養子にした」
姫、驚愕の裏技を発動し、影武者であった志波丈瑠が、志波家十九代目当主――正式な「殿」になる事に。
殿が影武者だと思ったら影武者が殿に、という再度の大逆転。
姫本人が言うように大名家が跡継ぎとして養子を迎えるのは珍しい話ではなく、先代が健在な内に隠居して後継者に家督を譲るというのもよくある話で、いっけん掟破りのようで、むしろモチーフに基づいて理に適っているとも言えるのが美しいひっくり返し。
民法?
「俺たちが守るべきは法律じゃない。この世と愛だ!」
(byジャン○ーソン)
もちろん猛反対し、丈瑠を高い座布団から引きずり降ろそうとする丹波だが、母がそれを止める。
「無礼者! 年上であろうと、血が繋がってなかろうと、丈瑠は私の息子! 志波家十九代目当主である。頭が高い! 一同控えろ!」
「「「「「ははーーーーー」」」」」
薫の見事な口上に、一同は揃って嬉しそうに頭を下げ、丹波もしぶしぶそれにならう。
“主君と家臣”という関係性、今作の特徴にして戦隊としての異質さであったその身分差を、ことさらに強調する台詞を敢えて再びここで持ち出す事で、それを障壁の象徴ではなく、逆に結束の象徴として用いる。これはお見事。“ひっくり返しの戦隊”である『シンケンジャー』の、構造的な美がここに集約されました。
丈瑠が絆を取り戻して後は最終決戦、という所でもう一押し、このネタを入れてきたのは素晴らしい。
そして、つい数分前までヒロイン力全開放出していた姫の、この男前ぶり。姫は格好良すぎます(笑)
姫は最終盤のみの登場という事で、ギミックの為のギミック、おまけキャラみたいになりかねない所を、むしろヒーローとしてもヒロインとしても全力で既存の6人を食う勢いで描いた事により、非常に良いキャラになりました。これが、ヒーローとしてだけ描くと丈瑠との関係性しか生じないのですが、ヒロイン力をフルバーストさせる事により、家臣5人に対しても脅威になった、というのが素晴らしい判断。
そしてそこまでやっても、既存6人が簡単に食われないだろう、という脚本、演出、役者それぞれの信頼感もお見事です。
丈瑠はまだともかく、家臣5人は台本読んだ時点で、うかうかしていると姫に持って行かれる――! という演技に対する刺激は結構あったのではなかろうか、などと思います(笑)
かくして志波薫の養子として、志波家十九代目当主となった丈瑠だが、封印の文字が通用しない今、超弩級のトンデモ生命体である血祭ドウコクを倒す策はあるのか。皆が聞きたかった質問を、勇気を持って問いかける丹波。
「策ならある。――力尽くだ」
快刀乱麻を断つ姫のウルトラCと、丈瑠が殿の座に復帰して面倒くさい事を考えないで済むようになった作用により、何やら変なテンションになっている皆、これに賛同(笑) ……基本、侍はヒャッハーな生き物です。
封印の文字は完全な効果を発揮しなかったとはいえ、ドウコクにダメージは与えた。丈瑠は姫に託された、志波家のモヂカラを込めた「火火火ディスク」(アイ・アイ・アイ・ライク・演歌)を手に、今なら弱っているドウコクを倒す事も可能かもしれない、と告げる。
そう、勝てるかどうかではない、この世を守る為には、勝たなくてはならないのだ。
全員が覚悟を固め直したその時、隙間センサーが反応すると同時に、場所を示すクジが装置から溢れ出す。
「三途の川が溢れた……」
未曾有の事態、というのを示すのに、このクジが溢れるというのが実に格好いい演出。
「呑み込めぇ! 人間どもを好きなだけ苦しめろ! 此の世は外道衆のもんだ!」
遂に六文船は人間界へと繰り出し、街に溢れるナナシ軍団の襲撃で、ここに来て結構ざっくりとした殺害描写。
「殿の御出陣!」
ナナシの大軍団の前に並ぶ6人。
