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愛ある限り

ふと思いついた事、つらつらと。
ファイナルファンタジー6』は割と好きなゲームなのですが明確に駄目な所があって、「魔法が存在せず、機械が発達した世界」という基本設定が、冒頭の“つかみ”のみに終わってしまい、それなりに独特の世界観を描き出そうとした努力は見えるものの、結局ゲーム本編のシナリオにはほとんど活かされていない。
呈示した世界観が、単なるハッタリに終わってしまい、世界全体の雰囲気が奇をてらっただけの非常にあやふやなものになっている。
でこの、奇をてらったハッタリ的な世界観、というのは、ある種FFシリーズの持ち味として、7・8・9と続く事になるわけですが、その弊害として、世界があやふやである為に世界を救うという事がピンと来なくなる。
“世界への愛しさ”が足りない。
で多分、この“世界への愛しさ”の代替え品が“キャラ萌え”なのかもしれない。
“世界への愛しさ”が表現しきれないのを“キャラ萌え”で補っているのか
“キャラ萌え”を重視するあまりに“世界への愛しさ”がおざなりになっているのか
勿論これは、相互に影響を与える要素も持ちますし、卵と鶏のどちらが先かは何ともいえませんが。
なおこの“世界への愛しさ”を“日常/非日常”という所に落とし込んで、巧く物語と絡めた近年の白眉が<ペルソナ>シリーズ。
手法自体は古くからあるものですが、組み込み方が巧かった。
特に『ペルソナ2罪』は、もう12年も前のゲームになりますが、日常を守る(目的)ために日常を切り崩す(手段)、という物語の基本構造が素晴らしくて、シナリオに関しては、本邦RPG史における傑作の一つ。
まあ、1・2と、3・4の間に作風の差があるのでシリーズと一括りにしてしまうのには若干の躊躇はありますが。
根っこには繋がりがあるのですけど、意識的にライトノベル構造に回帰する事で構成をわかりやすくしたのが3・4で、『女神転生』的なパラダイムシフトにこだわりを残したのが1・2というか。
そういえばスクエニスクウェア)だと、<ロマンシング・サガ>の系譜も、あまり世界への愛をかき立てられないゲームかもしれない(初代に関しては、故意の部分もあるでしょうが)。
勿論、世界を愛しく思わなければいけないわけではないし、世界を救わなくてはいけないわけでもないですが、例えば世界を救う物語であるならば、世界は愛しい方がいいよね、という話(プレイヤーにとって)。
ワイルドアームズ2』はその辺りに力点があって、個人は世界を愛せないし愛してはいけないし愛するには狂気をともなう、という話であったのかもしれない。あれは主人公が、個人の闘争に自覚的なのが良かったのだと思う。