「この雨だって、絶対止むよ。そしたら、青空になる」 (EPISODE48「空我」)
◆EPISODE47「決意」◆ (監督:石田秀範 脚本:荒川稔久)
- ダグバによる暴虐からスタート。
- 「どうしたの? もっと強くなって、もっと僕を笑顔にしてよ」
- はっきりしたバトルシーンではなく、婉曲的な映像でクウガの完敗が示されてブラックアウトし、「五代……」という一条の声から暗いエフェクトのかかったOPに。
- OP明け、一条の言葉に繋げる形で「一条さん……俺、なります」という五代の言葉から始まり、これまでとは一線を画した重々しい空気で展開。
- ポレポレに広げられた新聞には、第0号により「被害者3万人」の文字。
- 五代は雨の中、バイクを走らせて神崎先生の元へ。第0号を倒す為に「凄まじき戦士」になる決意を固めた五代は、恩師や友人達の元へ赴き、戦いが終わったらそのまま冒険に出る事を告げて回る――。
- みんなの笑顔を守る為に負けるつもりはないが、勝っても前と同じ自分では無くなってしまうかもしれない……だからこそ、そのまま冒険に向かうという五代と、これまで物語を織りなしてきた人々との別離が、2話に渡って丹念に。
- ここで素晴らしいのは、物凄くシリアスな展開の中で、別離のシーンに必ずひと笑いを入れている事。見送る人々もまた、悔しさや歯がゆさを呑み込みながら、五代と笑顔を交わし合う。それが、五代雄介の望みであるが故に。
- 榎田さんの所で、終わりの無いマラソンテーゼも少し。
- 一方、監視カメラに写った映像から、薔薇のタトゥの女が目撃された廃ビルへと向かう一条。五代の「五代で居られる最後かもしれない時間」を慮り、五代に連絡しない男の友情と、そんな一条に巧く丸め込まれる桜井であった。
- それにしても、これだけあちこちで雨降らせるの大変だったろうなぁ……とにかくずっと雨を降らせていて凄まじい一編。
- 恵子先生は、陣痛が来て入院。
- 「こんな時だからこそ、みんなを笑顔にしてくれる、元気な赤ちゃんを産んで下さい! 大丈夫ですよ。恵子先生の赤ちゃんなら、絶対頑張り屋さんです」
- 関東医大で椿と挨拶をした後、数多くの花束が供えられたダグバによる殺戮現場で、ひとときバイクを止め、思いにふける五代。
- 警察がダグバレーダーの開発を急ぐ中、一歩先んじて姿を現すダグバ……でつづく。
- 集大成に至るエピソードですが、激しく降り続ける雨、ぼやかしながらも要所で強烈に印象づけられるダグバによる殺戮、語りきれないそれぞれの想いが言葉の外で積み重なっていく別離のシーン、と、突き抜けていて改めて実に凄い。
◆EPISODE48「空我」◆ (監督:石田秀範 脚本:荒川稔久)
- ポレポレに戻ってきた五代はここでも旅立ちを告げる……「色々回って、そのまま……冒険に行こうかなって」
- 「ホントにごめんね……でも俺、クウガだから」
- 「今度こそって、あいつ、まさか……」
- 五代雄介=未確認生命体第4号、という事実を遂に悟るおやっさん。
- かなり今更なのですがギャグではなくて「クウガだから」という台詞におやっさんが何かを感じ取る表情になったり、非常に丁寧。ポレポレでの五代くんは、自分が第4号である事を隠しもしないけど積極的に明かしもしない、ある種、五代らしからぬ中途半端な状態を継続していたのですが、ここで、最後にやはり知っていてほしい、とより明確な示唆に踏み込むという心の揺れ、それでも「クウガだから」行かなくてはいけない、という姿が切ない。
- 廃ビルを探っていた一条は、グロンギ語の刻まれた謎の羊皮紙を発見し、白いスーツ姿の薔薇のタトゥの女と遭遇。前回はほぼシルエットだけだったので、実質この回のみの衣装なのですが、かなり素敵。
- 「リントも、我々と等しくなるだろう」「お前達と我々は違う! お前達のような存在がいなければ……」「だがお前は、リントを狩る為の、リントの戦士の筈だ」
- 一条さん、割と、バーサーカー脳ですしね!
