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名台詞で振り返る『無敵鋼人ダイターン3』

どうもなんか『ダイターン3』に関してはまだまだ語り足りないので、折りにふれ、何か思いついたら書き散らすと思うので、生暖かく見てやってください。
というわけで、名台詞をまとめてみる。
「礼儀は心得ているつもりだ」 (破嵐万丈/1話)
サンドレイク卿のミス・ビューティコンテスト会場に乱入したボディスーツの男が、誰何の声に応えてスーツを脱ぐと下から真っ赤なタキシード! という記念すべき主人公の初登場シーン。破天荒にして自分の美学を持つヒーローがここに姿を見せる。
「するとおまえが、あの噂の破嵐万丈!」 (コマンダー・サンドレイク/1話)
よくわからないが、とにかく破嵐万丈は“噂”なのである。
世界における主人公の存在感を、一言で鮮やかに現した名台詞。
同パターンで、「噂のダイターン3」あり。
「世のため、人のため、メガノイドの野望を打ち砕く、ダイターン3! この日輪の輝きを恐れぬなら、かかってこい!」 (破嵐万丈
ダイターン3登場時の、決め台詞。歌舞伎における見得であり、活劇における名乗り口上。
厳密にチェックしていないが、戦闘状況の如何に関わらずほぼ全ての回で用いられている筈であり、まさしくお約束。パターンの美学にちょっとしたこだわりを見せる万丈らしさを象徴しているともいえる。
一方でいかにもな“正義の味方”台詞でありながら、物語が進んで万丈というヒーローの背景が明かされていくと共に、「世のため人のため」という言葉の中にある万丈の欺瞞が垣間見えてくるようになる、本作の一筋縄でいかない部分も秘められている。
「日輪の力を借りて、今必殺の、サン・アタック!!」 (破嵐万丈
ダイターン3の必殺攻撃、サン・アタック発射時の決め台詞。
サン・アタックの発射自体には、この台詞は不可欠ではなく、あくまでも万丈のこだわり。
「だが人間の赤ん坊は違う。あの子も今はおまえ達にとって役には立たんだろうが、成長して、人を愛し、また子供を産む事ができる。そしてお前達を!」 (破嵐万丈/5話)
「赤ん坊を愛おしいと思う気持ちがあればこそ、人間は強く生きられる! それがわからんメガノイドには、人間を越えられん!」 (破嵐万丈/5話)
「赤ん坊などいくらでも作れる」と嘲るメガノイド。
だがそれは、成長しない機械の赤ん坊にすぎない。
人間の生の営みは、形ではない。
如何にメガノイドが知力体力に優れようと、その存在には、大切なものが欠けている。
ゆえにメガノイドの自称する「スーパー人間」とは自惚れである、という、人間/メガノイドの断絶をうまく表現し、物語の基盤を示した台詞の一つ。
「私のファンにとって、正義は私なのだよ、わかるかダイターン」 (コマンダー・ウォン・ロー/10話)
勝つのは正義と決まっていると嘯く万丈へ、やり返すコマンダー。最高のアクション映画を撮る為に、コマンダーがダイターンへ戦いを挑むというこのエピソードは、万丈とコマンダーの台詞がいちいち過剰に芝居がかっていて、面白い。
「映画というものは、金がかかりすぎるのが玉に瑕でな」 (コマンダー・ウォン・ロー/10話)
なんかメタな(笑)
「カメラひけーっ、キノコ雲はロングだ! ロングで撮るんだ」 (撮影スタッフ/10話)
ダイターン・クラッシュを受け、壮絶に爆死を遂げた上司を見ながら、配下の映画スタッフ。
突き抜けすぎ。
かくて映画は完成し……
「ねぇ、ウォン・ローの死んだ映画って見た?」「見た見た! 13回も見ちゃったぁ」「メガノイドだったんですって?」「でもウォン・ローはウォン・ローよ」 (市民達/10話)
死してコマンダーは、正義も悪も超越した永遠のスターとなる。
大衆が愚かなのか? 芸術や娯楽はイデオロギーを超越するのか? 万丈はただ、無言で映画館の横を通り過ぎてゆくのみ。
「俺は初めて男同士の戦いに勝った」 (コマンダー・バンチャー/19話)
