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『HOI2』6回目:「もうウィーン裁定も怖くない」

我がルーマニアの対ソ戦までの軍事プランは、
独裁制へ移行→ハンガリー併合→枢軸入り→ブルガリア併合→ユーゴスラビア戦で最低限ベオグラードをいただく→ギリシャ戦には適当に参加
というもの。前回の歴史の流れに沿っての計画なので色々と不測の歴史的事態が発生するかもしれませんが、これを基本線とします。
開発・生産面では、
渡河作戦用の工兵部隊を配備→できれば司令部を作りたい→もしできれば戦車を3台ほど並べたい→対ソ開戦までに1941年式歩兵のアップグレードを完了する
を目標とします。
なお、ルーマニアハンガリーの国力を20%食うよりも、ハンガリーの意外と多い陸軍師団を戦力として残しておいた方がドイツにとってはいいのでは……? という件は見なかった事にしよう同志諸君!
というわけで1938年3月30日、ドイツによるオーストリアの併合に乗じ、後ろ盾を失ったハンガリーに宣戦布告。
途端に起きる政変……は前回も発生したので、かなり確率の高いフラグあり? 政府首班は微妙に弱体化しましたが、もともと初期状態では変える閣僚が居ないルーマニアでは、序盤の政変はほぼ影響皆無。有能な人材はだいたい残るので、気にせず戦争です。
渡河作戦を見越して工兵旅団を揃えたものの、領土の数に対して妙に師団の多いハンガリーに、今回も結局、苦戦。しかし前回の不幸な歴史を見てきた我々としては、何としてもハンガリーは滅ぼさねばなりません。祖国ルーマニアの領土を守る為に、avansa,avansa,avansa!
ルーマニア軍の長所は、初期師団数の多さともう一つ、ぽんこつではあるものの戦車が1台、配備されていること。きもち有利に立ち回れている気がします。そして川を挟んで押し引きする事数ヶ月、8月7日、ハンガリーをようやく併合。
ブダペストに翻るルーマニア王国旗、森の彼方(トランシルバニア)は、我が国土なり!
翌1939年8月、石油を売って得たお金をロビー活動に回してドイツ様との友好度を上げ、滑り込みで枢軸入り。目的はポーランド戦に一噛みし、少しでもいいから工場のある土地を得る事。のちのちソ連に領土をかすめとられて基礎ICを4も失う事が確定しているので、出来る限りのカバーをしておきたかったのですが……もくろみ通り、ポーランド領をどさくさまぎれに幾つか奪えたものの、独ソ秘密協定により、ルーマニアが奪い取った土地も強制的にソ連に譲渡を余儀なくされ、ルーマニアとしては骨折り損となってしまいました。
今回のプレイの主旨からは外れますが、とすると、何も慌てて枢軸入りする事は無いので、ハンガリーを滅ぼしたルーマニアとしては独仏戦の趨勢(少なくとも、ベネルクス三国に宣戦布告するかどうか)を見極めてから枢軸入りを判断しても良さそうです。ドイツ様の出来によっては、共産・連合に擦り寄るという選択肢も充分に現実味を帯びますし。
また、同じ枢軸入りするにしても、ギリギリまでオランダと貿易して希少資源を蓄えていた方が有利。今回、早く枢軸入りしすぎてしまった為、希少資源の入手先が日本とソ連頼りになってしまいました。ルーマニアは石油こそ潤沢なものの、エネルギー・金属・希少資源とどれも厳しい上で貿易相手の選択肢がどんどん狭くなっていくのは、少々厄介なところ。エネルギーだけは、枢軸に入ればドイツ様からガンガン供給されますが。
この間、やや強引に、司令部を生産。前回の対ソ戦では指揮師団数ペナルティに悩まされたので、大攻勢の補助用です。また、司令部の生産完了とともに、戦車の生産と研究改良に踏み切ります。ルーマニアの工業力では39年式軽戦車を3台いけるかどうか、という所でしょうが、無いよりはマシだと信じたい。
翌1940年5月、ドイツ様、順調にベネルクス三国に宣戦布告。ルーマニアブルガリアの外交状況をひたすらチェックし、ソ連が独立の保証を終了したところで宣戦布告……しようと思ったのですが、あれ? ドイツ軍の、足が遅い……?
電撃戦はどこへやら、やたらに足の遅いドイツ軍、6月に入ってもまだ、パリまでの道すら出来ません。
えー…………これでルーマニアブルガリアに宣戦布告すると、アニキ体質のドイツ軍は、まず間違いなく援軍を送ってきます(^^; ただでさえフランス攻略が遅れている感じなのに、バルカン半島の南の端まで軍を割かれても困ります。
仕方がないので、ドイツの対仏戦が明らかに有利になるのを少し見守ってから、ブルガリアへ宣戦布告。1940年8月、順調にブルガリアを併合……はいいのですが、ドイツ様がパリをまだ落とせていない。
結局、ドイツがフランスを併合し、ヴィシーフランス政権が成立したのは、8月下旬。
黄色作戦−赤色作戦に4ヶ月かけるドイツとか、先行き不安。
10月、アルバニアにすら歩兵を置いていないイタリア軍が、何を思ったのかギリシアに宣戦布告。
せめて自前の陸軍を用意してからにしてください、ドゥーチェ・ムッソリーニ
急遽、矢面に立つ事になったルーマニア軍ですが、さすがに今更ギリシア軍に負ける事もなく、ドイツ様の援軍も交えて、本格的な冬の到来を前にあっさりとアテネを攻略。大迷惑のイタリアですが、地中海の治安を守ってもらわないといけないので、謹んでクレタ島その他を進呈。ついでに交渉で、何故かイタリア本国に放置されていた守備隊2師団をパルチザン対策用として交換にいただきました。結果的にはルーマニアにとっておいしかったかもしれません。
明けて41年、「外国ICの使用+15%」の大臣が登場し、一気に基礎ICが45に! これで研究ラインが3つに増えるので、技術研究の幅が大きく広がります。せめて40年から起用可能ならば国家規模の戦略の幅も広がるのですが、こればかりは致し方ない。
3月、まだ氷点下のユーゴスラビアにドイツが宣戦布告。頼みの戦車部隊の足が遅くじりじりとした展開が続くものの、雪解けとともに一気に決着。この頃には既に41年式歩兵の制式配備が完了していた我がルーマニア軍は南部・東部から攻め上がり、割と活躍。ベオグラードからサラエボまでを占領し、併合に貢献。着実に工業力を伸ばし、悩んだ末に、対ソ戦のバックアップとして歩兵の増産体制に入る事に。
さあいよいよ、ワルプルギスの夜、じゃなかった、ソビエト連邦との決戦だ!
ちなみに、「ウィーン裁定」イベントはハンガリー併合により消滅しましたが、「コンスタンツァ」割譲イベントは、なぜかブルガリア併合後にも発生しました(笑) 突然、コンスタンツァ領一つでブルガリアが復活したらどうしようかと思いましたが、イベント発生は表示されたのに、領土はなにごともなくルーマニア領のまま、という不思議時空に。
※このまま終戦でもいいのに的な、ハンガリーユーゴスラビアギリシアの一部を併合したルーマニア王国の図