姫が負傷リタイアしてしまった為に姫殿レッドによる7人並びは実現しませんでしたが、見たかったなぁ。……まあ、最後は6人で締めるべき、という判断も正しいとは思いますが。
「どうあっても外道衆は倒す。俺たちが負ければ、この世は終わりだ。――お前達の命、改めて預かる!」
「元より」
「当然でしょ」
「何度でも預けるよ」
「うちは何個でも」
「じゃ、俺たちは2人合わせて、更に倍だ!」
「持ってけ泥棒!」
6人+ダイゴヨウは変身し、揃い踏み。
「天下御免の侍戦隊――」
「「「「「シンケンジャー、参る!」」」」」」」
◆最終幕「侍戦隊永遠」◆ (監督:中澤祥次郎 脚本:小林靖子)
「昔からシンケンジャーってのは、あたし達外道衆より命を大切にしない奴等だったよ」
「だから気に入らねぇ。人間なら人間らしく命乞いして、泣き喚けばいいもんを。が、今日あげさせてやろうじゃねえか。命乞いじゃねえ。早く殺してくれ、て悲鳴をな」
ナナシの大軍団を蹴散らしていくシンケンジャーだが、そこへ突っ込んできた六文船から、血祭ドウコクが降り立つ。
志波家のモヂカラを込めたファイヤーディスクは、そのあまりの破壊力にディスク自体が耐えられず、使えるのは一回限りの切り札。その一撃を、ドウコクの負傷箇所に確実に叩き込む為、シンケンジャーは陣形を組んで突撃。
「狙うは血祭ドウコク! 行くぞ!」
陣形を組んでナナシ軍団を切り開きながら、大将首をひたすら目指す、というのはただの集団戦ではなく、侍の戦場っぽくなって良かった所。
「来い――絶望ってのを――教えてやる」
「志波家十九代目当主! 志波丈瑠! 参る!!」
仲間達の奮戦が道を作り、ドウコクと一騎打ちに持ち込んだレッドの刀はドウコクの傷跡、左胸を貫く。が……
「なるほどぉ。ちったぁ考えてきたらしいな。が、こんな程度じゃ俺は倒せねえぜ」
渾身の一撃もドウコクを倒すには至らず、吹き飛ばされる6人。ドウコクの衝撃波を受け、ダイゴヨウ、リタイア。
初期は途中退場の気配すら濃厚に漂っていた暴れん坊穀潰しのドウコクですが、人間大かつ肉弾系では、歴代最強クラスではないだろうか(^^;
「あー? 聞こえねえなぁ、命乞いなら、もっとでけぇ声で言え!」
6人を蹂躙するドウコクだが、侍達は決してくじけない、諦めない。
「それだ……その目。どうして泣き喚かねぇ。助けてくれと言わねえ。さっさと絶望してみせろぉ!」
怒れるドウコクは、6人の前に薫の首を持ってきてやると歩み去り、第2ラウンドもドウコク圧勝のまま終了。
ドウコクは見た目といい声といい過去のダメな人達を思い出す要素満載で本当にどうなる事かと思ったのですが、最終章に入って圧倒的に格好いい。太夫との絡みに深みが出てきてからの、西凛太朗さんの声のはまり具合も素晴らしい。
その頃、姫は丹波の制止を振り切り、慣れぬ左手と負傷した体で、負担の激しいファイヤーディスクをもう一枚作り出そうとしていた。シンケンジャーが敗れた今、打つ手は無いと姫を逃がそうとする丹波だが、
「生きているならもう一度立つ」
「いや、それは……」
「立つ! 丈瑠は、絶対に戦いをやめない。丈瑠が影と知っても、側を離れなかった侍達も同じだ。私はそう見込んだから、彼等に託した。だから私も、今出来る事を」
「しかし、姫は志波家の……」
「丹波なぜわからぬ! ……志波家だけが残っても意味はないのだ。……この世を、守らなければ。その思いは皆同じ筈。皆の力を合わせれば、きっと」
この世を守る為に志波家を守っている筈が、いつの間にか志波家を守る事が一番大事になり、手段と目的を見失っていた丹波は、姫の言葉に目を見開く。
またここで、戦闘面でリタイアしてしまった姫がフェードアウトせず、今回も見せ場があったのはとても良かったです。
今作、中盤ちょっともたついた所はあったのですが、クライマックスに来て、全てのキャラクターが活きているのは本当に素晴らしい。