磁力発生装置で万丈一行からダイファイターを奪い取る事に成功した駄目コマンダーは、男としての自信を得る。もともと頭脳は優秀だっが気弱さと間抜けさで軽んじられていたコマンダーが一皮剥ける事で万丈を追い詰めていく、その転機となる。エピソード自体もギャグ寄りからシリアス度を増していくという、面白い趣向。
「たった二人のソルジャーの為に戦えるコマンダーなぞ、メガノイドのクズだよ」 (破嵐万丈/19話)
メガノイドである筈のバンチャーの中に人間としての“情”を見た万丈だが、それでもザンバーで切り伏せる。
人間から見た“+”の表現ではなく(「おまえはメガノイドとしては優しすぎた」とか)、あくまでもメガノイドから見た“−”の表現「クズ」を用いる所に、万丈の複雑な胸の裡、ヒーローと物語の抱える屈折が込められていて、実に素晴らしい。
「ビューティ、すまない。僕はビューティを助け、コロスを倒せるほど、格好良くは出来てはいない」 (破嵐万丈/20話)
ビューティを人質に取り逃亡を図るコロスに向けた銃口を、万丈は降ろさない。“完全無欠のヒーロー”として描かれ続けてきた万丈が、仇敵を前に裸になり、己の“格好良さ”の限界を認める、万丈がコロスと出会うという事と合わせて、物語の大きなターニングポイント。
「メガノイドがスーパー人間なら、私は神だ」 (マゼラン頭脳/25話)
新造戦艦に頭脳を移植された人類の英雄マゼランは人類に反旗を翻し、メガノイドをすら見下すが、メガノイドの誇りを重んじるコマンダーと万丈の突撃の前に轟沈。
「君がメガノイドである限り、僕は手段を選びはしない!」 (破嵐万丈/30話)
生身の一騎打ちを求めるコマンダーへ。ここまで威勢良く言い切る主人公も珍しい。
「万丈め……少々大きなロボットが出てくれば、すぐにダイターン3を呼ぶ。いったい、戦士としてのプライドは、かけらも持っていないのか」 (コマンダー・マゾニー/30話)
きついツッコミ。
「弱虫は、メカの力を借りて私を潰すことしか、出来ないのだろうが。おまえを軽蔑しながら、ダイターンのその指で潰されてやるよ、坊や」 (コマンダー・マゾニー/30話)
このエピソードの万丈は、ひたすら酷い言われよう。
「ふふふっ、弱いなマゾニー。己からメガボーグになり、約束を破るとはな」 (破嵐万丈/30話)
肉弾戦での一騎打ちにこだわると言いながら、結局はメガボーグとなるコマンダーを、それが人間を捨てたものの弱さと嘲る万丈。ある意味では万丈にとって、メガノイドは“悪魔に魂を売ったもの”であり続けてくれなければならず、我が意を得たりと嬉しそうでもある。またその姿が、ソルジャーへの改造途中で脱出し、コマンダーへ特攻をかけた元人間の娘と対比され、ただひたすら復讐の為に苛烈な道を歩み続ける万丈の描写がえぐみを増す、というえげつない構造。
「世のため、人のため、メガノイドの野望を打ち砕くダイターン3! この日輪の輝きを恐れぬならば、かかって参られい!」 (ギャリソン時田/33話)
ギャリソン、ダイターン3を操る。
「まったく……万丈の言う通り。メカをいかに与えようと、扱う指揮者が無能では、何の役にも立たん。やはり、コマンダーの養成に力を注がねば」 (コロス/34話)
メカ軍団を操ってダイターンに挑んだコマンダーの敗戦を受け、ひとり呟く可愛いコロスさん。なんだか色々メタな趣も。
「ひかりゃいいってもんじゃないよ」 (トッポ/35話)
中年の愛が実り、光り輝くコマンダー達。それを許す万丈を「惚れたはれたが絡むと万丈は甘い」「でもそこがいい」と負けじと光を放つレイカとビューティ、それらを見ながら、トッポ。確かに、光ればいいというものではない。
「なめるなメガノイドめ! どんな恐怖の幻を見せようと、忌まわしい過去の記憶を呼び起こそうと、僕が弱気になったり恐れたりする事はない!」 (破嵐万丈/36話)
コマンダーの見せる忌まわしい思い出の幻を、精神力で打ち破る万丈。彼の戦いの原動力は、ひとえに怒りと憎しみである事が、明確にされる。
「にに、人間というものは、肉親に対して、あんなにも怒りをいだけるものなのか?」 (コマンダー・ブロイド/36話)
人間を捨てたが故にその情を杓子定規に計り、万丈の怒りに虚を突かれるコマンダー
