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仮面に関するつれづれ

〔『爆笑問題のニッポンの教養』 FILE148:「万国『イケ面』博覧会」〕
『タイムスクープハンター』の流れでTVを点けっぱなしにしていたら始まった『爆笑問題のニッポンの教養』が、荒俣宏×竹内海南江×仮面で、なかなか面白かったです。
興味深かったのは、アフリカ(ザンビア)のある部族の村で5年ほど生活し、現地で仮面を身につける事を許された何らかの祭祀的なメンバー(番組中では秘密結社と呼称)に加わる事を許されたという教授の話。
彼等の第一の秘密は、「実はこれは仮面だ」という事。
つまり、仮面を被った彼等は外からは「人外のなにか」に見えているだろうけど、本当は「仮面をかぶった人間にすぎないんだ」という事。その為当然のように、仮面を造るための道具などは全て暗号(隠語)で示されている。
これらの秘密を他人に話すと、鼻血を出して死ぬ、そうなのですが、教授が確認したところでは、日本語(他の文化圏の言語)は意味がわからなくて暗号と同じだから(多分)大丈夫、らしい。
仮面をつける事で人ではなくなる、というのは珍しくはないですが、共同体内部における罰の範囲の認識はなかなか面白い。
そして一番興味深かったのが、白人、自動車、ヘリコプター、などの仮面が存在する事。
自動車やヘリコプターなどはもはや仮面というより着ぐるみの大きさなのですが(ちなみに、自動車の仮面、は教授が乗ってきたものを模したそうで、AA1、というナンバープレート入り)、「生活の外から来た存在は全て“仮面として成立する”」という概念は、「客人(まれびと)」信仰の一形態ではあるのでしょうが、すべからく仮面に成りうる、という辺りが非常に面白い。
あと、番組として秀逸だったのは、バリ島で学んだ本物の仮面舞踏家の方(小谷野哲郎氏)が出てきて、“仮面を被る”という事を実演していた事。
で、“仮面を被る事で力を得る”という概念は例えばゲームのシステムとかと相性が良さそうだけど、取り込んでいるようなゲームってあたっけ、などと考えて、ゼルダの伝説ムジュラの仮面〜』がそのまんま、かと思い至る。……やった事ないけど。あと<ペルソナ>シリーズは、心理学用語によるアプローチを間に挟んでいるけど、意味的にはほぼまんまか。シリーズ進む毎に、もう一人の自分がどうこうというよりは、特殊能力っぽい雰囲気が増している気はしますが。“もう一人の自分”が何故、神とか悪魔とかなんだろうと言うと、もう一人の自分−<ペルソナ>−人ならぬもの、という連想ゲーム的な連なりで、そういえば『2罪』のジョーカーは、仮面を実際に被っていましたが、その辺りを考えながらやってみるとまた面白いのかもしれない(ゲーム内で蝶々仮面がもっとちゃんと解釈していたかもしれないけど、覚えていない)。
そこまで考えて、仮面だと顔を隠さないといけないのでむしろゲームでは使いにくいのか、という事に気付く。
とすると、例えば<イース>シリーズの「指輪」などは、実は「仮面の代替え品」だと考える事が出来るのかもしれない。
実は昔から、「パワーリング」とか「タイマーリング」とかがあまり腑に落ちなかったのですが、あれは実は「仮面」なのだと考えると納得できる。なぜ指輪では駄目で仮面なら良いのかと問われれば、民族的素養と答えたいところですが、いや普通に納得出来るよ、と言われるかもしれないので、個人的趣味の問題、という事にしておきます。
もっとも、指輪といえば忘れてはいけないのが『指輪物語』(途中で挫折したので読み切ってませんが(^^;)で、そこから引くと西洋的なファンタジーとしは「指輪」の方が普通なのかもしれません。
ところで指輪というのは基本的に“契約”のニュアンスをともなう、一神教的なアイテムではないかと思うのですが、傍証しているとキリが無いのでメモ程度に。他に有名な指輪アイテムというと、「ソロモン王の指輪」しか思いつかないのですが、他に何かあったかなぁ。
「魔法の指輪」と「仮面」の話は比べて検証してみると面白いかもしれない。