そして、丹波(松澤一之)さんは凄いなぁ。丹波に関しては後でまとめて書こうと思いますが、演技面での今作陰のMVP(表のMVPは、薄皮太夫の朴さん&蜂須賀さん)。
「殿ぉ!」
皆の力、皆の思い――そう、シンケンジャーだけが、外道衆と戦っているわけではない。シンケンジャーを支える者達もまた、この世を守る為、志を一つに戦いに身を投じているのだった。
6人の元に駆けつけ、槍でナナシを薙ぎ払う彦馬。その姿が、意識を失いかけていた6人を、奮い立たせる。
「お前達……立てるよな!」
ここで2話の、「おまえ達、立てるよな。まだ生きているなら、立て。言ったろう。外道衆を倒すか、負けて死ぬかだって」という、殿と家臣の最初の決裂にして、同時に、戦いへの信念を告げた台詞が引かれ、その言葉に応じたシンケンジャーは再起し、ナナシ達を生身で蹴散らす。
損傷したダイゴヨウを彦馬に預け、帰ったらご馳走を約束した6人は、破壊の繰り広げられた街をドウコクの元へと急ぐ。その前に、膝をついて待っていた丹波が、薫の作った執念のファイヤーディスクを丈瑠へと差し出す。そして、本当に守るべきものは何なのか、侍の正道に立ち返った丹波は懐からもう一枚のディスクを取り出す。
「それからこれは……不肖、丹波が得意とする、モヂカラ。――ご武運を」
終盤ここまでさしかかって、丹波のような役割のキャラクターにこれほど時間を割くのは結構珍しいかと思うのですが、この相当詰め込んだと思われる脚本で、凄い尺使われたなぁ丹波(劇中で丹波が果たした役割を考えると、丹波をきちっと描き切りたかったのは凄くわかる)。
丹波から2枚のディスクを受け取った丈瑠達はドウコクに追いつき、ドウコクの足を止める陣太鼓の音。
「てめえら……待ってろと言った筈だぜ」
「わりいな。俺たちはせっかちでよ」
「その先へは行かせない。おまえを倒し、必ずこの世を守る。――シンケンレッド、志波丈瑠!」
「同じくブルー、池波流ノ介!」
「同じくピンク、白石茉子!」
「同じくグリーン、谷千明!」
「同じくイエロー、花織ことは!」
「同じくゴールド、梅森源太!」
「天下御免の侍戦隊!」
「「「「「「シンケンジャー、参る!!!」」」」」」
生身での名乗りから、ナナシとの生身の殺陣に突入。
周囲のナナシを全滅させると、変身したシンケンジャーはすかさず5人のモヂカラを合わせ、ドウコクを「縛」る。ここで、結局第13話以来となった合体モヂカラを使ってくれたのは、好きなアイデアだったので良かったところ。携帯入力のゴールドはどうしたのかと思ってよくよく確認したら、「、」一文字でした(笑)
動きの止まったドウコク目がけて突っ込むのは、丹波の「双」ディスクにより生まれた、驚異の烈火大斬刀・二刀流! レッドの攻撃はドウコクに大ダメージを与えるも弾き飛ばされるが、直後、丈瑠の号令でドウコクを包み斬る4人。そしてファイヤーディスクを用いたのは、まさかのブルー、池波流ノ介だぁぁぁぁぁぁ!!
知らざあ言って聞かせやしょう
滑り続けて49話 二枚目枠だと思ってみれば 何の因果かコメディリリーフ
脱いで斬られてくっついて ファザコンマザコン小便小僧 剣は達者も空気は読めず 殿への思いは空回り
ヒロインレースも脱落したが 太夫・裏正・茉子・姫・ことは これは相手が悪すぎた
面倒くさくて暑苦しい されど忠義は誰にも負けぬ 3馬鹿トリオの筆頭の ここが男の晴れ舞台
池波流ノ介たぁ 俺がことだ!
シンケンブルー渾身の一太刀はドウコクを貫き、そして切り裂く。
なんとビックリ、まさかまさかの流ノ介。
ここまで常に戦闘の中核であった丈瑠を囮にし、家臣がトドメの一撃を放つという、驚天動地のひっくり返し。思えば流ノ介の侍としての高いスペック描写は、ここに至る長い長い伏線だったのか……?!