万丈の父への憎しみが、うまく外からの視点で語られている。
「それをやるかやらないかが、一流か二流かの違いなのだよ」 (破嵐万丈/37話)
人質を気にせずメガノイドを倒せと、旧友・木戸川をそそのかす万丈。人間である万丈が、時に非情に徹する事こそ一流と語り、メガノイドである木戸川が、二流に甘んじようとも情を捨てきれない、という、物凄く歪な構造で凄まじい。
「今回の戦いは、晩餐までに蹴りをつけるというわけにも行きそうにないなぁ、ギャリソン」「はい。お弁当持ちと、いうことになりますな」 (破嵐万丈・ギャリソン時田/40話)
最終決戦を前に、あくまで軽妙な万丈とギャリソン。
「見納めね……」「およしなさい。未練よ」 (レイカ&ビューティ/40話)
出撃する万丈の背中を見送る、レイカとビューティ。
あくまで顔を合わせず、背中を見送るだけ、というのが実にいい。
最終決戦におけるヒーロー出撃シーンは古今に数あれど、その中でも最高の一つ。
イカが未練を見せて、ビューティがそれをたしなめる、という構図が最終回でまた、沁みる。
女も男も格好良すぎる。
「ドンも貴女もメガノイドを名乗ってスーパー人間とうぬぼれる。それを憎む!」 (破嵐万丈/40話)
人類が宇宙に進出していく時代には、メガノイドによる支配こそが正しいのだと諭すコロスに銃口を向ける万丈。
己の欲望の赴くままと思われていたメガノイド達のトップが、思ったより大きな視点を持っていた事が判明するが、その語る「正義」は、「一握りのインテリ達のエゴイズム」と断罪される。これは後に『ガンダム』を初めとする富野由悠季監督作品で繰り返し語られていくテーマの一つ。
一方で、それを断罪する万丈の「正義」こそが善の論理なのかといえば……
「みんな、父の亡霊を背負って僕の前に現れるに過ぎない」 (破嵐万丈/40話)
彼の本質はあくまで復讐者である。
憎むべき相手に父の亡霊を重ね合わせながら、最もその亡霊を背負うのは、万丈自身なのだ。
気障で陽気で常に軽口を叩き続けながら戦い続けてきた彼のこの呟きは、或いは己自身への皮肉なのか。
そして、
「僕への謝罪のつもりかっ、と、父さん…………今のは僕の、僕自身の力だ! 僕自身の力なんだ!! 父さんの力など、借りはしない!」 (破嵐万丈/40話)
ドン・ザウサーの攻撃を受け気を失いかけた万丈は、ダイターンのコックピットで父の声を聞く。
果たしてそれは、夢かうつつか幻か。
或いは万丈の背負う亡霊か。
目覚めた万丈は血を吐くような叫びと共にそれを否定し、振り捨てようとする。
父への復讐心に寄って立つ万丈にとって、自分の中に父の存在を、それを許すかもしれない部分を認める事は受け入れられない。精神力の強さでは人後に落ちない主人公が、この局面においてアイデンテティの相克に直面したと考えると、極めて酷い。それを受け入れないが故にまた。
後あくまで、ここで出てくるのが母ではなくて父、というのは、アニメ的にはそういうものだろうけど、間を置いて物語構造として見ると、少々面白い。
かくてメガノイドとの戦いは終わり、破嵐万丈は一人、呟く――。
「僕は……嫌だっ……」 (破嵐万丈/40話)


改めてこう見てくると破嵐万丈には、母の愛を信じながら、それを確認するのが怖かった人、という一面もあるのかもしれない。
結局、破嵐母は作中では万丈主観の回想シーンと幻覚シーンにしか出てこずキャラクター性は特に描写されないのですが、個人的な感触としては、少なくとも創造との夫婦仲はそんなに悪くなかったのではないか、などと考えています。単なる印象ですが。
というか、そうであるが故に、万丈のエディプス・コンプレックス的なものが余計に刺激されているのではないかな、と。
古典的なテーゼとしてのエディプス・コンプレックスも本作の下敷きの一つとして盛り込まれておりますが、万丈の思うほど、破嵐母は彼に愛情を注いでいたのか、という点に関して、若干の疑問があって、どうも万丈の描く母親像というのは、理想的にすぎないかな、と。
そんな事をまあ、後付けで考えてみるのも、面白い。