- 突き飛ばされた一条は薔薇のタトゥの女を追い、新型の神経断裂弾で背中から狙撃。更に数発の弾丸を受けた薔薇のタトゥの女は、口の端から血を流しながらも、どこか微笑むような表情のままグロンギ語で謎の言葉を残し、海へと落ちる。
- 最後の最後のおいしい所で敢えてグロンギ語、という、この憎い仕掛け!(笑) もう完結なので、今回グロンギ語対訳サイトを探して覗いてみたのですが、なかなか思わせぶりな言葉でありました。
- 五代は、保育園で園児と何かを作り、自分は園児達からお守りを受け取る。
- 「どこ行くの?」 「ん? そうだなー……どこまでもどこまでも、青い空があるところ」
- 雄介が居なくなると寂しい、という園児達に、雄介の分までもっと頑張る、と宣言するみのり先生……この「みんながちょっとずつ頑張れば、社会は今よりちょっとずつ良くなる筈」というのは今作の軸を為すテーマで、前回今回の別離シーンではハッキリと繰り返されるのですが、「頑張る」「頑張れ」「頑張ろう」というある種のメンタルにはちょっと辛いメッセージをここまで強く押し出せたのは、2000年というのがまだそういう時代だったのかな、とは今見ると思うところ。
- 後に高寺さんが『響鬼』で壁にぶつかった理由の一端も垣間見えるような気はします。
- 白倉さんの悪い癖が過剰に露悪的なデコレーションをする所だとしたら、高寺さんは絆創膏を剥がして回りたがるというか。
- 五代は最後に城南大学へと向かい、「凄まじき戦士」になる事を桜子と確認し合う。桜子はそんな五代に人間であり続けてほしいとエールを送るが、そこに一条からダグバ出現の報がもたらされる。
- 「行くんだね」「うん」 「行ってらっしゃい!」「……行ってきます!」 「頑張ってね!」「頑張る。じゃあね!」
- 桜子さんは、前半の男子コミュニティの一員扱いから、終盤割とヒロインぽい扱いになるのですが、それによりむしろ出番が減る、というのは何か呪いめいたものを感じます(笑) そしてまあ故意ではありましょうが、ヒロインには一歩踏み込みきれないまま終わる桜子さんでありました。
- 走り去る五代へ向けて「ぜったいぜったい、頑張ってね! ………………窓の鍵、開けとくから」と、届かない言葉をかけたりするのは、良かったのですが。……この辺りは荒川さんが頑張ったのかなぁ(笑)
- ダグバは長野に現れ、松本市内で凄惨な殺戮現場に辿り着く五代。
- 「来たんだね。今度は僕と同じになれるのかな。だったらあそこで待ってるよ。思い出の、あの場所でね」
- 闘争と殺戮というコミュニケーションの極北。
- パトカーではなく、今作における「絆」の象徴ともいえるバイクにまたがって一条が合流し、吹雪の中、最後にバイクで並んで九郎ヶ岳に向かう二人。
- 「椿さんに聞いたんですけど……ベルトの傷、やっぱまだ、治ってませんでした。だから、狙う時は、ここを、お願いします」
- もしもクウガが究極の闇をもたらす者になってしまった時、一条がそれを殺す……わかっているから二人だけでここに来るという、凄まじい関係。
- 「こんな寄り道はさせたくなかった」 「え?」 「君には、冒険だけしていてほしかった。ここまで君を付き合わせてしまって……」 「ありがとうございました。俺、良かったと思ってます。だって、一条さんと会えたから」 「……五代……」
- 正面から、サムズアップを向ける二人。
- 「……じゃあ、見てて下さい。――俺の変身」
- 五代、究極のクウガに変身。
- 「なれたんだね。究極の力を、持つ者に」
- 真っ白な雪原で、血しぶきをあげてひたすら肉弾戦を繰り広げるクウガとダグバ……もはや仮面すら外れ、ダグバは嗤いながら、五代は泣きながら、両者はひたすらに殴り合いを続ける。そして――
- 両者ノックダウンの光景を目にした一条が、「五代……ごだぁぁぁぁぁぁぁい!!」と叫んだ所で、続く。
- 雪原でひたすら殴り合うというラストバトルは一切のカタルシスを廃して虚無感さえ漂い、今作が描いてきた「闘争とコミュニケーションの断絶」の終着点といえます。
- そしてクウガは、ダグバと同じように、コミュニケーションを断絶した存在になる事でしか、ダグバと渡り合えなかった。
- 今作は基本的に、人と人の良い繋がりの中に正義は存在しうる、という事を描いてきており、最終決戦におけるクウガの姿は、「今の社会は、悪を駆逐する事が出来ない」というシンボルといっていいと思います。
- つまり今作は最後に、コミュニケーションの結実による勝利ではなく、敢えて、「ただ一人の英雄」を人柱にせざるを得ない社会の敗北を描く。
- この、「メタな悪」が「フィクションの正義」に勝利するという劇構造については、個人的には思う所はないでもないのですが、今作におけるリアリズムの到達点、そこに至る物語の完成度については、お見事と言う他ありません。そして今作にはジレンマとでもいうべき形で確かに、「フィクションの正義」がいつか「リアルの正義」を生み出して欲しいという願いがあり、それは誠実なものだと思うのです。
- それは、敗北による勝利。だが、いつか来る勝利の為の敗北であってほしい。そんな希望と絶望が最後にせめぎあう着地ゆえに、今作は見る人に問いかけ続けるのかもしれません。
- 雨は止んだか?