基本、レッドが抜けた戦闘力でメンバーを引っ張るという構造だったので、最後に、皆の力、を強調する意図もあっての今作らしい展開。まあ個人的には、最後はやはり、丈瑠が決着を付けてくれた方が盛り上がりましたが(^^;
咆吼で6人を吹き飛ばすも、今度こそ大爆死したドウコクは、二の目により巨大化。変身の解けたシンケンジャーは最後の力を振り絞り、生身のままでシンケンハオーに乗り込むと、巨大ドウコクに立ち向かう。
二の目になってもやはり強大なドウコクを倒す為、モヂカラを小出しにせず、至近距離での一撃に全てを籠めようとするシンケンジャーは、肉弾特攻。ドウコクの攻撃で折神が剥がれていき、ハオー→天空→シンケンオー、となっていくというのは、ギミックを活かして面白い。またここでも、ひっくり返しが発生しています。
「この……何でてめぇらは諦めるって事を知らねえ」
盾も吹き飛ばされるが、ドウコクまで後一歩に迫るシンケンオー。
「今の内に言っておく。おまえ達と……一緒に戦えて良かった。感謝してる」
皆が超ビックリしているのですが、丈瑠がお礼言ったの、初めてでしたっけ?(笑)
そういう意図だったのかもしれませんが、さすがにちょっと、そこまで記憶にない。
「殿……私の方こそ」
「うちもです」
「6人一緒だから、戦ってこれたんだし」
「丈ちゃん、巻き込んでくれてありがとな」
(源太のこの台詞が、とてもいい)
「…………しゃぁ! 行こうぜ、最後の一発だ!」
前進するシンケンオーはドウコクの剣に胴体を貫かれながら必殺必中の間合いに入り、全員のモヂカラを結集したダイシンケンの一振りが、ドウコクを斬る!
殿が丁寧に死亡フラグを口にするので、最後は獅子折神一つになって将棋の駒アタックまで大爆発するのかと思ったのですが、そこまでは行きませんでした。……まあ落ち着いて考えると、それだと6人のモヂカラ感が出ないか(笑)
「シンケンジャーぁぁぁ…………俺がいなくなっても……いつかてめぇらも泣く時が来る。……三途の川の隙間は、開いてるぜぇ」
シンケンオーの顔をがしっと掴んで断末魔を残す、と最後の最後まで恐怖と脅威を見せつけ、外道衆御大将・血祭ドウコク、爆散。
当初はデザイン負けを心配していたのですが(働かないし)、ダンディズム溢れる、素晴らしい悪役でした。
ドウコクの消滅により人間界から三途の川が急速に退き、残りのナナシ軍団ごと六門船も引き戻され、此の世から姿を消す。
「ドウコク、太夫、悪いがあたしゃ、生きるよぉ! 三途の川だって、泥の中だってへへへ、生きる事があたしの、外道さねぇぇぇぇぇ、ほぁぁ!」
物語の設定上、外道衆が根絶不可能と思われる為、そのわかりやすいシンボルとして、シタリは生存(?)。チョーさんの名演もあり、最後の最後までおいしい役でした、シタリ。
こうしてひとまず、外道衆との戦いは決着を迎えた。だが、血祭ドウコクを倒しても三途の川が消えてなくなるわけではなく、いずれまた、人の世に仇をなすものがそこから生じるだろう。その日の為に、侍は侍としてあり続けなければならず、薫は丈瑠に志波家を任せ、丹波らと共に屋敷を去っていく。
当主の座は見事に丈瑠に押しつける格好になったので、しばらく楽しい乙女ライフです(笑)
すかさず丹波がお見合い写真を持ち出すが、ハリセンを一閃、と新たな武器スキルの熟練度が凄い勢いで上がっていきます。
そして、5人の侍達もそれぞれの旅立ちを迎え、茉子はハワイの両親の元へ。
「しばらく、両親と暮らして、また、戻ってきます」
……戻ってくる!
戻ってくるって言った!
