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15年ぶりの『クウガ』メモ#49

「五代くん、絶対笑顔を取り戻して、返ってきますよね」
「五代は信じていますからね。世界中のみんなの笑顔を」 (EPISODE49「雄介」)
◆EPISODE49「雄介」◆ (監督:石田秀範 脚本:荒川稔久

  • 画面一杯に広がる青空からスタート。
  • ――あの戦いから3ヶ月後。第0号の死によって未確認生命体との戦いは終息し、警視庁の対策本部も解散。長野に戻る事になった一条は関係者に挨拶に回り、旅立っていた五代にそれぞれが思いを馳せる……という、五代を待ちながら、とでもいった形の後日談。
  • 「五代」という苗字が当初からどこまで狙っていたのかは、気になる所です。
  • 純粋なる後日談で、山も谷も無く、最大のトピックといえるのは、松倉本部長、サムズアップに感染する。
  • あと、ジャン、榎田母子とディズニーランドへ。
  • おやっさんの本名は「飾玉三郎」というネタは、どうでもいい(笑)
  • 手紙&写真の実加ちゃんを含め基本オールキャストで進行。蝶野から椿への手紙も紹介され、キャスト出演はないものの、その後にフォロー。
  • 「きっぱり別れたって事だろう。他人の事なんて、どうでもいいと思っていた頃の自分とな」
  • 「4号なんか居なくてもいい世の中が、一番いいと思うんだ」
  • 「今度はあたし達が頑張らなきゃ。多分……凄く大変な事だと思うけど。心の力で」
  • 最終回なので色々直球。
  • 一条パートとポレポレパートの合間合間に空と海が挟まり(クレジットを見ると、キューバで撮影した模様)、五代らしき人影は足や背中が映るだけ。一条と桜子の会話の後で、立ち上がった男がようやく五代だと明確になるという大胆な作り。五代が子供達にジャグリング(第1話で用いた技)を披露する所からエンディングテーマが流れ出し、子供達の笑顔を受け取ってサムズアップを返した五代が砂浜を歩いていく姿で、エンド。
  • みんなの笑顔を守る、というのは自己犠牲ではなくて、みんなの笑顔を貰った時、自分もまた笑顔になれる――という形でヒーローの物語としては着地。
  • 「青空になる」は、しみじみいい歌。
  • もはやあれこれ言う事もない最終回ですが、本放送時、確か間のCM無しだった、というのが衝撃的だった記憶があります。

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せっかく配信してくれるのだから、と久々に見たらやはり面白かったので適当にかいつまんでメモ形式で書いて参りましたが、ここまでお付き合い下さった方々、ありがとうございます。
私にとって『仮面ライダークウガ』という作品をまとめる、というのは少々難しくて、それは何より、2000年のあの時、『仮面ライダークウガ』がまさに“体験”であったからであります。
仮面ライダー」なのに、改造人間でもなければ、悪の秘密結社も出てこないのか、という浅薄な色眼鏡を破壊される、何か凄い物を見た、というあの戦慄。
今より遙かに特撮ヒーロー物を取り巻く環境が閉塞感に溢れ、《メタルヒーロー》シリーズは断絶し、《仮面ライダー》というタイトルが過去の栄光の遺跡でしかなかったあの時代に、まさに『クウガ』は、伝説を塗り替えるものでありました。
そういう点で私にとって『クウガ』は「エポック」というよりは「ブレイクスルー」の作品で、あの時、あの状況に風穴を開けた作品であり、その空気の変化を共に感じ取れた僥倖と共に、いつまでも思い出先行で記憶される作品なのだと思います。
同時に、私がいわゆる《平成ライダー》に対して、何か凄い物を見たというブレイクスルー、を期待してしまうというのは、明確に『クウガ』の追体験――クウガ』的な物を見たいのではなく、『クウガ』的な衝撃を受けたい――を望む後遺症であって、恐らく今後も引きずっていくのかとは思います。
だから私にとって『クウガ』というのは、リアリティが云々というよりも、あの時何かを「変えた」作品であって、その「変えた」事そのものが、何より大きな意味があったと思うからこそ、“体験”と言う他ない作品であります。
その上で敢えて、出来る限り思い出から切り離して理屈で語るなら、今作の優れている部分は何より、“リアリティの為のリアリティ”を振り回して満足したのではなく、作品世界に持ち込んだリアリティと物語のテーゼが繋がっている、という部分にあります。
今作の最大のテーゼは「社会の中に立脚した現代的なヒーロー像の再構築」であり、リアルシミュレーション路線というベースは、あくまでその為のギミックに過ぎません。企画段階で卵か先か鶏が先かはわかりませんが、少なくとも物語が動き出してからは今作は、その主客がどちらにあるのかを履き違えなかった。
そして「社会」を描くならばそこに生きる「人々」を描く必要があり、ではその時、ヒーローの力になるものは何なのか? それに対する「悪」とは何になるべきなのか?
これら全てをしっかり繋げて世界観を構築した上で、では今度はどこに踏み込むと今作で掲げるテーゼが破綻してしまうのか、という地雷を冷静に見極めて避けて通った、この作品世界全体の構築力と連動性、これこそ、『クウガ』が今も燦然と名作たる所以だと思います。
一つ改めて見て興味深かった点としては、今作、テーゼの先のテーマとしては、第30話までである程度やりきっていて、その先に描かれているのは、テーマの先のテーマになっている事。
色々と制作事情もあって、どうしてもやりたい事を中盤の内にまとめてしまえば後はどうなっても後悔は少ない、みたいな考えはあったのかな、とは思う所です。結果的にはその後も、大きな変更なく進んだのか、ややチキンレース気味にテーマを掘り下げていく形にはなりましたが。
この作りだと、最終的に行く所まで行ってしまったのも、むべなるかな。
趣味としては最終盤の、どんどんカタルシスを排除していく構造には改めて若干の不満もあるのですが、非常に楽しい再視聴でした。時代の経過を感じる上で、時代の生んだ異形の傑作。何より、一条さんと、薔薇のタトゥの女だけで、もう、お腹いっぱいですよ!!(台無し)
というわけで、いつかまた、凄い物を見たいなぁ、と曖昧で茫漠とした感傷を抱きつつ、これにて『クウガ』メモ終了です。この構造なので、まとめ方は現在ちょっと考慮中(^^; 資料的に、残してはおきたいのですが。