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「俺の弥八郎が来た」

というのを、「俺の張子房が来た」みたいに流行らせたい(いろいろ待て)
最近ふと、本多正信が一番格好良く書かれている小説って、実は隆慶ワールドではないだろうか?などと思ったのですが、まあそもそもが家康史の後半に出てくる腹心、という役どころなのであまり踏み込んで描かれないというのはあるのですけれども。
その点、『影武者徳川家康』の序盤では、各地で一向一揆の参謀・調停役をこなす正信、なんてのが描かれていて、そこから正信の家康に対する友情に似た忠誠というのがあり、それ故の影武者への協力があり、それが最終的な正信の行動への伏線になっていく……という、実は昔読んだ時に今ひとつわかっていなかった部分が、最近になって再読して、非常に腑に落ちたり。
一方で、ワールド的繋がりを持ち、幾つかのフィクション部分を共有しながらも、影武者家康説を採っていない『捨て童子・松平忠輝』では、終盤になって家康と秀忠の間で見せ場があります。家康以上に秀忠を評価していないが故に、あえて家康の理想を裏切る形で動き、その上でなお、「儂が死んだらどうする気だ?」「殿が死んだら、長生きしていてもしょうがないでしょう」と返す正信(秀忠、同席中)が、やたらに格好いい。……まあ二人とも、この会話の時点で70ぐらいの爺さんではあるのですが(笑) それ故にまた、格好いいともいえます。
捨て童子・松平忠輝』は多分に、家康が影武者である、という設定では描きたくても描けなかった、隆慶一郎徳川家康への愛が随所に見られるのですが、同時に『影武者徳川家康』では設定上書けなかった、家康との関係性において格好いい本多正信、というのが意図的に書き込まれているようにも思えます。