というわけで、正室妄想としてはこれで満足しておこうと思います(笑)
千明は改めて大学受験に挑み(高校の卒業式前にシンケンジャーに拉致され、1年経って受験シーズンたけなわの時期だと思われるので…………更に来年の受験か)、ことはは田舎へ帰り、流ノ介は歌舞伎の世界に復帰を目指し、そして源太はおフランスに修行へ。
丈瑠が奥から出てきて皆でその前に正座し……
「殿! ……お別れの舞を一差し」
「「「「「「は?」」」」」」
流ノ介が舞い、画面下にスタッフロールが流れる中、順々に仲間達が去って行く、という凄いシュールなエンディング(笑) なんだ、どうしてこうなったんだ?!(笑)
「丈ちゃん、おフランスの土産、楽しみにしてろよ」「行って参りヤス!」
「殿様……ほんまに、ほんまに、ありがとうございました!」
「ま……追い越すのは、次に会った時だ。忘れんなよ」
「外道衆が現れたら、いつでも飛んでくるし。あ、でも人見知りは直した方がいいかも」
……姐さん、いったい誰を、連れてくる気なのか。
「ああ……じゃあな」
舞を終えた流ノ介は無言で一礼し、5人はそれぞれの道へ戻り、進んでいく。
「行ってしまいましたなぁ……ここがこんなに広いとは」
「…………なんだ、爺も孫のところへ行くんじゃないのか」
「なんの。孫にはいつでも」
色々反省した爺は、殿に社会勉強の手始めとして、カルチャースクールを薦め、逃げ出す殿。
ナレーション――「皆で掴んだこの世の平和。その中への旅立ちは、嬉しいながらも、少し寂しい。それでも、いつかまた会う日もある。侍たちの心は晴れ渡り、侍戦隊シンケンジャー、これにて、一件落着!」
丈瑠は清々しい気持ちで青空を見上げ、邸内を掃除する黒子達、でエンド。
別離、というのは小林靖子のこだわりのあるテーマらしく今作の大団円でも旅立ちと別れが明確に描かれるのですが、実は後半、流ノ介と源太以外は社会との接点が薄くなってしまっていたのは、ちょっと勿体なかった点。
物語の構造としては明確に“日常への帰還”を志向してはいたのですが、千明はこだわりが日常より丈瑠に寄ってしまいましたし、ことはは元より。で、前半最も社会と繋がりを保っていた茉子は、34話で欠落が埋まった事によりむしろシンケンジャーとして純化してしまっている。
「贈言葉」回を契機にことはがシンケンジャーでない自分について考えたり、せめて千明には後半1回、戦いが終わった後の事を考える、ようなエピソードは欲しかったところ。
とりあえず大学を目指す、というのも納得はできるのですが、物語としては、仕込んでいる時間が無かった、という印象になってしまいました。
牛折神編〜終章スタートまでの間が、“受け継いだもの”を軸に各人の内面に踏み込むエピソードが続いていて、入れるとすればそこだったのですが、千明は…………流ノ介とくっついていた(笑)
最終章前の一休みでサブライター回だった都合もあったかと思いますが、基本サブライター回では踏み込んだ話はやらない、という毎度ながら小林靖子メインライター作品の良し悪しが出てしまった感あり(^^; 37話自体はJAE超絶アクション祭として面白い事は面白かったのですが、もう少し思い切って踏み込んでも良かったような。
割とさらっとしたエンディングでしたが、この頃になるとVシネマとか来年の劇場版とか再会の予定があるというメタな事情もあったのでしょうし、逆にさっぱりとやる事で、ハード路線だった今作ここまでの雰囲気と違う、すっきりした清々しさが出たのは良かったと思います。…………流ノ介の舞は謎でしたが!(笑)
思った以上に長くなってそろそろ頭が煮えてきたのでまとめに入ろうと思いますが、えーと、その前に、姫と丹波について。
姫は役柄としても現場としても難しいキャスティングだったと思うのですが(当時、弱冠14歳だそうで)、登場当初はややドキドキする不安定さはあったものの、その固さの残る部分を脚本と演出の方で巧く役柄に取り込んで、ラスト3話は見事に、姫はこれで姫、というキャラクターになりました。
しばしば書きますが、キャリアの浅い役者を使うのが前提の作品においては、キャリアを積むまでの間は、役者の演技が悪いのではなく、脚本や演出が役者を巧く使いこなせないのが悪いのですが(このわかりやすい失敗例が『仮面ライダーブレイド』前半戦。『ニンニンジャー』第1話も、ちょっとこれに当てはまる)、その時間をかけられない状況で、役者をうまく役に同化させた、(もちろん役者さんの努力も含めて)見事なスタッフワーク。
そしてここで欠かせない役割を果たしたのが、丹波歳三(松澤一之)。
丹波の物語における役割は大きく二つあって、まずは殿の殿たるゆえんを彦馬が担保しているのと同じく、姫の姫たる所以を担保する、記号としての存在。
もう一つが、丈瑠家出による視聴者の困惑や怒りを引き受けるわかりやすい憎まれ役としての役目。
脚本の小林靖子は丹波について「『アルプスの少女ハイジ』におけるロッテンマイヤー」と言ったそうですが、最終盤の登場という事もあって丹波は敢えて類型的な、狭量で自尊心が強く高慢なキャラクターとして描かれ、最後に正道に立ち返る所も含めて、そのステレオタイプをこそ見事に演じています。
その上でもう一つ、劇中の要素とは別に、丹波には極めて重要な役割が与えられています。
それは、志波薫と主に話す役である事。
ベテランの役者が若い役者を引っ張るというのは演技の世界では珍しくない構図だとは思われますが、それをほぼワンツーマンでやる事により、丹波が芝居の間合いを作り、そこに姫を呼び込んでいる。
姫の芝居は丹波の合いの手により成立しており、それによって志波薫という難役を、物語の中に落とし込んでいる、という、この構造を作り上げたスタッフワーク含め、それを見事に汲み取った素晴らしい仕事。
単純な憎まれ役かと思わせて、今作の最終盤は丹波(松澤一之)なしでは成立しなかったであろう、という素敵な芝居でありました。丹波、凄かった。
特に好きだったキャラクターは、ドウコク、太夫、シタリ、茉子、薫。5人あげると十臓がもれるのですが(殿も(^^;)、十臓とシタリとどちらが好きかと聞かれたらシタリ、と答える程度にはシタリが好きです(笑) 珍しく?女子メンバーを素直にセレクトしておりますが、姐さんは前半は<天使センサー>が感想書きとして便利で有り難かったのですが、34話で背景が腑に落ちてからは、割と普通に好きです。歴代戦隊女子の中でも、かなり好きかも。
……で、真ヒロイン決定戦ですが………………決められません(笑)
いやー、これだけクライマックスで全ヒロイン(人外含む)がヒロインとしてきっちり見せ場のあった戦隊って、歴史的ではないでしょうか。ちょっと思いつきません。というわけで、裏正・薄皮太夫・白石茉子・志波薫、同着、という事で(^^;
……あ、誤解されないように書いておきますが、別にことはが嫌いなわけではありません。ことははことはで結構好きですが、今回はメンバーが揃いすぎていたという事で。
今作、序盤からメンバーになるべく好感を持って貰おう、という作りになっているというのもありますが、戦隊全体への好感度はかなり高いです。
基本的に、1年の物語で綺麗に完結するのが好きなので、劇場版やVシネマ番外編などに普段全く興味ないのですが、珍しく、“その後”の物語が気になる、というぐらい。
どうしてだろうなぁ……と考えて思い至ったのは、通常、1年間描いてきたメンバーの関係がある程度収まってクライマックスを迎えるわけですが、今作は丈瑠との絆を再確認する事で一つの集約を見るも、それはまた、“新たな始まり”ともなっているのだな、と。
嘘でも積み重ねてきたものがあり、そしてその先の本当が始まる――というのは色々と展開を拡大している00年代後半の戦隊として、結果的にメタ的にも巧い構造になったと思いますし、無理な付け足しになっていないので、素直に受け止める事ができます。
1作完結主義の私には珍しく、必ずしも外道衆との戦いに限らずに、その先の物語、というのを楽しく思い描ける、個人的にはそんなラストでありました。
作品総合としては、とにかく「丈瑠は影武者だった」という大ネタを実行する為に、それ以外の部分は多少ブレても構わない、という節が見られ、追加ギミックと物語の摺り合わせ方が割と適当など、完成度に劣る点もありましたが(特に前年の『ゴーオンジャー』がそこにこだわっていた作品だけに、どうしても目立つ)、銃火器なのはともかく猛牛バズーカの格好良さは後半に割とポイントを稼ぎました。
その上で、肝心の大ネタをただのインパクトで終わらせるのではなく、様々な“ひっくり返し”が連なって、作品の全体像と描きたかった事が綺麗に繋がる、というのはお見事でした。特に、姫と丹波含め、最終盤に全てのメインキャラが活きた、というのは本当に素晴らしい。
海老の辺りの処理とか、アクマロの使い方とか、全体として勿体ないなーと思う点は幾つかあるのですが、前半と終盤は非常に盛り上がり、特にラスト5話は文句なく面白かったです。愛されている理由がわかりました。名品。
00年代戦隊の総決算として、『ゴーオン』と絡めて語りたいなーなどというのもあるのですが、まあこれは、自分の中で勢いが盛り上がったら。見果てぬ予定稿という事で、毎度のように、何か思いついたらまたまとめの際か、突発的に追記するかと思います。
『侍戦隊シンケンジャー』感想、まずはこれまで。
長々とお付き合い、ありがとうございました。